「居場所がない」 殴られても罵倒されても機能不全家族のもとに帰らなければいけない理由




本年、ついにアラサーを迎えた。

私は覚えている限りだと、20歳までに死ぬとか25歳までに死ぬとか、節目になると死ななければヤバい!という気持ちに焦らされる傾向がある。自殺未遂は二度ほど行い、めでたく失敗して腎臓がよろしくないのと記憶力が落ちた。そのくらいで済んでよかったなあ、でも死ねてないからプラマイゼロかなぁと思う。

通院歴はめでたく10年を超えた。

最初に病院に行ったのは確か高校二年生の夏休みだった。バイト先で元いじめっこにうっかり出会ってしまい、頭が真っ白になって数日間の記憶がない。このいじめっことは幼稚園からの付き合いだった。余談だが、幼稚園から中学卒業まで顔ぶれが変わらない田舎のコロニーに所属していたため、進学してもいじめがつきまとうという地獄だった。

中学生になったあたりから過眠がひどく、朝なんとか起きても学校にいる間はほとんど起きていることができなかったし、この頃から自傷が始まったりしていた。

残念なことに家族は機能不全なため、相談した経験やアドバイスをもらったことなどはない。それどころか、うっかり辛いなどと零してしまうと目障りだとか努力が足りないなど説教が始まったり、虫の居所が悪ければ突然殴られたりもした。朝起きづらいときも腹を蹴り飛ばして立ち上がらせようとする両親だ。

更に残念なことに学校はいじめ以外にも学級崩壊や14歳の母がいたりして、もう地域的になにか壊れているとしか思えない場所にいたものだ。学生時代はイベントがありすぎるので割愛する。

 

最初の病院は、どうやら母が調べて連れて行ってくれたらしい。なにぶん初めてのことでどのような場所がよくわからなかったが、結論から言うとあまり相性が良くなかった。病院に連れて行ってくれたのだから、ちゃんとした母だろうと思うかもしれない。単に母は弱ってる子供の世話をするときだけなぜか活き活きするタイプなのだ。しかも早い段階で世話をするのに飽きるため、飽きてからは手のひらを返して迷惑がる。

この病院に通ってる間の記憶はぼんやりとしてあまりない。死にたい、苦しいと漏らすとどんどん頭が回らなくなる薬をたくさん出してくれたため、2年ほどぼんやりとしてなにも喋らない、とりあえず学校には通える空っぽな人間をやっていた。たまに正気になると自殺しようとした。というかした。失敗した挙句に恥知らずとなじられ、家族全員の前で土下座したりもした。ODで呂律が回らず自分で歩けない私を、退院直後に居間まで引きずって行き土下座させる母はさすがに毒親と呼んでもいいと思う。これが高校三年の初夏である。

二度目の自殺未遂は短大1年目の冬だが、二度目となると親もまたやったかこいつは、という感じで部屋に放置されていた。運がないことに意識を失っている間に生理が来たらしく、3日ほどの昏睡から目覚めると布団が血まみれで、気付かないうちに死んだのかと思った。やはりこの時も土下座イベントは発生した。今回は自発的に居間まで這っていき、ほぼ喃語の謝罪を繰り返した。OD自殺を数回企だてたため、薬の管理権は母に移行された。以降このようなことはやっていない。

 

短大卒業後、新卒で就職した先がブラック企業で、3ヶ月でメンタルを悪化させて退職。こいつさっきから作り話でもしてるんじゃないかと思われるかもしれない、しかしなぜか昔から運が悪いので、なにかしようと計画したことや人生イベントは全てしくじってきた。

社会人に僅かばかり憧れを抱いていたが、明朝3時に出勤、深夜11時に退勤のスタイルはやはり長く持たなかったし、更にパワハラとセクハラもあったため元より丈夫ではない精神は結構早めに限界がきた。新人だし学生気分だと思われたくない、社会人は我慢の連続だ!と色んなことを耐えていた気がする。着替えを覗かれたりラブなホテルに連れていかれそうになったり、執拗に接触されていたのは今思えば耐える必要はなかったと感じる。

退職後は、違う病院に通院することになった。最初の病院がどうやら処方ミスで死人がでたらしく、不信感もあったため良い機会だと思った。

二ヶ所目の病院、ここはカウンセリングもやってくれるらしく女医さんで評判が良い。と、口コミには書いてあった。予約制で他の患者と合わないように気を利かせてくれて、笑顔で優しい印象の先生だった。診察時間も1時間と、しっかり話を聞いてくれる。

30秒診察の病院からまさかの倍以上に寄り添ってくれる体勢に、私は不安なことや辛いこと、どうすれば回復できるかを一生懸命語った。先生はうん、うん、と頷きながら話を聞いてくれて、それから一言「あなた、メガネかけてるのが良くないのよ」と言った。

何が起きたのかわからず、しばらく考えてから「メガネですか?」と聞くと、「メガネが悪いのよ」

念のため言っておくが確かに私はメガネをかけているがメガネの話はしていなかったはずだ。朝起きれないとか、眠れないとか、不安で動悸がするとか、なんとなくみんなに笑われてる気がするとかを話した。しかし、どうやら先生にはそれらの原因の一つは私がメガネをかけているかららしく、執拗にコンタクトレンズにするよう勧めてきた。少し怖くなったので、そのうちコンタクトレンズにしますと言って薬をもらって帰宅した。

その先生には一年ほどお世話になったが、会うたびに「まだメガネを外さないのか」と聞かれた。今考えても、メガネはそんなに悪くはない気がする。そして未だ、メガネは愛用している。

執拗にメガネを責める先生が怖くなりすぎて、二度目の鞍替えを行なった。最終的にはこの病院が最も長く通った病院になったが、やはり担当医が変わった方で、一通り私の話を聞くとなぜか偉人や有名人の名言の本を取り出して、「今のあなたに贈る言葉です」と、微妙にずれた紹介とメモ用紙に書きなぐった名言を毎回渡してきたが、害はなかったため今までで一番まともに見えた。この病院で、やっと自分の病名を知らされることになる。

 

長く語ってしまったが、実は現在、人生でもかなりメンタルの荒波に襲われている。実家から逃げ出すための引っ越しに伴い、やむなく病院を変えたのだが、どうやら、病名が違うかもしれない。というか、処方されていた薬が症状とあっていないらしい。一気に新しい処方と減薬が始まり、副作用とストレスなどで無職期間は着々と伸びていく。明朝に足がムズムズする感覚でたまらなくなり、ベッドの淵に足をぶつけながら暴れる。

睡眠薬を1ヶ月の間に全て断ち切られたため、眠れないままなんとか夜をやり過ごし昼過ぎにふっと少しの間眠る。睡眠時間を調整して昼夜を正す薬をもらっているが逆転したっきりだ。全身がギシギシして光と音が頭に響くのでカーテンを締め切り耳栓をして過ごしている。解離があるらしく、体感時間と実際の時間がぐちゃぐちゃで病院の予約も守れていない。正直結構しんどい。一年ぶりくらいにリストカットもした。

で、早くも実家に帰ることを決意。

今の主治医には、実家に帰ることはやめた方が良いと言われている。初診の時に家庭環境を伝えた際、虐待だと断言された。じゃあなぜ、わざわざ自分を虐待する家に帰りたいのかというと単純に居場所がないからだ。殴られようと罵声を浴びせられようと、1人で生きていくことが無理とわかった今、最善の方法はそれしか見つからない。

今は荷造りをしながら退去日を決めようとのろのろ動いている。いかんせん大事なことをすっぽり忘れたりそもそも体が動かなかったりで引っ越しも難儀なため、時間はかかりそうだ。

 


【投稿者】
わらびもち さん

【プロフィール】
来世は神社のありがたい石に生えた苔になりたいと考えているアラサーメンヘラ。ツイッターで管を巻いている。


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1 件のコメント

  1. もやし 返信

    初めまして。高校二年生女子、花のJKです。
    私は家族と学校とでいろいろあり小学校高学年くらいからストレス障害に悩まされてました。次第に環境は悪化し死にたいな〜でも死ぬ時まで痛いのも苦しいのもやだしな〜と思い結局死なずに今まで生きてます。
    特に家庭の方がストレス半端なく、ですが追い詰められるのは精神的、しかも親は無自覚なので毒親とも違う……と思ってました。わらびもちさんのこの話を見て「機能不全」という言葉に「それだ!」と思いました。それだけでもなんだか張り詰めていた糸が少しだけ緩んだ気がします。
    それから来世は神社の苔になりたい、凄くいいですね。私は来世は空気になりたい派だったのですがこれからは苔派にしようと思います。
    目上への礼儀もなっていないふざけた文章で申し訳ないのですが、少し楽になりました。

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