わたしたちはどうして死にたいのか

わたしたちはどうして死にたいのか

ストレス社会という言葉がたくさんの人の目に触れるようになった現代社会において、人が死にたいと思うことや死にたいと口にすることは珍しくなくなりました。

では、「死にたい人」はストレス社会が生んだのか?答えはイエスでもあり、ノーでもあると思います。

わたしたちはどうして死にたいと思うのか。なぜ死にたいと口にしてしまうのか。

本記事がこの疑問に対して、小さなヒントにでもなれば幸いです。

 

死にたいと思う人は「何かあった人」と「何もなかった人」に分かれる

「死にたい」と言う人に「どうして死にたいの?」と尋ねると、この二つに分かれることがよくわかります。

例えばこの質問をしたとき「恋人に振られた」「友人に裏切られた」「仕事がうまくいかない」と答える人は前者です。後者の人は「人生がつまらない」「生きるのがつらい」「何もかも面倒だ」と答えることが多いです。どちらも死にたいことには変わりがなく、なんらかの原因によって生きていくことが嫌だと感じていることは間違いないでしょう。

 

「何かあった人」とは

「何かあった人」とは、前述したように「恋人に振られた」などの死にたいと思うような出来事があった人を指します。そうすると、何かあった人の死にたさは一時的なもののように思えますが、これもまた個人差がありパターンは細分化します。

例えば、自我を形成する幼少期に親から虐待を受けた人がいるとします。人生において繊細な時期に受けた虐待が、その後の人格形成に与えるダメージは計り知れません。よって、虐待を受けた期間が短期間だったとしても、数十年後にその人が死にたい理由として「子供のころに親から虐待されたことが原因だ」と話すこともあるでしょう。

逆に、今まで一度も死にたいと思ったことが無く、恵まれた環境で満足な人生を歩んできた人がいるとします。いわゆるメンヘラとは無縁な人生を送ってきた人です。その人にとって最愛のパートナーが突然、不慮の事故で他界してしまったら?その人が「もう生きている意味なんて無い、死にたい」と言わない保証はどこにもありませんよね。

 

「何もなかった人」とは

「何もなかった人」とは「人生がつまらない」と答えるような人だと書きましたが、そのような人に明確な死にたい理由がないのかというとそうではありません。

「何もなかった」ということは、死にたいと思うような出来事が何もなかったかのように読み取れますが、言い換えれば、他人が当たり前のように経験してきた出来事も何もなかったと言うことができます。そしてそのような劣等感や疎外感が積み重なり、自分は空っぽである、自分は世間や社会に馴染めないと感じてしまうのです。

何もなかった人は何かあった人とは違い、原因を明確にすることが難しく、ゆえに自分を追い込んでしまう人も多いです。自分で原因をうまく把握できず、どうしてこんなふうになってしまったのかと疑問を感じている人さえいます。

疑問を感じても理解する術がなく、孤独と不安のなかで劣等感と疎外感に苛まれ、「自分は何もできない」「他人よりも劣っている」「生きている価値がない」と思い込みます。

このような思考に陥ってしまうと、原因そのものに死にたさを感じるのではなく、自己嫌悪から自分自身に対して死にたさを感じるようになります。他人から見て決定的な出来事が無くても、慢性的に「生きていることが恥ずかしい」「自分が生きていても惨めなだけだ」などと考えてしまいます。

 

わたしたちは本当に死にたいのか

私が個人的に考える「何かあった人」と「何もなかった人」の違いは、前者には外的要因があり、後者には内的要因があるということだと思っています。どちらがよりつらいとか、苦しいとかの話ではありません。

私はどちらかと言えば「何もなかった」側の人間でした。小学生のころに母親を亡くしましたが、それがきっかけで死にたいと思ったことは無いですし、片親で育ったことによって死にたいと思うような人格が形成されたとも思いません。だからこそ、どうしてわたしは死にたかったのか、今でもふと死にたいと思う瞬間があるのか、ほとんどわかりません。

わたしたちは原因がわかると安心します。突然心当たりのない身体の痛みに襲われた時に、まずネットで同じような症状を検索して、情報を得ようとした経験はありませんか?そのようにして私も、同じように死にたいと思っている人たちを観察してきました。

そして本当に死にたい人は、本当に自殺してしまいました。

死にたいと言い続けている人は、今日も死ぬことなく死にたいと言い続けています。

では、わたしたちは本当に死にたいのでしょうか?

本当はきっと、今よりももう少しだけ生きやすくなりたいのではないかと思います。

しかし自惚れてはいけないのは、死にたいと言いながら今を生きているわたしたちも、いつ本当に自殺してしまうかわからないということ。

そして勘違いをしてはいけないのは、誰の死にたさがより死にたいのか、どちらが正しい死にたさなのかという間違った議論です。

何かあった人も何もなかった人も、抱えている死にたさは等しく同じものであるということを認めることが、死にたさを軽減させる、あるいは生きやすくなるための第一歩になってほしいと思います。




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詐欺自撮りで成り上がってきた詐欺師。「限界になったら自殺しよう」という気持ちで毎日楽しく生きてます。やる気あります。何でもやらせてください。

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