逃げるは恥でも何でもない

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本稿は読者投稿コーナーに応募してくれた方からの原稿です。


突然ですが、みなさんは自分を許すことが得意でしょうか。突然なんの話だと思うかもしれませんが、これって生きてくうえで結構重要なことなんですよね。「まぁいっか」「こんくらい許されるか」という精神はとっても必要な事だと思います。

そんなの自己中でよほど呑気な人間だけなのではないか?と思うかもしれません。

そんなことはなくて、みんな割と自分を許して生きています。だけど自分を許すのが下手な人間というのはたまにいるんです。

 

例えば、幼稚園の時にしてしまった同級生との喧嘩を未だに引き摺っているとか、小学生の時に悪口を言ってしまった行為がずっと引っかかっているとか、中学生の時にからかった当時の友人への何気ない一言を未だに覚えているとか、3年前に別れた彼氏に行った別れる間際の迷惑行為を未だに申し訳なく思っているとか、先日、つい自分の性格を暴露して「あんな話をされて迷惑だったのではないか」と後悔しているとかね。

具体的なのはすべて私自身の話だからです。他にも沢山あります。

昔のことも今のことも、罪意識から解放されないんです。大きなことから小さなことまでいちいち引っかかって仕方ないんですよね。そういう人は、自分の行動が誰かを傷つけること、そして自分が嫌われることを恐れます。

そりゃあもう人並み以上に怖がります。ファミレスの店員さんにだって気を使いまくります。学校にいるときも、バイトをしているときも、家族にさえ気を使います。そしてひとり反省会と自己嫌悪です。

鬱感情が酷い時は、幼い頃のエピソードから最近のエピソードまで、雪崩のように記憶と罪悪感が押し寄せてきます。

正直言って常に自分を責めているような感覚は非常に疲れますし、身が持ちません。そこで私は、自分のことを考えるのを意識的にやめました。自分に関することは深く考えることをやめるようにしたんです。

それまでの私は「こういう暗い性格だから、」「どうせブスだから、」「あのときのせいで、」などと四六時中考えていたわけです。

そうではなく、「暗い性格は変わらん、ハイ結論」「ブスなのは変わらん、ハイ結論」「あのときはあのとき、何も変えられない、ハイ結論」と変えられないことはすべて自己完結し、そこで思考停止したんです。

もちろん根っから気にしなくなった訳ではありません。必死に「ハイ!もうオシマイ!」というふうにしています。

 

そして小さなことからひとつずつ「まぁいっか」を増やしました。過去、自分が他人にした行為に関して、やはりどうしても許せないことは多々あります。それはもうどうしようもありません。

なのでそれは一旦置いておいて、とにかく「新しい罪意識」の作成をしないように心掛けました。お水セルフサービスのファミレスなのに店員さんに持ってきてほしいとお願いしてしまい気まずくなった。まぁいっか。

これらの解消法は、はっきり言ってしまえば逃げです。だって根本解決には至っていません。思考回路を無理矢理ねじ曲げて気にしないように心掛けているだけです。

けれど逃げるという選択肢を今まで隠しコマンドにしていたせいで、とても苦しい思いをしていたのではないか。ならば、一時的にでもいいから逃げたって良いではないか。

逃げ癖もひとつ苦しいものではあるのですが、これはまた別のお話なので今は控えます。

 

逃げることをやめてしまって苦しんでいる人が多いなぁと思って今回こちらに投稿させて頂きました。

その人間関係、ノイローゼになるまで保たなきゃいけないものですか?

その仕事、ボロボロになってまで続けなきゃいけないものですか?

その過去の出来事は、そこまで貴方を責めなければなりませんか?

許すことと逃げることはとても似ています。許すことは難しいですが、逃げることは一歩踏み出せば誰にだって可能です。
逃げることは恥ずかしいことではありませんので、どうかつらいなら選択肢のひとつとして「逃げる」を考えてみませんか。

いまいちまとまってなくて申し訳ないですが、ここまで読んで頂きありがとうございました。


【投稿者】
みしま さん

【プロフィール】
小学生のときに自傷行為を始めてからなんとなくでここまで生きている回避性人格障害の大学生。カウンセリングが苦痛すぎて治療から逃げるという選択をした。




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