生きていくために一番必要なものは憎しみと承認欲求 ─終わりなきメンタルヘルスを生きろ vol.1─

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私は目に見える全員が憎い。具体的に言うと才能がある人間が全員憎い。それは、私には才能がないからだ。

才能とは「物事を巧みに成しうる生まれつきの能力」を指す言葉だが、ここで私が指す才能とは、「自分を個たらしめる秀でた特徴または個性のこと」だ。それはアイデンティティによく似ている。

何百人何千人の中にいても埋もれない才能があり、その才能が人々に高く評価され、自分の才能を自覚しアイデンティティとして確立している人間が憎い。自分にしかできないことがある人間、自分にしか作れないものがある人間、自分だけの世界観がある人間がとんでもなく憎い。正直なところ、心の底から妬んでいる。

才能がある人間が羨ましい!才能にしがみつき苦悩できる自信が恨めしい!好きなことをして、それが大勢の人間に認められて、愛される人間が妬ましい!チヤホヤされたい!有名になりたい!この欲求が、もう何年も私を死にたくさせるのだ。そして私はこの死にたさともう何年も戦い続けている。

 

自撮りによる承認欲求

例えば、容姿の話。

私の中で容姿というステータスは才能には含まれないつもりなのだが、冒頭で定義した「自分を個たらしめる秀でた特徴または個性のこと」を容姿に当てはめると、これもまた立派な才能になりうる。何より、似たような顔をした黒髪ぱっつん童顔メンヘラ女はいつの時代もチヤホヤされている。さらに強い容姿を持った人間は芸能界へと足を踏み入れ、国家レベルでとてつもなくチヤホヤされている。羨ましい。

とはいえ、芸能人レベルになると私のような一般人とは明らかに人種が異なる、というよりも親近感が持てないため、羨ましさや妬ましさはそれほど感じない。そういう遺伝子なんだろうなと思うし、女優やモデルより女芸人のほうが嫉妬する。容姿だけ問題視するなら、ギリギリ女芸人にはなれるんじゃないか?むしろ芸人ならブスのほうがいいだろ。

と、いうわけで、芸能人という容姿のプロよりは地下アイドルやコスプレイヤーなど、半アマチュアみたいな人種でチヤホヤされているほうが妬ましさレベルは高い。

試しに私も自撮りをSNSにアップロードしてみた。なるほど、確かに自分の顔面が有象無象に「可愛い」と持て囃されるのは気持ちがいい。しかし、最新アプリの技術でブスを隠しながら無理矢理自撮りをしているために、結局何の感想も持てないそのへんの女と同じ顔が限界だ。それでも実際に会う人間からはこれは詐欺だと絶賛され、一時はプロの詐欺自撮り師を志すも、結局は私のこのヘドロのような自己愛を薄っぺらい一枚の画像にアイデンティティとして託せる余裕はなかったのでやめた。

 

ツイートによる承認欲求

TwitterというSNSは無職でもクズでもブスでも、面白いツイートが出来れば勝てるSNSである(私は何と戦っているんだろう)。面白いツイートはお気に入り数やリツイート数として数値化され、面白いツイートが増えると面白い人としてフォロワーが増える。フォロワー数は面白さパワーの数値化であり、案外これが承認欲求を満たしてくれる。

私はもはやTwitterにおいては半分プロのようなものだと自負しているが、年を取って保守的になってしまった。若い頃は面白いツイートを心掛けて精力的に活動していたが、いかんせんユーザーのニーズが多様化し、それに合わせて意図的に面白いツイートをするのはなかなか難しい。

例えばTwitterで人気があるユーザーは一貫性があり、何年も同じキャラを守って(あるいはそれが自然体なのかもしれないが)ブランドを確立し続けている。ブランドとは消費者との約束を誠実に守り続けることであり、一貫性が必要不可欠なのだ。その点女は感情的で、特に私は飽きっぽいためにブランディングが果てしなく下手である。誠実さのかけらもない。

新しいもの好きのフォロワーは目新しい派手なメンヘラがいるとすぐに注目する浮気性のミーハーであるため、最近はすべてバカらしくなりツイートをする頻度も少なくなってしまった。

 

創作活動のトラウマ

これはもう私の一種のトラウマになっている。結論から言うと承認欲求を得るためにクリエイティブ行為をするのは間違っている。これこそ才能のある人間でなければできない戦い方なのだ。

有名なクリエイターの一部の人間はいつも死の瀬戸際に立っているように見えるし、作家を目指しながら自殺してしまった才能ある若者も少なくはない。私にはそれが羨ましくてたまらない。

自分のクリエイティブに自信を持って苦しみ続けられるほどの意義を見出し、画面の向こうにいる多くのファンの期待に応えようと、あるいは自分の為に成し遂げようとする痛々しいまでの努力が、死ぬほど、死ぬほど羨ましい。

 

承認をめぐる戦いは続く

私は才能がある人間が憎い。正確に言えばクリエイティブな才能がある人間が全員憎い。私も早く死にたさに対する対抗手段として、才能としてのクリエイティブがしたい。容姿を評価されるよりも、発言を拡散されるよりも、自分の才能を評価されて求められることが、きっと私にとって一番の死にたさへの抵抗になるだろう。

私には何もない。重みも誠実さも何もない。空っぽである。ゆえに死にたい。薄っぺらい。そんな私に価値を見出す他人がいるとすればそれもまたクソバカだと思うだろう。自己評価が低いのかもしれない。

私には私の発言も行動も意思も何一つ信用できない。このままいつまでも死にたいのだろうか。それでもまだ、私と承認欲求の戦いは続くのだ。




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詐欺自撮りで成り上がってきた詐欺師。「限界になったら自殺しよう」という気持ちで毎日楽しく生きてます。やる気あります。何でもやらせてください。

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