一生懸命働いても仕事が覚えられない 成人期ADHDと診断された看護師時代の話

体験談 うつ病 ADHD(注意欠如多動性障害) しそ

私は去年まで健常者だった。のろまで気の弱い健常者だった。しかし2016年12月から人生そのものが変わり果て、人生は滅茶苦茶になった。

私は自分の気持ちを整理するために書く。その顛末を、暇で暇で仕方ない人は見てほしい。

 

私は看護師として2016年新卒で大きな総合病院に入社した。まだ健常者だった頃だ。自分で自分を評価するのも嫌なものがあるが、真面目で一生懸命な私は仕事を覚えようと必死だった。帰ると次の日に向けて勉強をし、家事をこなし、ヘロヘロのまま職場に赴く。部署の教育担当者にも「真面目で勉強家」と評価を受けていた。

そして初夏から夏、そろそろ新人も仕事を覚え、自立を目指していく中、突然起こった体調不良。腹痛、下痢、9月にはめまいで3ヶ月おきに休むようになった。上司から「これでは困る」と怒られる始末。原因は仕事を覚えられない自分に向けられる態度や視線にあったと思われる。

夏になり、他の同期がスムーズに自立に向かう中、私はモチベーションも仕事への愛も楽しさもやりがいも何もかも失っていた。それでも「行って覚えないと怒られる」の無言の圧力と恐怖、「やらねばならない」の気力だけで職場に行っていた。この頃は「寝れば朝が来る」、明日が来ることも恐れて睡眠時間を限りなく減らしていた。

ある日、秋口に先輩から「他の先輩からあなたと一緒に夜勤に入ると仕事が回らないから外してほしいという要望が多い」と伝えられた。その頃の音声の記憶がない。ただただ泣いている自分と明らかに嫌悪感を晒す先輩の顔と空気しか覚えていない。

その頃からだんだんと先輩達からの当たりがきつくなり始めた。質問や相談をしても嫌そうな顔をされる。気を遣っているはずでも自分勝手と怒られる日々。余計に焦りが酷くなる。言われた通りに遂行できない、物事を覚えられない。同時進行できない。なぜ出来ないのか自分でも分からなかった。ただこの頃は誰でも良いから助けて欲しかった。これがおよそ11月のことである。

 

そして来たる2016年12月8日。午後2時を過ぎた頃だった。緊急の対応、優先順位もつけられずオロオロしてしまっている私に教育担当者から「あなたの面倒はもう見ません。あなたに話すことはもう何もない。」と勘当されたのであった。訳を話そうとしても聞く耳を持たれなくなった私は本格的に孤立した。誰でもいい。誰でもいいから私の話を聞いて、今まで必死にやってきたのが何故受け入れられないのか、自分がおかしいのか何がおかしいのか何もかも分からなくなっていた。その夜泣き腫らし、精神科に逃げ込んだのが翌日の12月9日である。

ADHDと診断を受けた。「私は怠け者じゃなかった、良かった」と安心した瞬間涙が止まらなくなった。障害者になった瞬間だった。コンサータとストラテラを両方処方され、治療がスタートした。

その後の部署の対応は酷いものだった。周りからはヒソヒソと「あの子ビョーキだったんだって」と言われ、師長からは「理解できない」と否定され、薬、コンサータの副作用でもがき苦しみながら仕事をした。仕事量を減らしてもらい、1年上の優しい先輩に仕事を分担してもらえたのが不幸中の幸いであったが、居心地は最低最悪、地獄であった。師長から「よく来れるね」と煽りにもとれる言葉をかけられるほどであった。

いると邪魔なのか本心なのか分からないが、師長は「しんどいだろうから休みなさい」と私を休ませるようにした。12月はマトモに仕事をした記憶がない。

その後実家へ帰省せざるを得なくなり、色んなことを考えるようになった。障害ってことは出来損ないなのか?こんな自分を産んでしまったと両親は戸惑ってないだろうか?嫌じゃないだろうか?家族と認めてもらえないだろうか?診断はついたものの人間の出来損ないという事実は残った、親は周りを気にするだろうか?

こんなことになるなら
もういっそ
産まれて来なければよかった
死んだ方がマシだ

この考えのループにはまりにはまりこみ、12月25日、とうとう身体が動かなくなった。夜は眠れなくなり毎日涙を流しながら朝を待つ。日中はずっと引きこもり、食べ物すら喉を通らなくなった。母曰く、「いつ自殺するかわからないような顔をしていた」そうだ。そして再診日、重だるい身体を引きずり受診、カルテに「うつ病」としっかりと書かれていた。

勇気を出して退職を上司に伝え、晴れて退職となり、全ての脅威から遠ざかるようになったあの快感は忘れられない。病院自体が働く人の健康を考えることを特徴とした病院だったため、「自分も働く人だったけど、発達障害は考えてくれんのやな」とその病院とスタッフを一生呪うと心に決めた。

 

症状が落ち着き、やっと人並みに生活できるようになった頃、再就職の話が出た。正直仕事に対し恐怖心があったがなんとか踏ん張り、ADHDを公表した上で地元の施設へ非常勤として就職することができた。

現在、その施設で働いている。うつが災いしすぐに涙が出たり些細な注意で泣くことは多々あるが、なんとかやっていっている。過度の緊張感もなく、前よりはスタッフとコミュニケーションもとれるようになってきた。あの3ヶ月に1回恒例の下痢もめまいも無く過ごせている。

正直、もう生きていたくはない。出来ることなら死んでしまいたい。この先ロクに何もできずに潰れていくのは目に見えている。今も気分と過去と希死念慮と闘いながらだらだらと生き延びている。遺書も書いた。死に場所も決めた。あとはその時を待つだけ。未来への恐怖に苛まれながら静かに自滅を待っている。

 


【投稿者】
しそ さん

【プロフィール】
新人医療職として大きな病院に勤めていたが、いつまでたっても仕事が覚えられず教育担当者から勘当され、2016年12月に成人期ADHDと診断される。出来損ないとして産まれたと思い込みすぎてそのままうつ病を発症。その後病院を退職するも前職で負った心の傷を引きずりながら地元の施設で非常勤で働いている。時々死にたくなる。


【募集】
メンヘラ.jpでは、体験談・エッセイなどの読者投稿を募集しています。
応募はこちらから

この記事のカテゴリ・タグ

体験談 うつ病 ADHD(注意欠如多動性障害) しそ
このエントリーをはてなブックマークに追加

0件のコメント

コメントを残す

返信をキャンセル
返信先コメント

captcha