なぜ凶悪犯罪者が「死刑になりたい」と人を殺すのか

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人はなぜ死にたいと思うのか?それは孤独だからである。

ではなぜ人を殺すのか?それも、孤独だからなのだろうか。

 

「オタクとメンヘラはシリアルキラーが好き」の例に漏れず、私もよく伝説的な連続殺人犯や猟奇殺人犯についての記事を読み漁ったものだ。世界的にみると俗に言うヤバい異常者は海外産が多いのだが、日本国内でも殺人は無くならないし犯罪は止まらない。そして事件後、犯人の動機は世間の注目を集めることになる。

 

つい一ヶ月ほど前にも、北海道釧路市で通り魔的に殺傷事件を起こした男がいる。この男の「人を殺せば死刑になると思った」という動機は、どのメディアでも繰り返し報道された。

「死にたいのなら他人に迷惑をかけずに死ね」。一理ある。

「死にたいくせに自殺しないのはヘタレだからだ」。ではこれは?

これが一方的な決めつけでないならば、果たしてヘタレに殺人など出来るのだろうか。

 

「人を殺せば死刑になると思った」

北海道釧路市で無差別殺傷事件を起こした男は精神疾患に悩んでいたという。

インターネット上の一部では男が精神疾患を患っていたということについて、悪霊に憑りつかれたゆえの殺人教唆との見方もできるのではないかと書かれていたが、秋葉原通り魔事件の加藤智大が読んだらなんとコメントするだろうか。

私たちが根本に抱える死にたさの原因を全て「死にたい」の一言で片づけるように、事件を起こした犯人が「死刑になりたかった」と口にすることは少なくない。特に無差別事件と呼ばれる通り魔的犯行においては、テンプレ回答のひとつだろう。

この「死刑になりたかった」のなかには様々な問題が含まれている。それを聞いて「身勝手極まりない!」と憤っているだけでは何も見えてこないし、事件はいつのまにか風化して終わりである。

 

秋葉原事件と黒バス事件から見る自殺願望

2008年に日本中を震撼させた秋葉原通り魔事件と2013年に犯人が逮捕された黒子のバスケ事件には意外な共通点がある。それは事件の犯人がお互いの事件背景について、共通するものがあると理解しあっている点だ。

 

最近、ネット上で黒子のバスケ事件の容疑者である渡邊博史の意見陳述が話題になった。渡邊は独特な言い回しと造語を用いて、簡潔に自身の意見を書き綴っている。陳述の中には「社会的存在」「生ける屍」「努力教信者」「埒外の民」「キズナマン」「浮遊霊」「生霊」「無敵の人」というキーワードが出てくる。さらに、渡邊が獄中で読んだ本から引用した用語などを交えながら、ひどく淡々と、まるで取扱説明書のように話が展開されていく。その中で渡邊は自身を「生ける屍」かつ「埒外の民」だったと語っていた。

 

それに対して秋葉原通り魔事件の加藤智大は「犯罪経験者にのみ理解可能な犯罪者心理のささやかな解説」と題して見解表明を発表した。これも、名の通り淡々とした解説のような内容だった。

加藤は「自分も渡邊も、孤立した際には自殺を考えた」と書いており、続けて「だが、結局は自殺していない。それはなぜか」と投げかけている。孤立による苦痛から逃れる方法は自殺だけではないと述べたうえで、そのもうひとつの方法である「無理にでも社会との接点を作ること」を選択し、事件を起こすに至ったと言うのだ。

さらに、その孤立の原因が自分のせいであるか他人のせいであるかによって、苦痛から逃れる方法を選択する――つまり加藤であれば自分の繋がりを奪った成りすましら(を狙って無差別的に)、渡邊であれば黒子のバスケの作者を接点として、社会にしがみついた結果の凶行であると読み取れる。

 

死刑制度は殺人を誘発する?

加藤の見解表明を読むと、自分たちが起こした犯罪は生きるためだったと言っている。生と死、自殺そして殺人、相反するような事柄が複雑に入り混じっており、これこそ加藤が述べている「犯罪経験者のみに理解可能な」心理なのだろう。

 

死にたさの正体は孤独(孤立)であるとみてほぼ間違いではないはずだ。その孤独の苦痛から逃れる方法として自殺が、そして、凶悪犯罪者たちによると「殺人による死刑」が存在しているのかもしれない。

死刑になりたい人間は、自分では死ねず、誰かに殺してもらいたいがために殺人に及ぶ。ただそれだけではなく、「どうせ死ぬなら人を殺してみたい」「自分の不幸に誰でもいいから巻き込みたい」「目立ちたい」「社会への復讐のために無差別に巻き込みたい」というような様々な感情もあるだろう。

冒頭にも書いたが、私たちが「死にたい」の一言のみで口を閉ざしてしまうように、「死刑になりたい」と供述する犯人が果たして本当に死にたいのかどうか知る術はない。「本当に死にたい人は何も言わずに自殺してしまう」という説があるが、同じようにこの問題も証明のしようがないために、死刑が殺人を誘発しているとは断言できないのだ。いっそのこと安楽死制度でも試験的に導入してみればいいとも思うが、まだまだ課題は山積みだ。

 

死刑を望んで殺人を犯した人間が死刑によって裁かれたとして、それは果たして本当に罰になるのだろうか。

自殺願望者のなかで自殺してしまう人間と殺人を起こしてしまう人間がいるとすれば、その違いは一体なんなのだろうか。

繰り返すが、この問題に対し「身勝手極まりない!」と憤っているだけでは、真の意味での事件解決はできないのである。




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詐欺自撮りで成り上がってきた詐欺師。「限界になったら自殺しよう」という気持ちで毎日楽しく生きてます。やる気あります。何でもやらせてください。

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