SNSによる弊害 フォロワーと友人の境界線

コラム 西口 SNS

初めまして、西口と申します。うつ病を患って十年以上は経過したでしょうか。

死のうと思ったのは数えるほどしかないのですが、その時のことをお話させて頂きたいと思います。

最近はtwitterやInstagram等のSNSが流行っています。「インスタ映え」なる言葉も登場しているそうで、話を聞いていて皆凝っているなあという印象です。ちなみに私は何を撮っても手ブレするのでInstagramはしていません。

私はtwitterをしています。最初は趣味の仲間と繋がりたいと思い始めましたが、フォロワーが増えるにつれ、その数を気にするようになりました。フォロワーが増えれば「私のことを気にかけていてくれて嬉しい」フォロワーが減れば「何か気に触る発言をしたのかな」、ブロックをされた時など原因が分からず落ち込みました。

インドア生活を続けている私にとっての世界とは、フォロワー=友人のような存在、となっていきました。

 

先日、下らないことで死のうと思い、リアルでの友人に電話をかけました。「今から死ぬね」とか、そんな感じだったと思います。

当然、止められました。というか泣かれました。「西口ちゃんが死んだら悲しい」と言われましたが、私にはその感覚が理解できませんでした。twitterのフォロワー数=友人の数、に近い認識をしていた私には「あなたは友達が多い。仮に友達が100人いたとして、99人に減ったところで何が変わるの?」と聞きました。ガチギレされました。

「全然違う!」と言われたことだけは覚えています。彼女は私と違って友達を数ではなく、個で見ていたのだと思います。

twitterのフォロワーはどこに住んでいるのかも、名前も、職業も、年齢も、もしかしたら性別すら知らない軽い付き合いです。

対して友人は短くない時間を過ごし、互いの良いところも悪いところも知っている存在です。彼女のこの言葉で、私は人を個として認識しているのではなく、数でしか認識していなかったことに気づかされました。

SNS上での付き合いは気楽です。自分を偽ることも簡単ですし、すぐに関係を断つこともできます。探せば似た境遇の方も見つかるでしょうし、意気投合することもあるでしょう。しかし「SNS疲れ」なる言葉も出てきた今、SNSとの関係を見直し、周囲の友人に目を向けることも大切なのではないかと思いました。

正直、私はまだ数少ない友人を個として見ることは出来てはいないと思います。

ただ、「今から死ぬ」ともしも彼女が電話をしてきたら止めるでしょうし、彼女が私と同じように「あなたの10人(私は友達が少ないです)の友達が9人に減ったところで何が変わるの?」と聞かれたら「全然変わらない」とは答えないでしょう。

まだ時間はかかるかもしれませんが、そのことに気付かせてくれた友人に感謝をしています。でもtwitterのフォロワーはたくさん欲しいです。

 


【投稿者】
西口 さん

【プロフィール】
フリーライター。うつ歴10年以上。


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