双極性障害、ネフローゼ症候群、肉親の自死、さまざまなことを乗り越え生きていく


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現在うつ状態で布団に潜りながら書いています。

ただわたしの闘病歴を書いただけなのですが、同じ病気の方とかにすこしでも共感してもらえたらうれしいです。

 

きっかけ

十歳の時に「ネフローゼ症候群」という腎臓病を発症しました。再発を繰り返す病気だったのですが、いかんせん腎臓という外からはわからない病気だったので、親や学校の先生からは理解されてなかったように思います。

この病気の治療にはステロイドが用いられますが、副作用も大きく、しかも再発を繰り返すのでステロイドをやめられない…だんだんと病気への不安と理解してもらえないという孤独感で毎晩死ぬことについて考えるようになりました。

 

うつと診断されるまで

中学生になるとステロイド薬の副作用(精神的に不安定になることもある)と病気への不安と思春期のおかしな精神状態のおかげで綱渡り状態で毎晩過ごしてまいりました。すごくイライラしたりしてたんですが、なぜかあまり記憶にありません。

勉強を頑張って高校に入ったら治ると勝手に思っていたけれどまったく治らず、体の調子までおかしくなり、限界を感じて登校拒否になってスクールカウンセラーに今までの経過を話したところ、病院へ行くよう言われ、うつ状態と診断されて抗うつ薬と睡眠薬を飲みはじめました。

しかしそんなにすぐ良くならない。死にたくて死にたくて、でも何にもしたくなくてという状態が続く。

リストカットをしたり、首を絞めたり、処方された薬を大量に飲んだり(めっちゃ寝ただけだった)、泣きすぎて過呼吸になったこともありました。

この状態が治るとはまったく思えず、ならば死ぬしかないと思っていました。

本人的には生きるか死ぬかという精神状態でしたが、周りは「どうして学校に行けないの?」という感じ。ここでわたしが毎晩考えてた「死にたい」ということは、普通の人ならありえなかったということに気づきます。それまでみんな希死念慮あるもんだと思ってた。そりゃあ生きるの楽なはずだ…。もっと早く辛いことを相談できてたら中学の3年間はもっと違ったかな…。

 

母親も鬱に、そして…

このあたりで持病のネフローゼ症候群が再発、そして入院、退院してまた入院、腎生検(腎臓の検査)。(入院したことで学校に行けないことが正当化された気もしていて少し楽でした。)

そして、子供は知らなかったことに、私が死にたかった間に、母親も更年期鬱に…。

相続問題やら仕事のことやらいろいろあったようなのですが、わたしもきっと原因の一つなんだろうなと思っています。

腎生検はもう3回目で、いつも母親が結果を聞きにきてくれていました。
でもその日は父親が。そしてなんだか先生の説明も早め。なぜでしょう。
その後、家の用事があるからと外泊…。なんだろうと思いつつ帰宅。
すると玄関にはお葬式の案内がありました。

そこで母親が自殺したことを知らされました。
今でもはっきり覚えていますし、これからも忘れないと思います。
人はわりと簡単に死んでしまうし、いつ死ぬかもわからないし、うつ病って本当に死ぬ病気って知りました。同時にわたしは死ねなくなったな、と思いました。

 

一旦は良くなる

その後の私は悲しかったぶんなのか、急に気分が躁方面に跳ね上がりました。
学校にも戻ったし(そのあとすぐ通信課程へ転学したけど)感情がえらく豊かになりました。

でも、治ったわけではなくて、しばらくするとまた動けなくなりました。いまから思い返すと、躁状態だったのかなあと。その後心療内科の薬もカウンセリングも効かないし、てか現に母親死んじゃったし、効くんかいなという思いでいました。

高校3年の時に、大学進学しないとこれからの人生真っ暗だ、何もしないままここで死ぬのは嫌だと思って、予備校に通わせてもらうことに。

正直、人が怖くてしょうがなかったんですが、友達もできました。むしろ、通信制高校より、考えが近い人がたくさんいるような場所だったので通うことがそこまで苦ではなかったし、勉強ができるように回復していくのが嬉しかったです。

ふとしたときに感覚が戻ってきました。いままですべてに靄がかかっているようで、動くことも体が重たくて、色んなことが怖くて仕方ありませんでした。それが無くなったのです。小学生ぶりでした。

 

双極性障害と診断される

無事大学も入って(ぎりぎり)ときどき不安定になることはありましたが、なんとかやっていきました。しかし4年生の時にどうもこれはあかんと思って、再び心療内科に。そこで双極性障害の疑いとの診断をもらいました。

少し納得しました。高校の頃の経過の理由がわかる…。
気分の浮き沈みがえらいことになっていた時期もありましたが(急に泣き出したり)、その後は低空飛行が続きました。

 

また死にたくなる

通っていたところは看護師さんが仕事中に誰かと普通に電話するし、待合室はテレビつけっぱなしだし(音がつらいのです)、予約をめちゃくちゃ先まで取らされる(これは薬漬けにして治さない気なのかとさえ思います)ところで、先生は悪い人じゃなさそうだけど、診察室はものすごく散らかっているし、受付のお姉ちゃんくらいしかいいところなくて、いつのまにか薬も切らしてしまいました。

睡眠薬は飲まないほうが頭はっきりするし、、、

病気という診断をもらって安心したことは確かなのですが、気持ちや性格の問題なのではないかと診断を疑ってもいました。調子がいいと薬飲む気もしないし…。

そして約3か月…躁転してたかも知れない
新しくバイトするとか、あちこち行きたいとか、、あれもこれもしたいとか、、、

本当に、急に、死にたくなりました。
夕飯のカレーを手に、これが最後のごはんでいいやって思いました。
テレビを見てたら、内容が死ぬほどどうでもいいことに思えてきました。

ある出来事がきっかけで死にたい
というよりは
死にたいから死ぬ方法をいろいろと考える
という感じで

すごく不安になってきました。死ぬことを考えているけど、自殺したくないのです。死にたいけど、簡単に死ねることも知っているけど、本当は死にたくないのです。でも頭の中は死ぬ方法を考えることでいっぱいです。たくさん泣いていました。死にたいのに死なない自分に腹が立つし、本当に死んでしまうのも怖くて泣きました。

「死にたい」と検索して、いのちの電話が出てくる結果を何度もみて、誰かに助けてもらいたいけれど、どうすればいいかわかりませんでした。

それまでは死にたいと思っても、朝になるともとに戻っていましたが、この時はもとに戻れませんでした。

次の日も同じような状態で、ギターのシールドを首に巻いて、カッターナイフを手に持って、手首をひっかく(切れないカッターだった)ところまで行ったので、泣いて実家に電話して帰りました。

 

いまの状態

そのあとは再び一人暮らしに戻り、新しい心療内科に行き、お薬をもらって(やっぱり一人が不安だったので)実家に帰りました。薬を飲んだらものすごく寝ました。早く学校に戻りたいのですが、また悪化するのが怖いところです。

精神科領域って、本当に病気かわからないところが多いですが、希死念慮がでて、こんなに困ったのだから病気ってことでいいのでしょうか。

学校に再び通えるのか、社会に出られるのか…考えだすと不安だらけです。

現在は抗うつ薬を処方され、先日ラミクタールが新しく追加されました。
抗うつ薬はあまり効き目を感じられませんが、希死念慮は落ち着いた気がします。
病識を持って治療しないと、安定して生きていけないのかなと思いました。

経過を羅列しただけの長文になってしまってすみません。

まわりにこういう病気だ と言えてないのと 自分の状態がどのくらい悪いのか わかっていないのが悩みです。


【投稿者】
みやもー さん

【プロフィール】
通院歴ならベテランの大学院生です 修士取れるかとても不安
高校1年の時にうつと診断 大学4年時に双極性障害と診断されました 身内にわりとメンヘラが多い気がする


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1 件のコメント

  1. ことのは 返信

    初めまして、ことのはと申します

    死ぬ方法を考える場面 こんなにも私の気持ちと同じように文章にしているものがあるのかと一種の感動を覚えました そうなんです、特にきっかけはないけれど死なねばならない、死のう。死ねば解決だとさえ思いずっと死ぬ方法を延々と考えていました
    首を吊ろうと思ったら引っ掛けられるものが無かったのでドアノブでやろうとして 首にかけて体重もかけたけど怖くてやめてそれの繰り返しを何度も行いました

    いまは仕事もできない状態で家にいます 体調がいい時は遊びで外に出れるのでこれは甘えてるだけなのでは?と考えたりします どうなんでしょう でもやはりとてもつらいです

    こんなコメントで申し訳ないです 少しでもみやもーさんが生きやすくなりますように願っております

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