自己肯定感の低いメンヘラ女子がモラハラ男に引っかかり、心身ボロボロになりつつ学んだ人生の教訓


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初めまして。普段は一読者として楽しませていただいています、葉っぱと申します。

つい先日、自己肯定感の低いメンヘラ女子がモラハラ男性にホイホイ引っかかり心身ボロボロになり、話をめちゃくちゃこじらせた末無理やり別れるというというメンヘラ通過儀礼みたいなものを終えてまいりましたので、そこで感じたことも含め文章にしたいと思い投稿させていただいた次第です。よろしくおねがいします。

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その男性と付き合い、そして別れを決意するまでの経緯はまあよくある話で、優しいと思って付き合ってみたものの蓋を開ければ怒る頻度と程度がマジパネエやつでした。意にそぐわない思想や言動なんかを私が懐からチラ付かせようもんなら怒鳴る。そしてそれに加えて彼にしか理解しえない理屈でさも正しいかのように非を責められる。

何度かの別れ話(未遂)を経ながらそういう状態が1年近く続き、気付けば心身のいろんなところに異常が出たり、生活のいろんな場面に支障を来したりするようになったため、これもうアカンやつやと物理的に距離を置くことで無理やりお別れに至った次第です。一応、互いに納得のいく形での別れを…と対話を試みたものの、こいつの出身地はアマゾンの奥地かってくらい話が通じんかったので撤退しました。

で、現在といえば状況が落ち着くまでしばらくは話が通じる方や近くに住む友人のお世話になりながら、仕事以外では基本的に家にこもらざるを得ない状態なのですが(過去に自宅のドア前で3時間待たれたり、私が帰宅する瞬間を狙って家の中に押し入ってきたりといったテンプレメンヘラ事案も発生していたので、念の為)、過去の自分と比べて顕著な変化が起こっているのを目の当たりにしました。

それは「ひとりでも普通の生活ができている」ということです。

 

◆ひとりでも普通の生活ができなかった今までの私と、今の私

私は、去年の春にADHDの投薬治療を始めるまで、なにも予定のない休日は基本的にベッドの中で大半を過ごすことが殆どでした。ベッドから身体を起こして生活に必要な行動をするということが、何故か気が重くて重くてできなかったんです。

どれだけ寝ても、憂鬱な出来事がなくても、「起きて行動する」ということ自体が私にとってなぜかひどく気が重くなるイベントで、「起きなければ」と思えば思うほどベッドから起きられない、というのが、これまでの私でした。

だけど今日は違いました。昼ごろには気合いでベッドから脱し(この時点で「普通」と言っていいのか若干微妙ですが)、必要な連絡等を返し、ゆっくりお風呂に入り、ついでにお風呂とトイレの掃除をし、元彼が家に置いていった荷物を返送する準備をし、通信教育の添削課題を終わらせ、そして現在は冷蔵庫にある適当なものでご飯を作ったところです。今自分でやったこと書きだして自分でびっくりした。

今までお別れ直後の悲しい日に(しかも相手からはまだめちゃくちゃ連絡が来るという恐怖不可避な状況に)、ここまでのことができる力が私にあっただろうか、いやない。

 

◆「自分で自分を大切にする」という言葉の意味

まあ大半はお薬の力だと分かってます。かがくのちからってすげー。

一方で、この1年弱の付き合いで彼から貰ったものや、自分で手に入れたものの中に、「自分で自分を大切にする力」があったんだなあとも感じました。

彼は私に対して怒るとき、25%ぐらいの確率で「適当にやった事は自分に返ってくるのだから、もっと丁寧に、ちゃんとしなさい」という旨の説教をすることがありました(残りの75%は怒ってる理由がちょっとわかりませんでした)。「めんどくさいって理由で自分が納得していないことをするのはやめなさい」とも。そういう時の彼は、私の言動というより、私の生きる姿勢に対して怒っているようでした。

「自分を大切にせず、自分のことを適当に済ませて、いつか私がいなくなったときにあなたが苦労するかもしれないと思うと、あなたのその生き方は見ていられない」と。(実際はこれを100倍ぐらいの口数で途中に人格否定も挟みつつ罵倒されていましたが)

その時は

「それをキレながら言うお前のほうが私のこと大切にしてねーだろーよ!まず私そこまで苦労してちゃんと生きる気ねーから!適当に生きて、親が死んで兄弟が自立したら適当なタイミングで死ぬつもりだから!長生きする気も家庭を作る気もなくて、今仕事してるのもいつまで生きなきゃいけないか分からないからとりあえず死ねるまでの生活に足る金を稼いでるだけだから!!」

と心の中でクソのような悪態をついていたのですが、別れの寂しさやら今まで罵倒されたことによる思い出し鬱(思い出し笑いの鬱版)とかでベッドから出られなくなった時、ふと「自分で自分を大切にしなさい」という彼の言葉が頭を過ぎりました。

そして、明日以降の自分が困らないように用事や家事を済ませたり、自分の身体を気遣って野菜やら肉やら使ってご飯も作ってみたら、なんだかとても気が晴れたというか、誇らしい気分になった自分がいました。「やればできるやん、ワイ」と素直に思えました。

そして、「彼が私に伝えたかったのは、こういうことだったのか」と気付きました。

私はずっと生きることが辛くて、適当でいいから早く人生を消化して早く楽になりたいと思っていたのだけど、私を生きづらくしていたのはその「適当でいいから早く人生を消化したい」という思考や行動そのものだったのかもしれません。

すべての行動が適当だから私生活も趣味もうまくいかないし、それが「こんな事もできないクズはどうせ生きてても意味ない」思考に拍車をかけ、また「早く人生終わんねーかな」の無限ループへ。

彼に出逢わなければ、「自分で自分を大切にする」という言葉をいくら聞かされても、その意味や必要性を感じることなく、適当に生きて適当に死ぬだけだったかもしれません。

そして彼に言われなければ、今日薬の力を借りてやることをやりきったとしても、「やっぱり薬を飲めばこれぐらいはできるんだよなあ」と、素直に自分を評価せず終わってしまうだけだったかもしれません。

 

◆伝え方を知らなかった彼と、キャパシティを超えてしまった私

そしてそれを彼が私に怒鳴ることでしか伝えられなかったのも、彼自身の生きづらさのせいだったのかなあと勝手に思っています。(DVに走ったり、なんでも自分の思い通りにならないと怒る人にも、そういう生きづらさを抱えるタイプの人が一定数いるのかもしれないなあと、今回の件で再認識しました)

彼自身、診断こそないものの「定型発達と少し違う」ところがあり、「要領よく生きることができないから、生きるために必要な動きをルール化した」と言っていました。

だからこそ、彼の考える「最適な動き」で動けず、結果失敗する私を見ていて、我慢できない思いがあったのだと思います。それが、「失敗した私が悲しそうにしているから」なのか、単に「彼の定めた最善ルートから外れたから」なのかは分かりませんが。

とにもかくにも、同じような発達特性を持っていて、同じ苦しみを知っているからこそ、そして私に本当に辛い思いをしてほしくなかったからこそ、彼は私の行動が許せなかったのでしょう。

同じように私も、要領よく生きられない辛さを知っているからこそ、彼の生き方は危なっかしすぎると思っていましたし、本当はそれを何とかしたかった。

うまくいかずに自分や周囲から失望されることから自分の心を守るために、「失望されないよう自分の行動を完璧にすること」と「それらしい理屈と怒り顔や怒声で周囲を牽制すること」という方法しか持たない彼に、状況じゃなく自分の受け取り方を楽にすることで生きづらさが軽減することもあるんだよってことを伝えたかった。

だけど結局それはできず、私が恐怖や不安に耐えかねて別れるという形を取ってしまったのでした。

 

◆まとめ

そんな感じで、ひとつの恋愛が終わりました。

私には恐怖心と罪悪感しか、相手には(相手の気持ちは分からないので推測でしかありませんが…)捨てられたという思いと更なる人間不信しか残らない、後味の悪い恋愛をしてしまったなあというのが別れた直後の率直な感想だったのですが、その中で先述した「自分で自分を大切にする力」を見つけられたことは、私にとっては大きな救いになりました。

これからは彼が残してくれた、「自分で自分を大切にする」という考え方を大事しながら生きようと思います。きっとそうすれば、自分のやりたい事や目指したい生き方もいつかは分かるんじゃないかと信じています。

そんでもって彼からは依然として連絡が来まくるんだけど、それとこれとは別の話です。私には無理だったんで君は君の方法で別のところで幸せになってくれ!アデュー!


【投稿者】
葉っぱ さん

【プロフィール】
ADHDの治療を受けつつ社会人をやっています。通院やメンタル不調による突発休等が多い理由を、会社では「膀胱炎」と言い張り続けています。
Twitter:@i_w_happa
ブログ:http://tricolore330.hatenablog.com/


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