メンヘラが芸術家になろうとしたらこうなった アートと精神疾患・発達障害

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本稿は読者投稿コーナーに応募してくれた方からの原稿です。


 

みなさんは、精神や発達の障害がわかったときに、芸術方面に向かおうとしたことはないですか?

街を歩いていてたまに見かけるのが、障害者が制作したアート作品の展示。
芸術は精神療法にも用いられますし、精神や発達の当事者が制作した作品は、これまでにもアウトサイダーアート(アール・ブリュット)として受け入れられてきました。

それが原因か、とくに発達障害者については芸術面でのセンスがすぐれている、という偏見まで生まれているようです。今回この記事で書くのは、そんなメンタルに障害を抱えた人間が、芸術に活路を見出そうとして失敗した話です。

「障害者はみんな芸術家」

そんなものは当然ですが、あくまでもスローガンでしかなく、踊らされると人生を遠回りしてしまいかねません。

芸術を自己肯定のために使いすぎるのは、あまりおすすめできない、という反面教師にしてもらえたら、と思います。

 

診断、そして芸術へ

精神を病んだときにすがりつこうとして、しかも状況が許してくれたので実行してしまった。
それが、芸術でした。

 

・「文化に興味がある」程度だった自分

わたしは現在、自閉症スペクトラム系の発達障害の診断を受けています。
ですが、以前は双極性障害や統合失調症などの診断を行ったり来たりしていました。

もともと文化系のものへの興味は深く、小説を書くことの真似事をしてみたり、写真にはまって、趣味が高じてモノクロフィルムの現像やプリントを行ったりしたこともありました。

さて、自分がどんどん芸術に救いを求めていったのは、20代前半の、大学生だった頃です。

大学は芸術家になるのとは関係のない学科で、所属していたサークルも、文化系ではない運動サークルでした。べつに芸術家になるための専門教育を受けたこともなかったし、美術作家で食べていこうと思ったこともありませんでした。

そんななかでなぜ芸術に向かおうとしたのかというと、芸術という行動をすることで、よりどころが欲しかったのだと思います。

 

・人生終わりだから好きなことをしよう

さて、決定的になったのは大学卒業前後のことでした。

それまで双極性障害の診断を受けていたのが、卒業後に転院したところ、統合失調症へ診断が変わったのです。

そのときは本当にショックで、もう二度と、自分は働いたり自活することはできないんだ、と心底感じていたのでした。半ばヤケクソでした。

さて、そんなときに思いついたのが、芸術をやろう、ということでした。
「美術作家」という肩書があればなんとかなる。
そんな思い込みにとらわれました。

あわよくばそれで食べていけたらいいな、というような、小説で一発当ててイージーモードに近い皮算用までしていました。

そして、美術系(写真)の専門学校に入学したのです。
奨学金まで借りてしまいました。

 

・自分は芸術家ではないと気づく

ですが、入学したのはいいものの、結論からいうと芸術家にはなれませんでした。

たしかに教科書通りの表現の技法は習ったものの、根本的な表現欲求が伴っていなかったため、途中でどうでもよくなってしまったのです。

そもそも、芸術にはお金がかかります。
周囲の本気で芸術をやりたい、作家になりたいという人は、高価な道具や素材をアルバイトをして購入しているわけですが、自分にとって、そんなことのために働くのはやっていられないことでした。

一週間で安くても10万円以上するギャラリーで展示をしたいであるとか、そんな欲求は自分にはありませんでした。

そんなお金があるなら、もっと他のことに使いたい。
そう思う程度のものなのでした。

結局、その後は発達障害が判明したこともあり、休んだり働いたりを繰り返しながらですが、とくに芸術とは関係のない仕事をはじめ、現在に至ります。

平たく言ってしまうと、障害から逃げるために芸術を利用したのだと思います。

 

■生半可な覚悟で芸術に入れ込まないほうがいい理由

なぜ、そこまで芸術にとらわれて、学校にまで通ってしまったのか。
よいことも悪いこともありましたが、いままさに精神障害や発達障害を持っていて、芸術方面に活路を見出そうと求めている人は、自分自身についてゆっくり考えてみたほうがよいかもしれません。

 

・「障害者はみんな芸術家」ではない

ハローワークで受けられる職業診断などを受けたときに、「芸術家タイプ」という結果が出た。
そんな経験がある人は、とくに発達障害の方には多いのではないでしょうか。

現在では「芸術家タイプ」という診断結果は「向いている仕事はない」ということをオブラートに包んだ言い方であることがメンヘラの間で周知されてきましたが、かつてのわたしは、そのことを脳天気に、自分は芸術ができるかもしれないという希望として捉えてしまいました。

あなたは、本当に芸術がやりたいのでしょうか?

もしかして、芸術家である自分がほしいだけではないですか?

もしそんな救いを求めて芸術に向かおうとしたら、結局は自分には表現欲求はないことに気づくまで、遠回りをしただけで終わる可能性が高いのです。

 

・学校はお金がかかる

芸術系の学校は、選ばなければ簡単に入れます。
とくに専門学校は無試験同然です。

簡単に入れるうえ、比較的学費が安い学校もあるとはいえ、それでも、普通の大学に通うのと同程度の学費が毎年かかります。当然、制作費だってかかります。

ただでさえ金銭的に困る精神障害者や発達障害者などのメンヘラが、そんなことにお金を使うのは、はっきりいって下策だといえるでしょう。

自分の場合、更に最悪なことに奨学金を借りるという手段をとってしまい、まとまった額の借金までこさえてしまいました。

自我を保つために多額のお金をかける必要はありません。

 

・社会に戻るのが遅くなる可能性がある

そして、単純に時間の問題です。

わたしの場合、メンタルの問題もさることながら、働くこと、社会に出ることから逃げるためにも芸術を利用していました。

もちろん、そんな遠回りをしている時間的余裕はありません。

精神障害者や発達障害者といったメンヘラがするべきこと。
それは、少しでも社会に戻り、適応し、ひいては自分の手でお金を稼いで生きていくこと。

芸術にかぶれるというのは、そんな自立から遠いものの極北です。
学校に通うにしても、仕事につながる種類の学科ならまだしも、芸術系の学校に言って飯が食えるようになるはずもありません。

正直なところ、重要な10代、20代を浪費してしまったことを、後になってから後悔しているのは事実です。

 

■こんなメンヘラは芸術をやろう

一概に否定しても仕方がないので、芸術家方面へ進むのがおすすめの人についても言及します。
ただ、そんな人は放っておいても芸術で食べていけるでしょう。

 

・表現欲求が有り余って時間があれば創作行為をしている

メンヘラの中でも芸術方面がおすすめできる人。

それは、誰に何も言われないままに10代以前に芸術方面を選んだ人です。

絵が上達する人としないひとを比較したときに、上達する人は放っておいても暇があれば絵を描いている、いっぽうで上達しない人はやる気が出たときしか描かない、ということが大きな差になる、という指摘がありました。

まさにそれと同じことで、メンヘラだったとしても、好きとか嫌いとか以前に、寝食よりも表現欲求が有り余っている人なら、それを充分に自活の手段とすることができるでしょう。

とくに30代以降、精神障害者や発達障害者といったメンヘラにとって、就労と収入の問題は大きくのしかかってくるものです。
だからこそ、先手を打って仕事の問題の解決を目指すのが、生きていくための近道となるはず。

芸術や創作で食べていける人以外は、一定の距離を保って、芸術に入れ込みすぎないことがおすすめだといえるのではないでしょうか。

 

■メンヘラと芸術・文化の鶏と卵

さて最後に、なぜメンヘラは芸術に興味を持つのか、ということについて、思うところを書きます。

 

・美大にはメンヘラが多い

偏見かつ観測範囲の話ですが、美大・芸大の出身者や、文化系の趣味を持っている方には、精神障害や発達障害を持ったメンヘラが多い、という印象があります。

メンヘラは芸術が好き。
メンヘラは文化が好き。

その傾向があることを前提とすると、なぜそうなるのでしょう。
文化や芸術がメンヘラを作るのでしょうか?
メンヘラだから文化や芸術に興味を持つのでしょうか?

 

・文化・芸術に憧れると精神を病む

結論からいうと、文化・芸術に憧れたことが精神を病む原因になるのだと、わたしは考えています。

とはいえ、べつに文化や芸術というものに、精神をおかしくなるような力があるというわけではけっしてありません。文化・芸術はとても健全なものです。

決定的に影響を与えるのは別のこと。
すなわち、メンヘラ自身の生育環境や経済環境です。

 

・経済資本・文化資本がないのに芸術をやろうとすると病む

芸術はお金がかかります。
しかも収入にも結びつきません。

だから、多くの大成した芸術家は実家が太いか、もしくは類まれなる能力がある場合にはパトロンによって養われています。

また、家系が文化に興味がある、すなわち文化資本が多ければ、家族の支援により芸術ができる可能性が高いかもしれません。

しかし、そのどちらもないか不足している場合、ことあるごとに自分自身の資本の欠乏を感じて、徐々に病んでいきます。
お金がなくてやりたいことができないフラストレーション。
文化資本のある友人へのコンプレックス。

もしもともとのメンタル耐性が高ければなんとかなるかもしれませんが、悲しくもメンタル耐性が弱く生まれてしまった人がそんな状況に陥ると、確実にメンヘラになってしまうのです。

いちばん悲惨なのは、実家の文化資本が高く文化的に育ったにも関わらず、大人になってからその文化資本を維持できるだけの収入を得られなかった人かもしれません。
無駄に文化資本だけ高いために、周囲の同程度の社会階層の人間と会話が合わず、かといって同じような趣味嗜好の人間には金銭的についていけない。

芸術はたしかに万人に開かれているべきですが、しかし、経済・文化の資本がない人間がいたずらに芸術に興味を持つのは、はたしてほめられるべきことか、とも考えてしまいます。

 

■表現がしたいのか、芸術家になりたいのかを考えよう

メンヘラと芸術との関係で、もっとも避けたほうがいいのは、自分自身を保つために芸術を利用することです。

そのような人は、芸術家である自分、というものになりたいだけで、芸術を通じてなにかをしたいわけではありません。

芸術を通じて表現をし、社会に対してなにかをしたい。
そう思うのならばあなたは確かに本当の芸術タイプで、それを通じて自活していくことができるでしょう。

でも、そうでないメンヘラのあなたは、今後の人生のために就労や収入の問題に対処していくことをおすすめします。

また当然、趣味としての芸術を否定するものではありません。
趣味としての芸術をしている人もまた、自然と表現をしている人のひとりです。

「意図的に芸術家になろうとする」人は、危険な道に足を踏み込んでる、というだけの話です。

芸術に活路を見出そうとしているメンヘラの方がいたら、自分はどちら側の人間なのか、生きていくためにゆっくりと考えてみるのをおすすめします。


【投稿者】
広尾蘭さん

【プロフィール】

自閉症スペクトラムの診断を受けているWebライター。
コンテンツマーケティング記事から宗教やアダルトまでなんでも書きます。できるだけ持ち物は少なくしたい主義。





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