統合失調症急性期から、正気を取り戻すまで




お世話になっております。ヤマカワと申します。

以前メンヘラ.jpでは、統合失調症急性期の体験記事や、統合失調症の体験VRに関する記事を書かせていただきました。

幸いなことに、上記の記事は多くの方々にお読みいただくことができました。本当にありがとうございます。

【関連記事】
・統合失調症急性期だった私の体験談
・「統合失調症VR」は本当にリアルなのか?統合失調症経験者が体験してみた

 

今回の記事では、前述の記事のような統合失調症の発狂状態(急性期)、

・スーパーですれ違った女性の買い物かごにネギを入れて立ち去る
・第三次世界大戦が起きると確信し、道行く外人に「World War Third!?」などと声をかける

などなど異常行動をとっていた私が、どのように正気を取り戻していったのか、ということについてお話できればと思っております。

社会人一年目の冬に仕事のストレスで発狂し、地元から上京して徘徊しているところを警察に保護されることになった私。両親に引き取られてからも様々な奇行をしました。記憶が飛び飛びになっていてあまり正確ではないかもしれませんが、その後の話を書いて参ります。

 

(1)精神科に連れて行かれる。

両親とともに交番からタクシーで地元に帰ってから、時間の感覚も場所の感覚も分からない状態に陥りました。正直、夢と現実の境界線が分からなかったです。あの時言われたこと、聞こえたこと、考えたこと、見たことなど、全て「本当に現実だったの?」と聞かれると、「いや、正直わからん……」と答えることになりそうです。

そんな混乱していた頭の状態で、唯一確実だったことがあります。

父の車で、精神科クリニックを初めて受診したことです。

実家の自室にいるとき、たまたま本棚にあった詰将棋の本がありました。もう理由とか全然覚えていないんですけど、それを目にしている間は徘徊とかしなかったし、めちゃくちゃ集中しながら解いてました。5手詰ぐらいまではサクサク行けたんだけど、7手詰の一問目が結構難しかった気がします。

そんなこんなで詰将棋を解いていると、気がついたら精神科クリニックの駐車場まで来ていました。いつの間に車に乗ったんだろう。父が無理矢理乗せたんだろうか。ちなみに気付かなくても、当時の本人は全然疑問すら抱きませんでした。よく考えりゃ突然ワープすることがあっても造作もないくらい稀有な脳内体験沢山していたからなぁ。

そんなこんなで、一人で車の中で待たされたような気がします。

次にある記憶は、病院の受付のところで症状を聞かれたこと。初診なので恐らく色々な聞き取りがあったのでしょう。「お前、どうした?」みたいなことを父に聞かれた気がしますが、質問の意図さえ十分把握できず、また東京徘徊時に駅や交番でなったのと同様、ここでも言葉がほとんど喋れない状態になりました。喋ったら殺される、じゃないけど、それに近い状態の妄想があったように思います。辛うじて口にできた言葉が

「不安定」

だけでした。それだけ書いた父が紙を受付に提出したところで記憶はまた切れます。

次の記憶は興奮した表情の主治医。普段お話するときはとても穏やかなんですけれど、さすがにこの時は尋常じゃなかったんだと思います。かなり目を大きく見開いていた気がする。

何を聞かれたかはもう全く覚えていないです。父が隣に座っていて、何かを言っていたかもしれません。言ったら殺される、言え、言うな、言え。頭を抱えて文字通り錯乱した状態で。何とか一言だけしぼりだすことができました。

「被害……妄想……」

これだけ言ったら、主治医も父もなぜか妙に納得していました。

この時かな、もしかしたら前後するかもしれませんが。主治医の手元の書類を見たときに

「主訴」

という単語が目に入りました。

「訴!? 裁判!? 妊娠させた彼女の事を訴えるの!? ちげぇよおれは裁判がしたいわけじゃないんだ!!」

と頭の中では本当に絶叫していました。声に出してはいなかったと思いますが。

興奮状態になってしまったのか、立ち上がって診察室を抜け出します。「どこに行くんだ」と追いかける父。診察を受けた隣の処置室に乗り込んでいって、そこにいた看護師さんと目が合います。

蛇に睨まれた蛙みたいに凍りついてこちらを見る看護師さん。多分私も鬼みたいな形相していたんじゃないかと思います。

くそっここにも敵がいたか……翻って受付あたりまで逃げる。追いかけてきた父の声がして……病院での記憶はそこまでです。

 

(2)薬が効いてくるまで

病院に行ったらすぐ治るかと言ったら、当たり前ですけどそんな訳なくて。しばらくは発狂状態が続きます。次にある記憶はもうぼんやりしています。

自宅。いつも散らかっているのに妙に片付いたコタツ。
普段は家族みんな勝手に部屋で過ごしているのに、なぜか集まっている。
姉が神妙な顔をして父と話している。
何を話しているのかはわからないけれど、かなしくなり泣いていました。

テレビで大勢の犠牲者を出したテロ事件の映像が流れていて。
そこで自分の友だちがみんな殺されてしまったという妄想に駆られます。
現地に行かなきゃ……という思いも強くありましたが、家からは出られず。
姉に「ねぇ、今何が起きているの……?」と泣きついたことを覚えています。

彼女孕ませちゃったし(妄想です)、
しかも暴力団の娘だったし(こちらも妄想です)、
友達殺されちゃってるし(妄想なんですが本人は確信しています)。

色んな暴走を詰め込んだ一言でした。姉がとても困った表情をしていたのを覚えています。

夜。リビングに布団が敷かれ、私がそこに寝かされていて。
「寒いんでしょ!? ねぇ寒いんでしょう!?」
と母が叫びながら何枚も何枚も掛け布団とか毛布とかを叩き付けるように重ねてきました。
「お母さんやめて」と姉が言っていたのをぼんやり覚えています。

新聞が届けられたのに気が付いて目を覚ましたとき、玄関へ行ってニュースの一面を見ます。記事の内容は覚えていませんが、「7」という数字が書かれていたことだけはよく覚えています。

あぁ、今この瞬間また友達が7人殺されてしまった(これも妄想なのですが、友人が一気に7人亡くなったという宣告をされた状況を想像していただければ)。泣き崩れます。

早くなんとかしなきゃ。早くなんとかしなきゃ。
もうおれ死ぬしか無いのかな。
おれが死ななきゃみんなが死んじゃう…。

こうした妄想の渦の中で命を断たずに済んだことは、本当に偶然のように思えます。

次の記憶では、職場にいました。後で聞いた話だと、必死で止める母を押し切って職場に来たらしいです。職場の人々も動揺していたと思います。

会う人会う人に「お前は今病気なんだから休んでろ」と言われました。全然本人はピンときません。それよりしっくりきたのは、廊下ですれ違った時の

「無様だな」

という幻聴でした。

職場に行っても仕事をするわけでもなく、建物内を徘徊していた私を一人の先輩が捕まえます。「おい、ちょっと散歩に行くぞ」と。

先輩の車に乗せられて行った場所は、地元の大きな神社でした。もともと仕事中に色々フラフラしてる先輩だったわけですが。お祈りするぞと言われたので、私も二礼二拍手一礼しました。

私は無心だったけど、あの先輩ひょっとして私の事案じてくれていたのかな。今思えば、サクッと礼を済ませて顔を上げた私の横で、深々とお辞儀をしていたような気がします。

お参りを終えて振り返った時の景色が、すごく綺麗でした。

そんな記憶の断片が、色々なところで散り散りになっていました。

 

(3)少しずつ正常でいられるようになる。

ある日のことです。おやつの時間、ちょうどかつて私が産まれたのと同じくらいの時刻、母とお茶を飲んでいるときでした。自分が今まで、何をしていたのかが気になり始めたんです。

東京へ行ったのは覚えてる。でもその後どうなったんだっけ? 錦糸町駅のモニュメントに置いてきたスマホとか今どうなってるんだろ?そんなことを母に聞きました。母は日記帳を開きながら、色々なことを教えてくれました。

財布とスマホを東京で失くしてきたこと。
東京から連れて帰るのに両親がどれだけタクシー代を払ったかということ。
クリニックで処方された薬を飲んだ次の日は丸一日起きて来なかったらしいこと。
「どうしてこんなことも分かんねぇんだよ!」と母に怒鳴りつけたことがあったこと。

自分では記憶がないことも多かったです。
当時はその突拍子のなさがあまり実感できませんでしたが、今ならいかに危険な状態だったかがわかります。やがて父が帰宅してきます。父からも「自分がどんな状態だったのか」を聞かねばと思いました。
父は私のことを疑い深いような目で見ながら、
「こういう物があるんだが、見せても大丈夫か」と一枚の紙を手渡しました。

診断書 統合失調症の疑い

自分についたレッテルを初めて知ったのが、この時でした。

 

(4)意思疎通ができるようになって

この頃を境に、少しずつ「まともでいられる」時間が増えていきます。
完全に良くなったかというと、そうでもなかったような気がして。
地元のデパートに行ってサングラスを買って帰ってきて家の中で付けて歩き回るとか、奇行と言えば奇行だったのですが、それでも姉とかも「そのグラサン好きだねぇ」とか笑ってくれるくらいには落ち着いて来ていました。

錦糸町に置いてきたスマホと、いつの間にか無くした財布(新宿バルト9でエヴァQを観ていた時に置いてきたらしいです)を受け取りに一人で東京に行くことも出来ました。それを母が許すくらい落ち着いたってことかと思います。

日にちは覚えていませんが、母と一緒にクリニックを受診したときの事を覚えています。
やっぱり最初は主治医がかなり身構えているのがわかりました。
何をやりとりしたかは覚えていないのですが、問題なく意思疎通が出来ていたと思います。
それでも主治医は母に向かって一言。

「今は落ち着いていらっしゃるようですが、急変する可能性もあります。飛行機が着陸するように、ゆっくりゆっくり慣らして行きましょう」と。

その言葉に母とともに頷いて、その日の診察は終わります。

その次の日の夜ころかな、上司が自宅を訪問してくれました。
上司の口から、君は今休職中だということ、ゆっくりして調子が良くなったら復職の手続きを取るということを伝えていただきました。

なるほどそうなのか、とあまり重く考えず納得した自分。
せっかくだしこの時間をしっかり活かさねば! と思います。

それからおおむね1ヶ月ほど、自宅やジムで筋トレをしたり、業務関係の本やビジネス書などを読み込んだりと意識を高くして過ごします。復帰した時にがんばって働くためにです。

この頃にはもう、妄想も幻聴も全くなくなっていました。
ただ、今思えば「がんばって働く準備をしなくちゃ!」という形で、脳が異様に活性化していたな、とは思います。

 

(5)急性期を抜け出すために大切なこと

そんな形で、多くの人々にご迷惑をおかけしながらも、何とか急性期を脱することができました。

個人的な感覚ではありますが、急性期を抜け出すためには、

・早期の通院
・安定した服薬
・安定した睡眠

が絶対に欠かせないと感じます。

統合失調症は、風邪みたいに放っておけば、休んでおけば治るものではないと思います。
むしろ早急に適切に処置しなければどんどん悪化していくものだろうなというのが実感です。
私の場合、早期に精神科へ連れて行ってもらうことができ、薬を飲むことができたので、なんとか落ち着けることが出来ました。

でもきっと、発狂していた時間が長期化すればするほど、正常な世界へ帰ってくることは難しくなっただろうな、と思います。あのまま精神荒廃に至っていても全然不思議じゃなかった。妄想に支配されて人に危害を加えていたら、電車に飛び込んでいたら…。

そう思うとゾッとします。

他の誰でもなく、自分に対してリアルに起こりうることだった、ということが。

それに、私が発狂しただけならまだしも、家族だって限界ギリギリだったと思います。本当に、よく家庭崩壊しなかった。あの期間が続いていたら、家族まで巻き込んで地獄へ堕ちていたでしょう。

読者の皆様は、大丈夫でしょうか。
あるいは周りに「最近ちょっとおかしい人」はいませんでしょうか。

・LINEのやりとりが誰かに読まれているんじゃないかと気になる。
・常に誰かに見られている気がする。
・悪意のある誰かに貶められるような気がしてならない。
。眠れない。悪夢を見る。

抵抗感はあるかと思います。でも、精神科に行きましょう。
早期発見、早期治療こそが、あなたを救います。
もしかしたらあなただけじゃなくて、あなたの大切なひとたちを救うかもしれません。

私をすぐに精神科へ連れて行ってくれた両親、適切な服薬処置をしてくれた主治医には感謝してもしきれません。平凡に生きている自分に「命の恩人」が出来るとは思ってもいませんでした。皆さんにつなぎ留めていただいたこの命、尽き果てるまで有意義に活かさねばと思う次第です。

最後までお読み頂きありがとうございました。
引き続き、何卒よろしくお願い致します。


【投稿者】
ヤマカワ さん

【プロフィール】
ことばとおんがくがすきなめんへらさん。
社会人一年目で統合が失調。そろそろ良くなって来たかな~というところで弟が自殺。
諸々乗り越えた今では精神保健福祉士として、メンがヘラってるみなさんと楽しく過ごしています。

Twitter:@ymkwlab
ブログ:http://ymkwlab.hatenablog.com/
Youtube:https://www.youtube.com/channel/UCv8OYVFH9Sg2MleK1uEHy-A


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