お坊さんに悩みを相談できるサイト「hasunoha」で自分の悩みを相談してみた

コラム 花坂 埖

みなさんは、悩みを相談できる人がいますか?

家族や友人、恋人など、相談相手がいる方もいらっしゃると思います。
だけど知り合いには相談しにくいような悩みだったら?

というわけでこんにちは。ライターの花坂埖です。

今回は「お坊さんに悩みを相談できる」というユニークなコンセプトを持つ hasunoha というサイトで、実際に自分の抱える悩みを相談してみました。お坊さんはメンヘラの相談相手として適切なのか?「喝!!!」とか怒られないでしょうか。

少し不安ですが、早速実践してみましょう。

 

hasunohaってそもそも何?


まず、「hasunoha」をはじめて知った方のために、軽くhasunohaについて説明させていただきたいと思います。

「hasunoha」とは、ユーザーのお悩みや相談にお坊さんがアドバイスをしてくれるサイトです。といっても仏教についての相談ばかりされているわけではありません。相談は心や体の悩み、恋愛や子育て、時には出世とお金の問題など実に様々。変わり種では「ソーシャルゲームがやめられない」といった相談もありました。

このように、日常生活を送る上で直面する様々な悩みにお坊さんからの回答を頂くことができるサイト、それがhasunohaです。お答えは優しく寄り添う回答もあれば、時にはお叱りの回答もあり、所属するお坊さんの個性であふれています。

利用してみたわたしがイメージとして伝えてみると、「おばあちゃんの知恵袋」的なサイトだと思います。人生の色々な問題、重いものも軽いものもありますが、それに年長者が答えてくれる。そんなイメージです。利用してみて気づくことがたくさんありますし、何よりもお坊さんを身近に感じることができます。

ちなみにhasunohaは書籍化もされているので、いろんな方のお悩みやそれに対する回答をみたい方はぜひそちらもどうぞ。

それでは、いよいよ本題であるお悩み相談にいってみましょう。

 

早速相談してみた


ということで、下の質問を投げかけてみました。以下、サイトから全文を引用します。
お坊さん、好きなことができなくなったことってありますか?

はじめまして。花坂 埖(はなさか ごみ)と申します。

わたしは現在、とあるWEBメディアでライターとして活動しています。
hasunohaの存在も、そのメディアの編集者から聞き、はじめて知りました。

そんなわたしが今回お悩み相談したいことは、
「大好きだった言葉とうまく向き合えなくなった」です。

わたしは幼少期、全く友達がいませんでした。
そんな中で友達の代わりになってくれたのが、本の存在でした。本を読んでいると、自分が寂しいことを忘れ、自由になれた気がしました。

いつしか本だけでは飽き足らず、インターネットの誰かが書いたブログ、週刊誌の記事……とさまざまな言葉を読むことが好きになりました。

またわたし自身も手紙を書いたり、作文を書いたり、言葉を書くことがかけがえのないことになりました。一番好きなことではなかったけれど、一番得意なことだったからです。

わたしにとって言葉を読んだり書いたりすることは、世界とうまくつながることでした。

だけどある日、突然言葉を読むことができなくなりました。急に自分は最低な人間で、言葉を読んだり書いたりする価値がない人間のように思えたからです。

あんなに楽しいほどにするすると言葉を読んだり書いたりできていたのに、それがとても苦痛な行為になりました。言葉を読んだり書いたりすることができないわたしには、存在価値などないと思いました。一時期は、言葉を通して世界とつながるのは諦めようと思いました。

だけど、わたしはやっぱり言葉が好きです。今でも言葉を読んだり書いたりすることにしがみついています。たぶんそれしか打開する方法がないからです。

それでもやっぱり、言葉を読んだり書いたりすることがとても苦しく、辛く、そして言葉を読んだり書いたりすることができなくなった自分がとても、悲しいです。

お坊さんは、好きなことができなくなったことはありますか?そして、言葉を読んだり書いたりすることができなくなった自分はこれからもできないままなのでしょうか?そして、大好き
なことができなくなったWebメディアの読者の方へもメッセージをいただけると幸いです。

長々と失礼いたしました。どうぞ、ご回答いただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。

花坂 埖


(出典 http://hasunoha.jp/questions/13676)

・・・という質問です。最初はもっと親離れとか孤独感とかそういう感じの質問にしようと思ったのですが、うまく書けないのでやめました。無理はよくない。

そして気長に待つこと数時間。早速お坊さんからの返信がきました。
意外と早いな、と実感。以下、全文掲載します。

 

「真剣になるとたいてい苦闘の連続です」

私は以前、社会学の研究者を目指して勉強していたことがあります。

子供の頃から本が好きで、大きくなるにつれて社会や文化の問題に触れたルポルタージュや紀行文を中心に読むようになりました。親が教員だったこともあり、自分も教員になって趣味で読書を続けられれば文句はない、と思っていました。

大学に進学し社会学関係の書籍を読んで魅了され、もっと深く本格的に勉強してみたいと思い、渋る親を説き伏せて大学院に進学しました。

ところが、いざ研究者を目指すトレーニングとして社会学の文献と向き合うと、これほど苦しく読み辛いものはなくなってしまいました。

「しまった、まったく向いていない道へ入り込んでしまった」と焦りましたが、周りをみれば楽しくルンルンと研究している者は一人もいませんでした。大学院生も教員も皆、ウンウン苦しみながら文献と格闘していました。

仏教界隈にも「仏教好き」な人たちがいます。中には一念発起、出家してお坊さんになる方もいます。私も個人的に何人か知っていますが、皆、お坊さんになってから楽しくルンルンしているようには見えません。中には「私の思っているものとは違った。騙された」と怒りに震えて音信不通になってしまった人の話も聞きました。

思うに、趣味の範囲で楽しめていたものも、真剣に正面から向き合うような構えができると、とたんに相手は辛く手ごわいものに思えてしまうのではないでしょうか。

好き好き、だけで楽しんでいたものが、楽しめなくなり手ごわいものとして見えてくるということは、案外、自分の構えや力量が、それと正面から対決できるレベルにまでなった印と考えることもできるのだと思います。

回答僧:宗恩寺/百目鬼洋一


うおおお…。これは最初から良さげだぞ!
自らの経験を話しつつ、わたしの悩みに寄り添ってくれたのが嬉しい。

そしてしばらくすると、また別の回答がきました。こちらも全文掲載したいと思います。

 

好き、にこだわらない。

この間、「最後の秘境 東京芸大」みたいなタイトルの本を読みました。貴女とジャンルは違うけれど、「その道」では腕一本で生きていこうとしている方々です。その中に、「嫌いになっても、何故だか離れられないんですよ」と、ご自身の専攻について語っている人がいました。

私も、言葉を扱うのは嫌いじゃありません(好きです)。けれど、このhasunohaの回答ペースというか、勢いにはムラがあります。回答してなくても日常で言葉は使っている訳で、「この場で表現する・回答する」という動機の濃さが変化するのだと思いますね。私たちは根本となる教えがありますから、極論すればいつも同じ事を言っているのです。だからかしらね、「過去問嫁ってばさぁ〜」って、時々思うのです。で、勢いが落ちる。

そんな時は正直に、暫く離れます。去年の12月にも、「何となく、1週間見ない」期間がありました。けれどその間、「イヤ俺は回答が好きなのに、言葉を使うのが好きなのに、やってない!」とか、焦ったりはしませんでした。寧ろ新しい体験をして、今まで持っている言葉を意味付け・解釈し直すという期間だったのかな、と思います。

気になるのは、「ある日突然、変化した」というところです。何があったのか分かりませんが、「言葉は誤解の元になる」事を念頭においていれば、「やっちまったか」程度で済むのではないかしら。分からないけど。

あとは、何事も「好きだけでは成し遂げられない」ということです。つまり、技術を磨かねばならないということ。芸大の人も同じですが、我々も言葉の使い方は技術として身につけねばなりません。

「好きなことができなく…」うーん、ありませんね。その時には「ちょっと好きじゃなくなった」のでしょう。心は移り変わるものなので、悲しくはなりません。「書けない」という現実に素直になる。「涙は出てるけど、悲しくない」って言い張っても仕方ないでしょう?またネタがたまると、ふっと書きたくなるんだろうな、と思う程度です。「好きなものは、好きでい続けなければならない」ということはないのです。仕事だから書く、ということであれば「好き」という感情に依存しないことが必要と思われます。

「大好きなことができなくなった〜」の回答も同じです。先日、林師が紹介された良寛さんの言葉(病気の時は〜)と同じです。

回答僧:光圓寺/佐藤良文


ほう、と思いました。お坊さんの間でも、全然考え方が違います。好き、にこだわらない。正直言ってここまでお坊さんの回答に個性があふれているとは思いませんでした。

そんなことを考えながらしばらくすると3件目と4件目の回答が。どちらの回答も素敵なので両方全文掲載させていただきます。

 

言葉とは道具に過ぎない

読書は確かに文字を通してさまざまな人の考えかたを知ることが出来たり、知識が増えたりします。しかし、これはすべて考えの世界。現実とはまるで違う世界です。
文字が読めない、書けないと言いつつここに質問することが出来ている。これが事実でしょう。

書けない読めないような気持ちになっているだけでしょう。
人は、気持ちや思い、心、考えといったものに振り回されやすい生き物だと思います。目の前の現実、事実から目をそらし思いを優先したくなるのでしょう。妄想は楽しいのかも知れません。

しかし、人は現実を生きています。この身体を使い、今という瞬間を生きているのです。過去も未来もない、今の様子に触れて文字なんて読めなくても、生きています。昔の日本人は読み書きできなくても問題なく生きていたでしょう。ただの道具に過ぎないのですよ。目の見えない方や耳の聞こえない方でも救われる道が仏道です。

安心して大丈夫ですよ。きちんと学べば救われますよ。

回答僧:円通寺/邦元


この回答はいただいた回答の中で1番お坊さんらしい回答がだなあと思いました。

「悩みに寄り添う、導く」まさにイメージ通りのお坊さんという感じです。

そして最後はちょっとアウトロー?なお坊さんから回答を頂きました。見てみましょう。

 

クリエーターは それはしょっちゅうあるから!w

初めまして!尼僧漫画家の悟東あすかです。

神仏を拝む事と漫画を描く事が大好きです。
私は普通の家から発心して出家して修行したので、お寺は持っていません。
でも、祈るのが大好きで大好きで、気がついたら修行も終わって僧侶になっていました。

漫画も描くのが大好きで大好きで、それで大好きな祈りで見つけた世界観を漫画で描きたくて漫画家になっていました。

でも、祈るのがとても辛くなった時期もあります。

そして、漫画も描くのが辛くなる時が良く来ます。

それは、自分が描いているものが、人には面白く無いんじゃないかって思ったり、あと理由も無く悶々と悩んで描けなくなる時もあります。

それから、変に頭から否定された時とか…でもって、その否定を受け流せば良いのに、真に受けてしまった時とか…。いわゆるスランプってやつだと思います。

そんなときに、漫画家としては大変先輩で今はもう亡きある方から、こんな事を言われた事があります。

『大好きで良いものが描きたいからこそ、悩んで描けなくなることがあるんだよ!
皆同じなんだよ!キミだけじゃない。肩の力を抜いて!』

好きであればこそ出来なくなるって事があるんですよ。

出来ない時に無駄にジタバタするより、今の自分に出来る事だけでもやって、時間を置くのも良いかもしれません。

そして、あなたの中にある「楽しい!」という感覚のアンテナを伸ばして
出来るだけ楽しい事をしてみましょう。

『楽しい!」という呼び水に「大好きな事」は再び湧き出して来ます。

後は、四の五の言わず兎に角やってしまうと出来なかった好きな事が出来る事もありました。

出来ないで来ないと自分を縛る事をまずやめてみましょう。

回答僧:坂東あすか


この回答を見た時、「うわっ、お坊さんでもネットスラング使うんだ!?すごいな!?」となりました。そして尼僧漫画家という異色な経歴。クリエーターだからこそできる回答。個人的には「そして、あなたの中にある「楽しい!」という感覚のアンテナを伸ばして

出来るだけ楽しい事をしてみましょう。」という一文に肯定された気がします。

というように、様々なお坊さんによる個性あふれる回答でした。では次に、この回答をふまえてのわたし自身の感想を書きたいなと思います。

 

お坊さんも人間だった


というのもわたしは、今までずっとこの悩みに向き合うことができませんでした。ただ、漠然と書く、読むという行為ができない自分から目を背け続けてきました。わたしにとって言葉を書いたり読むことは自傷行為です。書けなくて読めない自分と向き合うことはただ未来が見えなくて、つらい行為でした。

今でも思うのは、こうして記事を書いていることも、わたしの吐瀉物の塊のような記事を読んでくださる方がいることも、とても不思議だなあということです。

先ほど載せたお坊さんの回答をみてわたしは、

「ああ、この画面の向こうにいるお坊さんも、きっと泣いたり怒ったりする人間だったんだ」

と思い、とても安心しました。

わたしは、勝手にお坊さんという存在を、「怒りや悲しみという感情を封印した人間」と思っていました。

だけど、このお坊さんの回答は良い意味でその期待が裏切ってくれました、

お坊さんも、ちゃんと1人のの人間として悩み、苦しみ、時には怒り、生きてきた。
そのことは、画面の向こうのお坊さんから気づかせていただいたことです。

また、お坊さんの回答を読んで思ったことがあります。
「わたしはわたしの好きなことを否定しなくてもいいんだ」ということです。

わたしは、ずっと自分には言葉を書くことや読むことをする資格がないと思っていました。
なぜなら、わたしにとって言葉を書いたり読んだりすることは、世界とうまくつながることだったからです。

物心ついたころから、ずっと自分が嫌いでした。勉強も運動もできないし、なにより人とうまくコミュニケーションがとれなかったからです。それでも、言葉を書いたり読んだりすることで、たくさんわたしは救われました。繋がることができない人と繋がることができました。

お坊さんの回答は、わたしにそのことを思い出させてくれました。

 

今回のまとめ


ということで、「hasunoha」で相談してみたことで得られたものは、わたしのなかでかなり大きかったです。

特に良かったなと思った点は以下のふたつ。

・お坊さんという、普段関わる機会が少ない方の意見に触れられること
・問いかけたた分だけ、真摯な答えを頂けること

特に強く印象に残ったのは「お坊さんという、普段関わる機会が少ない方の意見に触れられること」です。

わたしも先ほど書いた通り、この記事を読んでいるみなさんのなかでも、日頃からお坊さんに関わる機会がある方は決して多くはないと思います。

そして、hasunohaのお坊さんの多くは、真摯に私たちの悩みに向き合ってくれます。「真摯に悩みに向きあってもらえる」というのは、日常生活の中ではあまり存在しないことなのではないでしょうか。

悩みを抱えた方、お坊さんの力を必要とする方、そんな方にはhasunohaを利用してほしいな、と思います。

ということで、本稿はそろそろここでお開きです。

最後に、記事が書けないわたしのことをいつも見守ってくださる編集さんからいただいた一言をおまけに載せたいと思います。

「うじうじ悩むな!ソープに行け!!!!」

ということで、今回もお読みいただき、本当にありがとうございました。以上、一ヶ月半ぶりに記事を書いた花坂埖がお送りました。また、メンヘラ.jpでお会いしましょう!

【リンク】
お坊さんに質問、悩み相談できるQ&Aサイト - hasunoha [ハスノハ]

 

 


【執筆者】
花坂 埖 さん

【プロフィール】
片田舎に住む実家暮らしの20歳。中学生の時に南条あやと出会い、広汎性発達障害と診断されたことにより、メンヘラをこじらせ現在に至る。只今絶賛自宅療養中。

 


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