過保護な母親、無関心な父親。機能不全家族では誰に助けを求めるべきか




どうもこんにちは。srmと申します。
母親に止められたので病院に行ったことはありませんが、自分が普通の人間でないことは確かだと思っております。

私は過保護な母親と無関心な父のもとで育てられました。兄も居ますがこれまたなかなかの問題人間であり、でもまあ親からすれば何の問題もない「いい子」であったと思います。

私の母は一緒に暮らしている父方の祖母(母からすると姑)から嫌がらせを受けており、私も祖母からは冗談半分で包丁を向けられたことがあったりしたので好きではありませんでした。それにしても母の病み方は異常。それは明らかでした。

父は家族に無関心でありながら、母が祖母の愚痴を零すと露骨な程に機嫌を悪くして、場合によっては些細なことで怒鳴り声をあげることもありました。

 

「家にいたくないんでしょ?」

そんな環境で育った私は、できる限り「いい子」でなければ、そう思いました。母を泣かせるのはいけないこと。父が怒鳴るのは怖い。誰も助けてくれない。小学校、中学校と母に言われるがままに門限を守り、時折タガが外れたようにヒステリーを起こす母親を宥め、人知れず泣いていました。

そして高校に進学し、それなりに友達とも遊ぶ機会は増えていきます。ですが、母は「門限は五時。過ぎるなら絶対に連絡しろ。最低でも六時までに帰ってこなければもう知らない」と、そんな姿勢を貫いていました。

皆さんどうでしょう?今どきは小学生でも七時過ぎまで遊んでいる姿を見ますが、私は結局高校三年生になっても六時が門限でした。友達よりも先に帰る疎外感。結局六時に帰ったところで母はとうに機嫌悪くしており、こんな時間まで何してたの?と怒り続ける始末。なら門限を遅くしてもらえばいい。普通はそう思いますよね。

「あんたは家族が嫌いなんだ。薄情なやつ。家にいたくないんでしょ?好きにすれば」

せめて七時にしてほしい、と、高三にしてやっと伝えた私の言葉は、そんな母親の言葉にあっさりと切り捨てられてしまいました。そんな言い方をされて刃向かえる子供がいるでしょうか。少なくとも私は無理でした。

家族は嫌いじゃない、家にいたくないわけじゃない。でもみんなは。普通は。そう言うと母親は私にリモコンを投げ、勝手にしろと怒りました。もし、ここで父親にその話をすれば、間違いなく父親は二つ返事で「いいよ」と言ったことでしょう。でもそうすると、それを知った母親は「あんたはパパの味方をするんだね」とヒステリーを起こします。なんという悪循環。

結局私は高校を卒業するまで門限が改善されることはなく、必死に頼み込んで遠出をする時のみ門限を伸ばしてもらえるくらいでした。

 

そして母親によく言われたもう一つの言葉。それは「不良」でした。

髪を染める訳でもなく、男を作って遊び呆けているわけでもなく、スカートを短く切っているわけでもなく、ピアスを開けているわけでもなく。私は本当にただの女子高生でした。それでも母親にとっては「友達と遅くまで(といっても六時でしたが)遊ぶ私」は「不良」として扱う他無かったのでしょう。

母親は生粋の真面目人間。けれど私を不良と呼ぶに及んだのは、兄の存在もあったからと思います。兄は家から二時間ほどかかる学校に通っており、帰りに友達と遊ぶということはほぼ有り得ない人でした。それでもたまに寄り道をして帰りが遅くなる、と、本当にそれくらいでした。

だからこそ、週に何度も友達と遊んで真っ直ぐ帰ってこない私を「不良」だと決め付けていたのでしょう。その言葉が悲しくて、何度も泣いたのを覚えています。

 

就職後の門限は夜七時

そして就職後。

ブラック企業ということもあり、毎日残業して当たり前。私はそんな環境に居ましたが、ここでもまた問題が起こりました。母は毎日最寄り駅まで私を迎えに来たのです。しかも母は免許を持っていないので、先に帰って来ている兄が車を出して迎えに来るような状態です。

仕事が終わり、「今から帰る」と連絡をし、兄も仕事で疲れているにも関わらず私を迎えに来させられている。余計なお世話、とは言いませんが、これでは逆にストレスが溜まるのは当然でし。ですが、断ろうとすると「何か不都合でもあるのか!」と怒鳴られるため、無下にすることもできません。

そしてその数ヶ月後、職場で高額の違算が出ました。

上司は原因不明と言っていたのに、監視カメラで手元がきちんと見えないという、こじつけの様な理由で私が犯人とされました。本社に連絡をされ、上司には泣くまで怒られ、同僚からは災難だったねと同情される。帰ってからそれを母に伝えると「抜けてるあんたも悪いよ」と、そう言われました。勿論私に非があるのは確かです。でも、私はそう言われたかった訳ではありません。

そんな状態で働き始めてからの門限は、七時でした。

就職もして働いている形式上の大人が、七時までに家に帰らなければいけない。これってどうなんでしょう。女の子だから心配、とか、もはやそういう粋ではありませんよね。だから私もせめて九時過ぎまで。と、勿論お願いをしました。そうするとどうでしょう。母親は泣きながら私に言いました。

「あんたも私のことが嫌いなんでしょ!もう死んでやる!冗談じゃないからな!今台所から包丁持ってくるから!」

昔からわかっていたことですが、きっと母親も病院に行くべき病気を持っているんだと思います。でもその時ばかりは私は泣くことも出来ず、ただただ泣く母親を見ていることしか出来ませんでした。

そこから三日ほど。仕事に行くふりをして家を出て、職場に休む連絡をして、夜は何気ない顔で家に帰りました。三日間何をしていたのかはあまり覚えていませんが、友達と遊んだりぼーっと電車を乗り継いだりと、そんな感じ。私の職場は三日以上休む場合は、病院の診断書が必要になります。なので、私は、失踪しました

 

家出がきっかけで本音を話すことができた

母親のラインに「家を出ていきます」と連絡を入れ、家族、職場、全ての電話番号を着信拒否にしました。

もう死のう。せめて死ぬ前に好きなことをしよう。友達と遊ぼう。お金を使おう。自暴自棄になりながら口座を見た私は、驚愕しました。その時の月給は約15万円。半年働いて、毎月7万円ほどしか下ろしていません。お金を下ろすのは母親がやっていたため、それまで私は自分でお金の管理をしていませんでした。今思えばこれも異常ですね。

単純に計算しても40万円以上は残っているだろうと思っていた口座には、10万円しか残っていなかったんです。

うちには借金があって、それは知っていました。母親は心臓病も患っていて、そこにお金がかかっていたのもわかります。でも、だけど、どうして。お金があれば部屋でもなんでも借りられる。ひとりでも生きていける。そんな希望を僅かながらに抱いていた私は、もうどうしたらいいのかわかりませんでした。

そこから二週間、長いようで短い家出生活をして、結果としては家へ帰りました。その間に母親、父親、兄。各々とメールで今まで話したことのない本心を伝えたりして、少し気が楽になることもなり、知りたくもなかった事実を知ることもありました。

私は兄に、激しいコンプレックスを抱いていました。特に頭がいいわけでもない、運動ができるわけでもない、私の兄は本当に普通の人間でした。それなのに、私は必ず「兄が出来なかったこと」を強要されました。

兄ができなかったから、家から近い高校に行く。兄が落ちたから、ここの会社に就職する。
嫌だと言えない私も悪かったですが、どうして兄ばかりがそんなに優遇されるのか私には理解出来ませんでした。

家事もそうです。学生の頃は「みんな仕事で疲れているから」と諭され、渋々やっていました。しかし私が就職してもその立場は変わらず、母親から言われる言葉は「みんな同じで疲れてるから」に変わりました。

それなら私はなんなんでしょう。まだ新卒だから?兄よりも残業してるのに?仕事の内容も違うのに?そんな感じの話を門限の話と一緒に家族に伝え、今まで何も聞いてやれなくてごめんと、全員から謝られました。当然、勝手なことをした私も泣きながら謝りました。

 

今私はフリーターとして働いていますが、門限は特に何も言われなくなりました。遅くならないように、と、それだけ。私の家出を機に、家族が変わったような変わらないような。二年経った今でも、それは正直よくわかりません。

家出をする前に家族に話せなかったのか。もっといい方法があったんじゃなかろうか。未だにその事で悩み、夜な夜な罪悪感から泣くことがあります。

自分語りを長々としてしまいましたが、私から言えることは一つ。

絶対に我慢しすぎないでください。だけど、時には何も考えず行動してしまうのもアリだと思います。後のことは考えず、なるようになると行動すること。これは別に悪いことではないと思います。荒治療も必要、という事です。

でもそんな軽率な自分の行動を何年も何年も引き摺り、罪悪感でどうにかなってしまいそうになることもあるので要注意です。法的にもヤバいので家出はオススメできません。

乱文失礼致しました。

 


【投稿者】
srm さん

【プロフィール】
拗らせ限界オタク。よくイマジナリーなキャラがいる体で話し出す。


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