宗教とメンヘラの関係性 信仰一世が見た伝統派キリスト教会について


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こんにちは。
メンヘラ.jpで何度か記事を掲載していただいている広尾蘭です。

本サイトに掲載された「新興宗教の二世信徒として生きる苦しさ」を読んで、筆を執らせていただきました。

実はわたしは、宗教一世です。
つまり自分の意志で宗教に入信したということです。

具体的には伝統系のキリスト教で洗礼を受け、現在進行系で教会に通っています。
洗礼を受け、クリスチャンになるということは、自分がメンヘラ(発達障害)でなければ、おそらくあり得なかったことでしょう。

いま話題になっている女優・清水富美加さんの出家は、二世には宗教を選ぶことができない、という問題がベースになっていると思います。

選ぶことができない二世に対して、宗教一世は明確に自分の意思で宗教を選択した存在です。

宗教二世の親は、なぜ自分の意思で宗教一世となったのか。

もちろんその事情はさまざまでしょうが、自分の意志で宗教を選んだ立場というのは、メンヘラと宗教の関係を考えるうえで参考になると思い、自分の信仰選択についてお話しさせていただければと思います。

また、 清水富美加さんの出家は新興宗教ゆえに話題になっている面も多々あるはずです。
キリスト教のなかでも伝統のある教派のなかで、メンヘラはどのように居場所を見つけているのか・見つけられていないのかについても書きたいと思います。

 

伝統宗教に入信したメンヘラ

わたしはキリスト教の洗礼を受け、教会に通っています。
具体的な教派(宗派)は伏せますが、数百年以上の歴史がある伝統派の教会です。
19世紀ごろからにわかにふえたキリスト教系新宗教ではありません。

親は普通に仏教徒(父方は曹洞宗、母方は浄土真宗)で、身内にクリスチャンはいません。

まず、どうして教会に通うことになり、洗礼を受けたのかについてお話しします。

キリスト教へ触れたきっかけ

実はまったくキリスト教と縁もゆかりもなかったわけではなく、幼稚園は地元のカトリック教会が運営していた場所に通っていました。ただ、クリスマスにイエス・キリストの降誕劇を行った記憶があるくらいで、そのほかにはとくに宗教色は感じていなかったと思います。

さて、そんななかで20歳前後にわたしはメンヘラになってしまうわけですが、それくらいの時期に、うっすらと、自分は伝統宗教に入信したほうがよいのではないか、と思いはじめたことがありました。

その理由は、自分が信用できなかったこと。

今では発達障害の診断でほぼ確定しているわたしですが、当時は躁鬱や統合失調といった誤診を受けていて、「もしも自分が情緒不安定なときにカルト宗教にコロっと勧誘されてしまったらどうしよう」「それなら、あらかじめ伝統宗教に入信しておけばよいのではないか」と考えたのです。
そのときは、とくに宗教に入信しようとしたことはありませんでしたが、具体的な候補としては、やはり、カトリック教会がよいのではないか、と思っていました。

友人の影響に教会へ誘われる

その後もメンタルはなかなか好転しませんでした。そんななか、教会に通っている親しい友人ができました。

ある日、そんな友人に、教会の礼拝に出てみることに誘われたのです。

かなり身構えて、怪しみました。
教会の教派名で繰り返し検索して、どうやら数百年の伝統があって怪しくないらしいことはわかりました。有名なミッション系大学の母体になっていることもわかりました。

ただ最初は本当に怖く、行く約束をしていたのにドタキャンしてしまったこともありました。

行ってみたら一瞬でハマる

結局は友人と一緒に、初めての礼拝に出席したのでした。

すると、一瞬で魅力を感じました。

そのとき思ったのは

「これは、思考を整理するためのツールだ」

ということです。

つねにざわついている頭の中を、冷静に思い返すためのツール。
1時間半の礼拝のなかで、頭がどんどんすっきり、クリアーになっていく。

その感触を味わいたく、毎週教会に通うようになりました。

こうして書いてみると、おそらく、伝統宗教にしろ、新興宗教にしろ、そんな感想を覚えるのは同じだったのかもしれません。新興宗教への警戒心がある程度高かったことで、宗教に入信するにしても伝統宗教で済んだといえるのかもしれません。

洗礼を受ける

そんなわけで教会に通い、聖書を読み始めるなかで、洗礼を受けることを教会の信徒の方に薦められました。

正直なところ、メンタルも人生もぐだぐだで自立していない自分が洗礼を受けクリスチャンになるなど、恐れ多く、早すぎることかと思っていたのですが、「洗礼はスタートであってゴールではない」と言われ、洗礼を受けることに決めました。

ちなみに、他のキリスト教の教派の方と比べると、どうも、自分が通っている教会は洗礼までの期間が短いように見えます。教会に通いはじめて1年くらいで洗礼に至りました。

洗礼を受けるときは牧師に、自身のメンタルや発達障害のことも当然話をしましたが、そのうえで洗礼を受けることになりました。

その後も、メンタルが悪化して日曜の午前中に教会に行けなくなり休んだり、教会の行事をドタキャンしてしまったりなどいろいろあったのですが、いまでも可能なときは教会に毎週通い、礼拝に出席しています。

 

キリスト教会の中のメンヘラ

実際にキリスト教の信徒になってしばらく経つと、実は教会にもメンヘラがたくさんいることがわかってきました。

教会にはメンヘラがいる

洗礼を受けたばかりのころは、周りの他の信徒の方は、信仰心が篤く、メンタルの悩みなどあまり抱えていないのでは、と勝手に思っていたのですが、どうやら、いろいろあることがわかってきました。

見たところ、教会の信徒は大きく2つに別れます。

・先祖代々クリスチャンで、家の宗教として教会に通ってきた人
・大人になって自覚的に洗礼を受けた人

自分は後者の、自覚的に洗礼を受けた人であるわけですが、どうも見ていると、その中には相当数、メンタルに何かある人がいるということが、うっすらとわかってきたのです。

とくに30代以下の比較的若い世代に顕著だと思いました。

この時代に自覚的にキリスト教の教会の門を叩く人は、みな、きっかけが精神的ななにがしかなのだと思います。

もちろん全てではないですが、本人がそう話してはいなくても発達障害があることが分かる方や、どうやら精神的に不調を抱えている方がいることが、自分の通っている教会や、他教会の方と交わっていくなかで手に取るようにわかりました。

また、Twitterでクリスチャンの方を検索してみると、多くの方がプロフィールに精神疾患や発達障害を抱えていることを書いていることもわかります。

教会にメンヘラの居場所はあるか

実際にキリスト教徒となってみて、教会に居場所はあったのでしょうか。

あるともいえるし、ないともいえます。

まず、教会はメンヘラだろうがそうでなかろうが、人を受け入れてくれます。
とくに、メンヘラ.jpを読んでいるであろう、比較的若い世代の方は、教会に来たらとても喜ばれるでしょう。

伝統派のキリスト教会は、いま、どこも信徒の減少に悩まされています。
そもそも日本でキリスト教が一気に流行ったのは戦後すぐのこと。教会が敗戦後の行き場がない若者の受け皿となったわけですが、いま、その世代の信徒の方がどんどん亡くなっていっています。

すると、30代以下の世代は、「若者」としてなにかと頼られ、可愛がられるわけです。
正直なところ、自己肯定感はかなり与えてもらえます。

また、自分はメンタルのことをわざわざ話さないようにしていますが、おそらく周囲にはうっすらと気づかれていて、多少教会の行事などに穴をあけても、現状、多少は大目に見てもらえているような気がします。

おそらく、メンヘラの若者を教会の人は見慣れているのだと思います。
また、将来の成長を見越して、ゆっくり見守ってもらえているのだと思います。

ちなみにカルト宗教でよくあるらしい「メンタルが悪いのは神の裁きである」とか「信仰が足りないせいだ」というような脅迫は、自分の教会を含め伝統派のキリスト教ではおそらくほとんどありえません。

コミュニティの将来への不安

しかし、教会をメンヘラの居場所として考えたときに、いまはよくても、将来、このコミュニティがどうなっていくのか、という漠然とした不安は感じます。

高齢化が日本社会以上に進行しているキリスト教会。
いま信徒の大多数を占めている高齢者がこの世を去ったとき、自分を含む、一気に減少した信徒で、教会の礼拝堂を維持し、コミュニティを持続させなければならないのです。

いまは戦後世代の貯金で教会が続いていますが、メンヘラである自分が教会の中心世代になったとき、はたして、コミュニティを維持できるのか。教会に通う中で、これはいつか直面しなければならない課題です。

メンタルのことをクローズにしている

これは自分の問題ですが、周囲の教会員に、自分がメンヘラ・発達障害者で障害者手帳も持っていることを、基本的にはクローズにしています。

別にそれを言ったところで周囲の態度が変わるわけではないのですが、なんとなく、わざわざ言うことでもないと思ってそうしています。

なぜそうしているのかというと、恐れているのは、自分が「障害者枠」扱いされるのが嫌だからです。◯◯さんは障害があるから、という扱いをされて、もしもあからさまに憐れみの目線で見られたら…。まあ、今更自分の教会の人がそんなことはしないと思いますが、ちょっと、その点はいまひとつ踏み切りきれません。

ただ、メンタルが原因で教会行事などで迷惑をかけてしまったことがあったので、一部の人にはそれを話し始めつつもあります。

ちなみに自分の教会では、身体・知的・精神障害者の方への奉仕も行っていて、手伝ったこともあるのですが、精神障害者の自分がそのことを隠して他の障害者を助けようとすることに矛盾を感じたこともありました。

 

結局、救われたの?

教会に通いはじめて自分が変わったのか、といわれると、変わったともいえるし、変わっていないともいえます。

キリスト教的には、洗礼を受けた時点で(魂は)救われています。

ただ、そんなことを言われても、自分の物事の考え方やメンタルが明白に変わったわけではありません。おそらく救われているのだろう、というくらいです。

キリスト教会には、場所によってはたまに「わたしは救われたのよハレルヤ!」という感じのおばちゃんがいることがあります(ハレルヤおばさんと呼んでいます。うちの教会にはいません)。正直そうなったらちょっと嫌だし、別に自分がそういうふうな態度になれるとも思いません。

自分がキリスト教会に通うスタンスは、人生を通じて過程として、よりよい方向に進んでいくことなのだと思っています。わかりやすく一気に変わることはなく、少しずつ、日々の信仰の中で変わっていく。まさに精神の拠り所なのではないでしょうか。

自覚的になっただけで、はじめて教会に行ったときに感じた、これは思考を整理するためのツールなのだ、という意識は、根本では変わっていないのかもしれません。

教会には3種類の人がいる

以前、他の信徒の方と教会には3種類の人がいるという話をしました。

1.神を心の底から信じている人
2.神が「いることにする」人
3.とくに信仰には興味なく、コミュニティや社交サロンとして通っている人

自分はおそらく2番です。
わかりやすく明白な確信には、そうそう到れるものではありません。
ただ、その疑いと信じることのせめぎあいのなかで、生涯はよりよいものとなっていくのだろう、と思っています。

ただし、「神がいることにする」というような発言をしたあとで、そんな神を疑うことをしてしまってごめんなさい! という意識も心の底から湧いてくるので、自分は神の存在を明確に認めるような、信仰も持ちつつあるのかもしれません。

伝統宗教はゆるいセーフティネット

このように、自分は教会に毎週通っていますが、クリスチャンのなかではゆるい感じなのだと思います。そして、伝統派である自分の教会は、宗教としてゆるい感じなのだとも思います。

でも、それでいいのだと思います。
伝統派ゆえに、急進的になることもなく、ゆるく、セーフティネットとして、ある程度の心の支えになってくれる。

居場所にもそれなりになってくれる。
逆にいえば「そこしか居場所がない」ことにもならない。

ゆるいセーフティネットという存在意義が、伝統派の宗教にはあるのだと思います。

 

宗教一世と宗教二世

さて、女優・清水富美加さんの出家の話題では、彼女が新興宗教の二世信者であることが、話題の要因になりました。

自分はわかりやすく宗教一世であるわけですが、伝統宗教において二世の方はどんな感じなのでしょうか。

キリスト教会の二世以降は「檀家」

自分の教会で、明治以来先祖代々クリスチャンという方を見ていて感じたことがありました。

それは、この人たちは「檀家」なのだということ。

普通にお墓の話とか出てきます。
もう、伝統宗教は完全に家の宗教になってしまっていて、正直なところたまに、教会にいる人がほぼ全員キリスト教徒であることが不思議に感じることもあります。

日本ではキリスト教が舶来の宗教であったため少数派であるだけで、少なくともカトリックや聖公会、ルーテル、日本基督教団といった伝統系教派の二世信徒は、家の宗教がキリスト教という以外、他の日本人と変わりないのではないでしょうか。

キリスト教徒の子供は高確率で教会に来なくなる

では、子供が宗教を選べない、という話についてはどうでしょうか。

親は子供を教会に連れてきます。日曜学校にも参加させます。

ただ、話をきいていると、小学生までは来ていても、中学生以降、部活などで日曜日が忙しくなると、教会に来なくなることが多いようです。

その代わり、たまに来たときは昔なじみの信徒のおばあちゃんに可愛がられたりしています。
自分には田舎というものがないのでわからないですが、多分、田舎のお寺で、法事でおばあちゃんに再会するというのもそんな感じなのでは。

伝統系キリスト教会の二世以降は、もう完全に、檀家です。

二世以降への生活への束縛はあるのか

清水富美加さんの話題と前後して、親が子供に狂信的な束縛を与える漫画が話題になりました。

https://twitter.com/alpaca_mofu/status/827139449507045377

上記はおそらく某キリスト教系新興宗教の体験談ですが、伝統派のキリスト教では、そういう話はあまり聞きません。上にも書いたようにキリスト教にも様々な新興宗教があり、それらの一部はあまりよい噂をきかないようですが……

服装は普通ですし、髪の毛も普通に染めますし、離婚歴のある方もいますし、恋愛も普通にしているようです。

こう書いていくと、伝統派のキリスト教普通だよ! というアピール満載な気がして、我ながらよくないのではと思うのですが、「親の宗教は選べない」ということはヤバい宗教だからまずいのであって、比較的温厚であることが多い伝統派の宗教なら別に関係ないのでは、と思うのです。

もし宗教に興味を持ってしまったメンヘラの方がいたら、そのことを肝に銘じて、その宗教は危なくないのか、チェックしてみるとよいのではないでしょうか。

 

宗教一世のメンヘラにとって宗教は生きていくためのツール

二世、とくにカルト的な宗教の親を持った二世にとって、宗教は足かせとなるのでしょう。

しかし、その二世信者の親である一世は、おそらく自分と同じように自覚的に宗教を選んだのです。運悪く、それがあまりタチの良くない宗教だったのでしょう。

そのような悲劇を繰り返さない方法を考えようとしても、人は宗教に入るときは入ってしまいます。あだからせめて、危なくない宗教につながっておくのは、危ない宗教から自分を守ることでもあるのだと思うのです。

伝統派の宗教の力が弱まっていることも、新興宗教に人が誘引されていく原因なのだと思います。

メンタルが弱っていると、宗教的な存在に惹かれることもあると思います。
そんなときは、おかしな宗教にひっかかってしまわないように、せめて、自衛するための知識を持つとよいのではないか、と思います。


【投稿者】
広尾蘭 さん

【プロフィール】
自閉症スペクトラムの診断を受けています。 文章を書いたり、何かを作ることが好きです。 江戸時代に生まれたら村一番の鍛冶屋になっていたと思います。

twitter : @hirohran


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1 件のコメント

  1. 黎明 返信

    大変に面白い文章です。
    私は伝統派キリスト教三世です。一世の方が客観的に見た教会の様子が的を得ていて、笑いました。
    信仰についても、もっとお考えを聞きたいです。

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