リストカットで尺骨神経を損傷。回復までの軌跡




はじめに、尺骨神経を半殺しにしました。

2017年5月24日現在、私の左手、細かく言うならその薬指と小指は何だか妙なことになっています。薬指は第2関節が緩やかな角度で曲がり、小指は全体的にくるんとしているんです。

端的に言えば、2014年10月31日の夜、私はもうその歴10年、その回数3桁を優に超える自傷行為の末に、『尺骨神経』なるものを損傷しました。

出刃包丁でブスリと刺した途端、痛みこそなかったもののじんわりと指先までしびれが伝ったことで、「あ、私の左手、今死んだな」と妙に冴えた頭で理解したあの瞬間はきっと一生忘れられません、できれば忘れたいです。真面目な話、未だに夢に見たり、メンをヘラ散らかしてる状態の時はその時の記憶がまざまざと蘇ったりしてゲロ吐きます。

お前は一体何の玄人かと言われんばかりの回数、今まで重ねてきたどのリストカットよりも恐ろしい勢いで血液が流れ落ち、衣服や床を血まみれにしながら、ドッパドッパと放出されるアドレナリンの赴くままに狭いアパートのダイニングルーム(※犯行現場)を走り回り、たまにその病的な躁状態のなせる業で普段は苦手なでんぐり返しを血の海の中でやってのけ、同棲中で、ついでに喧嘩中だった彼氏にケラケラ笑いながら報告の電話を入れ――気が付いたら警察と救急隊とのお世話になりながら血まみれの部屋着のままご近所の好奇の目に晒され、咽び泣きつつ病院に運び込まれていました。ついでにいうなら後日おそらくそのご近所のどなたかからの嫌がらせが始まりました、詳しくは伏せますが。

――病的な躁状態。私は『双極性感情障害』を長いこと患っています。

世間ではいろいろな精神疾患を持つ人々と一緒くたに、おそらくは今これを読んでいるあなたとも一緒くたに『メンヘラ』と称される部類の女です。

私は、世の中の人間の大半はふとした瞬間にやり場のない怒りや悲しみに囚われて死んでしまいたくなることがあるのではないかと思っています、それこそ物心ついた時から。

一方で、当時同棲をしていた彼氏からはそんなことはないと断言されます……どちらにしろ、私はそういう衝動がとてつもなく強い人間なので、『メンヘラ』でない人間の気持ちはわからないんですけどね。

初めてリストカットをしたのは中学3年生の頃で、私の悪癖は延々続きました。

そして、上のハロウィンの夜、その暗黒史と呼ぶに相応しい期間は唐突に幕を閉じました。

縫合の際の麻酔が痛いことはいつものことなんですけど、私が自分で半殺しにした左手の尺骨神経が夜な夜な上げる断末魔の叫びがあまりにも凄まじかったのが些細な理由の1つです。

バリン!バリン!と電流を流されるように痛む左手が私を寝かせてくれなかったんです、控えめに言って死ぬほど痛かったし、うとうとし始めた頃に痛みに絶叫して目が覚めるとか普通に毎日続きました。

正直その痛みすら大した理由にはならなかったんですけど、やはり私も『メンヘラ』とは言えど人の心も持ち合わせているようで、――とある出来事から、罪悪感に苛まれたのが自傷癖を克服した大きな理由です。

当時の私は、父の経営する小さな会社で事務員をしていました。

左手を痛めつけてから暫く、出社をしませんでした――もとより精神的に安定しない私にはよくあることです。

まあそれでもいつまでも引き籠もっている訳にもいかず、動かすと悲鳴を上げる左腕を三角巾で吊って出社したんですよ。

私の左腕を見た父は怪訝そうな顔をして、昼休み、事の報告がてら久々に一緒に外でランチを取りました。確かふたりで海鮮丼を頼んだ記憶があります。

「刺したら、動かなくなった」

端的な私の言葉に押し黙った父はすぐにトイレに行くと言って席を外し、暫くして目を赤くして帰って来ました。

口論の末の自傷だったせいもあって彼氏の憔悴しきった顔には何の罪悪感も抱かなかった鬼のような『メンヘラ』ですが、昔から子煩悩で不器用な父を泣かしたともあれば、もう軽口も封印されますし「やっちゃったなー」って感じです。

 

リハビリ

次に、リハビリを始めました

ハロウィンの夜から半年経つか経たないかの頃でしょうか、初夏だったと記憶しています。

半殺しにされた尺骨神経の絶叫も鳴りを潜め、動かない左手の薬指と小指はどんどん丸まり硬くなって拳を握ったまま開かなくなり、実質右手一本での生活に慣れ、そして通っていた大学病院で『経過観察』をされ続けていた頃、父の友人の紹介で、別の大学病院にかかることになりました。

「絶対に良くしよう。ただ、それには君が2度ともうこんな馬鹿な真似はしないと約束することが条件だ」

父よりも少し若いか、もしくは同い年くらいの男性医師は、昔ながらのお医者さんといったふうで、私はその先生をすごく頼もしく思いました。

――馬鹿な真似、と言い切ってくれたことに、何故だか心の底から救われたんです。

その先生と初めて会ったその日のうちにリハビリの日程が決まり、担当の作業療法士が決まりました。

作業療法士は活発そうなショートヘアの女性で、私の『怪我』にも嫌な顔ひとつせず気長にリハビリに手を貸してくれました。リハビリ室にはいろんな人がいて、でも様子を見るからには自傷が原因で通っている人とは時間が被っていなくて、とても情けない思いをしました。

ポクッ。固く握ったままだった左の拳が開いた時の感覚はよく覚えています。

何か留め金が外れたように開いて、自分でその留め金を掛けたにもかかわらず私は少し泣きました、理由はよくわかりませんが私はよく理由も無く泣きます。

4ヶ月くらいの間、私はリハビリに通いました。

指は少々のカーブを残したものの開くようになり、しかしながら幾らかの動きの制限が今でも残っています。あの夜救急車を呼んだ彼氏は何を思ったのか私を花嫁にして、開いた左手の薬指に結婚指輪をはめてくれました。

正直なところ、夫が何を思って私のような『メンヘラ』を妻としたのかわからないです、何度聞いてもはぐらかされます。

 

治す側のひとに話を聞く

話は少し前に戻って、研修医をしている私の友人との話です。

ハロウィンの夜の少し後、フェイスブックを通じて私が『怪我をして』尺骨神経を痛めたと聞いた時、「君はまたどんな転び方をしたの、肘でも折った?」とメールをくれた友人がいました。
全て洗いざらい話しましたが、彼女は怒りも呆れもしないでくれました。

授業中も休み時間も隠れてリストカットを繰り返したり突然学校に行かなくなったりした私の学生時代を考えてくれたのもあると思います。

2016年の9月に、私たちが知り合った高校の同窓会で、久々に彼女と再会をしたとき、ぽつりとつぶやいた彼女の言葉が忘れられません。

「君みたいに自傷で病院に来るひとは沢山いる、沢山そういうひとたちの傷を縫った。でも私はそのひとの『怪我』を治した意味があるのかわからない。」

 

最後に、迂闊に死ねなくなりました

私は未だに『メンヘラ』です、双極性感情障害です。

そう簡単に治る病気でもないでしょうしね。

毎日向精神薬を飲み、稀によく死にたいと泣き、また時折衝動に任せて食器を叩き割る、『激情』を具現化したような、嵐のような『メンヘラ』です。

あのハロウィンの夜のように包丁を逆手に握ると震えが止まらなくなりました。

首を吊ろうとすると『馬鹿な真似を』と脳裏で男性医師が顔を顰めるようになりました。

研修医の友人の求める意味が脳裏を掠めるようになりました。

もう12年、もう12年。ずっと『メンヘラ』として生きてきたんですよ。

事実として私は幸福な女ですが、その幸福を感知するセンサーが人より鈍いのかもしれない、だから『メンヘラ』なのかもしれないとも思います。

割と幼いころからずっとそうでした、脳みそに『自殺』の2文字が浮かばない日はない感じの日々を送っていましたし、自分が幸福であることをきちんと把握した今でもそうです。

そのセンサーがまともに働くようになる日が来るのかどうかは定かではないのですが(正直なところ諦めています)、少なくとも私が死のうとすれば私の脳内で『馬鹿な真似を』と顔を顰める男性医師は居ますし、「また少し開きましたね」と微笑む作業療法士もいますし、そろそろ30にもなる娘相手に子煩悩な父もいますし、『メンヘラ』を妻にする夫もいるんです。

ひとを生かすのはひとなんだろうなとつくづく思います。

――刺し傷の跡は、段々と薄くなってきています。
今は、そのうちに傷跡を消す手術を受けたいと考えているところです。


【投稿者】
祭めぐる さん

【プロフィール】
通院歴13年目に突入した厄介メンヘラ。
双極性感情障害。自傷癖は克服済み。ずぼら主婦兼なんちゃってフリーライター。

twitter : @glgl_menhera


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