「誰かに求められるために生きるのではない」 重度の共依存から抜け出した私の話


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初めまして。現在は診断書上は双極性障害2型、通院歴10年、ただしおそらく高校生の頃から何らかの病はあったと思われます。旧ザク子と申します。

共依存というものが、長らく私にとって重大なテーマでした。

共依存とは、あっ、ググっていただけますでしょうか。メンヘラの皆様はおおよそ聞いたことあるワードかとは思います。
すごくおおざっぱな言い方をすると、健全な頼り頼られ、ギブアンドテイクではなく、自分の存在意義、評価を他人に委ねてしまう不健全な関係性のことです。

私は19歳から24,5歳までお付き合いをしていた元彼との関係性が共依存そのもので、しかしそうだと気づくのが遅く、また、気づいたところですぐに彼から離れることはできず、長らくもがき苦しみました。今で言うメンヘラ女とメンヘラホイホイ男そのものだったのです。

私はとても彼に尽くしました。いつも一緒にいました。彼に困ったことがあると何でも助けてあげたいと思いました。(ただし、彼はそれを時々嫌がることもありました)

彼は、情緒不安定で少し浮世離れしたところのある私のことを可愛がってくれました。ふたりでひとつだね、とか、俺達はぴったりと合う鍵と鍵穴だったね、とか、惹かれ合うべくして惹かれ合い永遠に共に生きる存在だとお互い思っていました。

 

少し関係が狂いだしたのはいわゆる「相談女」が現れてからです。

彼は「困っている可哀想な女」を放っておけないタイプで「話が合うただの友達」と言いながら浮気のようなことを何度かやっていました。

私は自己評価がとても低く、また、自分と他人との境界をうまくつけられないタイプのメンヘラです。彼は私のものだし、他の女と二人きりで会うなんて許せませんでした。他の女と親密なメールのやり取りをしているのも、飲み会で女子と二人で話してるのを見るのさえ嫌でした。

いま思い起こせば、私の束縛は過剰でしたし、彼の「誰でもいいから助けたい」感も何かおかしかったのです。彼につけこんできた女どもは言わずもがな。

それでも「障害があるほど燃える」とはよく言ったもので。
帰ってこなかった彼を一晩中探し回ったこともあったし、私をビンタして出ていった彼を泣きながら追いかけるとかそういう漫画みたいなことは一通りしたと思います。結婚しようと話していてお互いの親に紹介もしました。今思えば滑稽ですね。こんな関係で結婚生活がうまかいくわけがありません。

付き合って4年後に私は仕事のストレスもあり、精神科のお世話になりました。その1年後くらいから、彼も不眠などおかしな症状が出るようになりました。
トリガーはいろいろあったけれども、メンヘラ予備軍であった私と彼はバタバタッと順に倒れてしまい、「別れよう」「別れたくない」「もう愛してると言えない」「じゃあ別れるけど一緒にいたい」「別れたけど好きだから一緒にいるけど、他の男とも遊ぶ」とズルズルと名のない関係を一年半ほど続けました。

とはいえ、私にとっては大好きな人にセフレ扱いされてるようなつらいものでしたので、ある時我慢ならなくなって、彼に暴言を吐きました。
実を言うと、いつもどおりのらりくらり躱してくれることを期待していたのですが、彼は、「わかった。そこまで言うならもう終わりにしよう」とメールをしてきてそこから音信不通になりました。

立ち直るのに4,5年かかりました。今でもふと思い出して、暴言を吐いたことを謝りたくなります。

でも、

なんであそこまで酷い扱いを受けていて、私が謝らなければならないのかと。

そう冷静に思えるようにもなりました。

仕事もブラックでしたので、メンタルだけでなく身体もあれこれ病気をしてしまい、こどもが産めない身体になるんじゃないか……?と気づいたときに、我に返りました。

私を大事にできるのは私しかいない。私を守れるのは私しかいない。そして、誰かに求められるために生きるのではない、私は私のために生きなければならない。死にたいけど死んじゃいけないんだとしたら、そうやって生きるしかないんですね。

私はその後、当時の彼氏が結婚してくれないことが判明してバッサリ別れてからあれよあれよと人生がうまくいき、今は健全な夫と暮らしています。そんな私のいまの課題は病院を変えて薬を減らすことです。


【投稿者】
旧ザク子 さん

【プロフィール】
診断書上、双極性障害2型。その他婦人科疾患、たぶんアスペルガー傾向あり。


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