母から繰り返される「死にたい」という言葉




最初に「死にたい」と言ったのはいつですか?
最初に「死にたい」と聞いたのはいつですか?

皆さんは、覚えているでしょうか?

 

覚えている限り、わたし「死にたい」とはじめて触れたのは小学四年生でした。

夕方の台所は薄暗く、ただいまー!と言いながらいつものように帰宅したわたしの目の前には、椅子に座り、頭を抱えうなだれた母がいました。母のか細い声の「おかえり」にわたしは、今まで感じたことのない恐怖や不安に襲われました。いつもはそんなことしないにも関わらず、母の近くで、学校であったことなどを、べらべらと話しました。話が途切れ、シンとした空気の中、どれくらい沈黙が続いたのか、わたしを視界に入れていない母が、「死にたい」と言いました。

死ぬということがどういうことなのか、死ということが年齢的になんとなくわかっていたわたしは、珈琲をいれて隣に座り、根拠のない「大丈夫だよ」を繰り返しました。

「わたしがいるのに死ぬの?わたしがいるから大丈夫だよ」

と、そんな感じで、その日から繰り返される母の「死にたい」に小学生の私は答えていました。母は、「ありがとう」と泣きそうになりながら、言ってくれました。

この頃、わたしは母を守るために強くならなくちゃ!と思うようになります。泣き虫だったわたしが一切泣かなくなったのはこの頃です。幼いわたしは、泣かないことは強いことだと勘違いしました。泣くことは弱いことだと、恥ずかしいことだと、泣きそうになるたびに自分に言い聞かせていたら、本当に泣かなくなりました。

後から知りましたが、母は不安障害だったそうです。過呼吸をいきなりおこし、昼寝から起きたり、床に転がっている母、過呼吸で気絶したようでした。つよく、つよく、ならならなければと思いました。母を守らなくてはと必死でした。どれだけ学校で悲しいことがあろうと、家の中では笑っていました。家でどれだけ悲しいことがろうと学校では笑っていました。

小学生の高学年、一度だけ泣いたことがあります。それがとても恥ずかしく、屈辱的で、まだ弱いままなんだと思い知らされた気分でした。フェイクを入れたいわけではないのですが、小学生の頃という大枠しか思い出すことができません。母が痩せていった(拒食症ではなく胃痛)のは思い出せるのですが、自分がその時何歳で、どう思っていたか、思い出せずにいます。

一度泣いた高学年の時を除き、学校でわたしは口の悪い、目つきの悪い、身長低い態度のでかい、そんなでした。主に女の子を守らないとと考えていました。よく聞く、「ちょっと、男子ぃ〜〜!?」なんて可愛げはありませんでした。「おいこら男子、何しとんのや?あ?」といった感じが現実です。

ある男子とのやりとりがちょっとアレだったのが、逆に思春期の同級生には、『好きだけれどお互い素直になれない2人』にうつったらしく、そんな噂をされてることを聞いたりもしました。しかし、わたしには初恋もありません。ませた女の子からは「ねぇ、誰が好き!?」なんて聞かれたりもしました。とりあえず上記の男子の名前をあげときました。ごめんね、あの時勝手に名前を使って、とここで謝らせてください。

母の「死にたい」に慣れていくわたし

中学に上がった頃には、過呼吸の対処に苦戦することもなくなりました。

タオルを持ってきて、口と鼻にあて、「吸って、吐いて、ゆっくりね、大丈夫。しっかり吐いて、しっかり吸って‥」と声をかけながら、背中をさする。わたしの中ではもうそれは一連の流れで、慣れたものでした。

そんな日々を送ってたところ、わたしは幸か不幸か、中学2年の終わり、起立性調節障害になりました。ある日突然寝起きに立ち上がれなくなりました。ただただ布団に潜って、夕方から布団から這い出て、作業みたいにPCを起動させる。決められた時間以外は自分の部屋にいるようになりました。

無理やり笑わなくて済むことに安心したのでしょうか。病名が出るまでゴタゴタがありましたが、とても安心しました。学校と家の両方で笑っていなくても良くなったからでしょうか?自室、1人でパソコンをカチカチとクリックするのは、とても楽しい日々でした。自分の部屋が城になったのも、この頃でしょう。

昔から、問題ごとに首を突っ込む癖が抜けません。

女の子だと特にです。親切づらした良いお世話ですね、今はこの首を突っ込んでいく癖もやめたいです。

あの頃、父と母の間に立っていたのが、わたしだったからでしょうか?今となってはわかりません。問題があったら解決しなきゃと思ってしまうのです。争いがあれば無くさないと悲しいから。

最近は少しずつできるようになりましたが、相談するということが、長らくできませんでした。相談したところで解決しないと知っていたからです。そう思い込んでいたからです。カウンセリングが肌にあわなかったのも、これが理由ではないかと思います。

 

周りにもあふれる「死にたい」

家で聞くだけだけだった「死にたい」が、高校に上がってからそこら中に溢れるようになりました。それまで知らなかったはずなのに、みんないつの間にか覚えて使うようになるもんなんですかね。「お腹すいた〜〜」と同じ軽さで使われる「死にたい」、

死にたい 死にたい 死にたい

その頃には、わたしは死にたいという言葉がとても嫌いになってしまいました。周囲の発する「死にたい」を聞くと、イライラしたり、相手に詰め寄りたくなってしまいました。わたしはいつの間にか、周りの「死にたい」という言葉に追い詰められるようになっていました。

「死にたい」という皆さんは、死にたという言葉の重さを知っているでしょうか。ネットで使うくらいならいいのです、そんなものは前から溢れていたから。大切な人に面と向かって、軽率に「死にたい」と言ってはいませんか。

無力です。言われた側は無力です。自分がいても、この世からいなくなりたいと思う気持ちは変わらないのだな、とわたしは小学生の時に思い知らされました。何を言おうと暖簾に腕押し、意味なんてないんです。死にたいは、本院がそのつらさから抜け出せなければ変わりません。そして親も友人も人間です。ふとした時に呟くのです「死にたい」と。死にたいとは言わず、無言で自殺を図ろうとした人もいました。

そんな彼女たちに対して、私はただただ無力で、悲しく、無力でした。そんな自分を恨んでいました。なんて、役立たずなんだと、泣けないから笑っていました。

この頃、どんどんおかしくなり、病院へ通いだしました。

そして今、双極性障害に至ります。

無力な自分に腹はたっても、死にたいという人は責められません。その時彼女たちは確かに死にたいのだから。双極性障害になったのも、別にそんな過去のせいではないと思っています。

「死にたい」と「消えたい」

わたしは、死にたいと、こわいから、その言葉を使いません。人にぶつけられません。とても恐ろしいことだからです。わたしの聞きたくなかった言葉だったからです。

ODをした時に「死にたいと感じていた?」と医師聞かれました。ある種の断定をもって。

わたしはただ、二次元にあるように「消えてしまう」ことを望んでいました。最初からいなかったことになりたかっただけでした。そして、それが現実でできないことも知っていて、逃避先に使ったのです。なぜ死にたさにつながるんだろう?と疑問に思いながら医師の話を聞いていました。そして説明しても無駄だと思いました。それがわたしの中でどれだけ大きく違うことでも。

わたしが病気になったことが原因なのかなんなのか、今は幸い母から「死にたい」と聞くとはありません。あの頃の母はガリガリで、不眠で、気付けば過呼吸を起こしていましたが、今はたまに不安定ではありますが、元気だと言えると思います。

そんなわたしは思春期や反抗期も大して起こしていません。母がどう言ったら傷つくのか知っているからです。わざわざ育ててくれている親に向けて暴言を吐く理由がわかりませんでした。でも、家から死にたいが消えたかと思ったら、そこらじゅうに死にたいはあふれていました。

 

「死にたい」以外の言葉を探して

皆さんは、死にたいですか?

わたしは生きていたいです。いずれきちんと死ねるのだから。

それまでどれだけ悪あがきをしてもいいじゃないですか。どれだけ逃げても、いいじゃないですか。もちろん、死ぬほうが簡単だという人も、いるかもしれませんが…。

死にたいという気持ちもわかります。きっとわたしも、ただ押し殺しているだけです。でも「死にたい」気持ちが心から漏れ出て、誰かにぶつけてしまったときを考えると、それをとても恐ろしく感じます。死にたいと言われた誰か、私に生きてほしいという誰かを、突き落としてしまうのではないかと。

死にたい、生きたい、どちらか迷っていても、毎日は過ぎます。

逃げたい、ここからいなくなりたい、今の苦しみから逃れられるならなんだっていい、記憶を飛ばしたい。色々な日本語があります。

「死にたい」の四文字以外の言葉を探しつつ、わたしはまだ生きることにしがみついています。

自称かわいい乞食、躁うつお手帳1級、おまえでした(アマギフ!

 


【執筆者】
おまえ さん

【プロフィール】
20代無職メンヘラオタクで腐女子。あと乞食。
ひょんなことからメンヘライターに。躁鬱持ちは今日も今日とて生きてます。皆さんお薬ちゃんと、飲みました?
Twitter:@ideograph89

 


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2 件のコメント

  1. 通りすがりの長文コメ魔 返信

    私は多分小学校2年生くらいだったかと思います。母に「結婚は地獄。死にたいほど辛いが子どもがいるから離婚も死ぬこともできない」ということを恒常的に言われ、「自分がいるからお母さんがこんなに苦しんでいる。私が死ねばお母さんは楽になるんだ」と素直に納得(?)し、自殺といえば時代劇の切腹ぐらいしかイメージがなかったので、一人の時に包丁をお腹にあててみたけど、どうしても怖くて手がへなへなとなって力が入らず死ねなかったので、自分はだめな奴だと思いました。

    まぁそれから色々順調にこじらせ、十代後半から二十代ずっとぶり返してはだんだん悪化する鬱に疲れ切り、その間殆ど誰に相談することもなく(やはり私も「相談して解決するような問題じゃない」と思っていましたし、同じく私の「死にたい」で誰かに負担をかけたくなかったのもあります)、これ以上この繰り返しには耐えられない、もうケリをつける。ただその前に、考えうる限り、可能な限りの治す努力をしてみて、本当にどうしようもなかったんですと神様的な何かに心の底から言えるようにしようと思うに至りました。

    それから5年。なんだか二つ目の人生を生きているような不思議な感覚です。寛解するというのは、自分の過去に対する視点が、ガラリと変わることなのかも知れません。今では自分の人生の前半部を思い起こすと、ドロドロした橋田壽●子ドラマなんかを見ながら、せんべい片手に「そりゃ大変だわ〜」とでも言ってる感じの自分がいます。橋田壽●子ドラマ見たことないけど。

    私の場合、苦しんでいる人を救いたいのに無力な自分への失望感は、本当は自分が救われたい気持ちの裏返しだったのかなぁ、なんて思います。「人に人は救えません。できるのは親切にするくらい」という寂聴さんの言葉に、せんべい片手に「ほんとにね〜」です。(せんべいしつこくてスミマセン。)逆に言うと、人が何かから立ち直る際には、かならず本人の力があるんだと思います。運もあるけど。ある人にとって何が最善かはその人にしか決められず、何かその人の問題を解決してあげるなんて力はわたしにも他の誰にもない。生きている人はみんな、どんなに弱って見えても、それぞれのスタイルで真剣勝負で頑張っているんだと今は思います。死にたいと言う人も、死にたいと言いたくないという人も。

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