食べても食べても満たされない 摂食障害の苦しみ




初めまして。ますだと申します。精神科通院歴13年のアラフォーです。現在は双極性障害と診断され、通院しています。ついでに現在無職です。無職で自由に文章の書ける今、体験談を書いて行こうと思います。

ここまで来るのに、様々な症状、病名に悩まされてきました。鬱病、自律神経失調症、摂食障害、パーソナリティー障害、物質依存、自傷行為、自殺未遂…書き出すときりがありません。それだけではなく、自分の肉体の性別や性対象にも違和感を持っている、いわゆるLGBTQの当事者でもあります。本当にどこからツッコミを入れていいか分からないくらい、メンヘル病みのデパートです。

 

さて、暑い夏が来ておりますが、アイスクリームやかき氷、冷やし中華、そうめんなど夏の食べ物をを美味しく食べていますか?私は美味しく食べられていません。太ることが怖くて食べられないのです。

今回は私の数ある症状の中から、摂食障害(主に過食、過食嘔吐)について話をしたいと思います。

 

ラーメン屋、回転寿司屋、ケーキ屋をはしごする日々

私が明らかに精神を病んでクリニックを受診した頃、私の体重は「痩せ」と呼ばれる体重になっておりました。普段通りに食べていても落ちていく体重。体重計に乗るのが楽しくて仕方ありませんでした。仰向けに寝ると、あばらが浮き、骨盤がはっきりと分かります。それをニヤニヤしながら眺めていたのです。当時、仕事は立ち仕事。重いものも運ぶし、接客もする。今思えば、ストレスで痩せていたのでしょう。食事や飲酒はいつも通りの量だったのですから。下手したら酒量は当時の方が多いかもしれません。

それからしばらくし、その会社を退職し、立ち仕事から、いえ、仕事というものから解き放たれた時、私の食欲は暴走しました。

少し話は逸れますが、私の母親の話をしましょう。

母は若い頃から細く、それはそれは格好のいいスタイルだったと言います。スレンダーでお尻が小さく、パンツがとても似合う人だったそうです。今でもスリムな体型を保っています。私が幼い頃、実家はラーメン屋を営んでおりました。父がラーメンを作ってくれて、よくそれを食べたものです。その時必ず母に言われるのが「スープは太るから飲んじゃだめ」。それが、私の幼い頃の母の言いつけの一つでした。

逸れた話を戻します。
仕事を辞めて一人暮らし。ネット徘徊と食べることが楽しみになっていました。徐々に増えゆく体重に私は恐怖を覚え始めました。その当時は標準体重ではあったのですが、一度「痩せ」を味わってしまったら、標準体重すら怖いのです。

しかし、アルコールと共に夕飯を食べ終えた時、強烈な空腹感に襲われます。何かを詰め込まなくてはならない。物理的に胃を満タンにしなければならない、食べたくて食べたくて何もしないでも口内に唾液が沸いてくる。そうなったら、たとえ夜でもコンビニに走るしかありません。真冬の北海道でコートも着ずに、ジャージ姿で財布一つ持ってコンビニに向かう所を、同じアパートの知り合いに見られてしまったこともありました。

納豆巻き1パック
パスタ2パック
ポテトチップス2袋
おにぎり5個
菓子パン2つ
袋めん3つ

レギュラーはここまで。あとは気分によってクッキーやら焼きそばやらアイスクリームが加わります。コンビニで3,000円位でしょうか。これをほぼ毎日、食べていたのです。

週に一度病院に通院する日は、通院後町中のラーメン屋から回転ずし、ケーキ屋とはしご酒ならぬ、はしご昼食をすることもざらでした。ラーメンのスープを飲んではいけないという母の言いつけはもう守られていません。ぎっとりと油の浮いたスープを一滴残らず平らげていました。

食べて、食べて、食べて、胃の皮ははちきれそうでしたが、心は満足することはありませんでした。

ある日、元職場の同期と久しぶりに飲む機会がありました。そこで、私は周囲から「ずいぶん顔に肉がついたね。」「本当だ。健康的になった」と言われたのです。その頃の体重もまだかろうじて標準体重でした。その同期達との飲み会の帰り、「これ以上太れない…」と思い、ネットの海に「嘔吐の方法」を探しに行ったのです。

それから私は限界まで食べた後、喉に指を突っ込んで吐くようになりました。指じゃ奥に届かないといって、スプーンを使うようにもなりました。マネしないでくださいね。喉から血が出る程吐いてもすべてを吐ききることはできず、体に残ってしまいます。でも、一瞬空腹感を感じるので、そこでまた食べるという悪循環にも陥りました。吐いていても体重は減らず、それどころか太る位だったのです。

 

「太ること」への恐怖心を植えつけられた母親の存在

そんな日々を過ごしていたら、母親が私のアパートに私の様子を見に来たのです。開口一番、

「太ったね。何食べたらそんなに太るの?」

冷や水をぶっかけられたような気分になりました。そんな事、自分が一番わかっています。体重計が事実を突きつけてきますし、服の着心地が以前と違っているのです。悔しくて仕方ありません。この頃には体重計は明らかに「肥満」を叩き出すようになっていました。

母親の前では過食嘔吐をしないようにぐっとこらえておりました。その頃から現在、実家はラーメン屋ではなく居酒屋を営んでいます。ラーメンを作っていた父は酒と肴を客に出すようになりました。その子である私が食べたものを吐いているのです。美味しいものを美味しいと味わって食べることが出来ず、ただただ詰め込む日々が続いているのです。なんという因果でしょう。こんな食の変態になってしまった自分の事は、美味しいものを提供する飲食を生業にしている両親だからこそ話せそうにありませんでした。

我が家に来ていた母と食事をし、普通に一人前食べたというのに、襲ってくる空腹感。でもこれ以上母の前では食べられません。お腹いっぱいを装っていると母が「この、腹!」と私の胃のあたりに浮き輪のようについた肉をつかみニヤニヤと笑ったのです。恥ずかしさと怒りがわいてきましたが、どうしようもありません。太ったのは事実で、太る食生活を送っていたのも事実なのですから。

また、「7か月くらいだね。」とからかうように母が私のお腹を撫でさすったのもこの頃です。本気で母親に殺意を覚えました。背筋に冷たいものが走りました。泣きだして暴れそうになりました。

小さなころから「これは食べたら太るから駄目」と痩せた体を維持する方法を私に教え込んできたのは母です。太った自分は母に嫌われてしまうのではないかとも思いました。痩せてかっこいい体型じゃないといけないという思想は幼いころにこの母から植え付けられたものです。それなのに…それなのに!!

その影響か今でも家族の前で食事をする時緊張してしまいます。「そんなに食べたら太るの当たり前だ。」と言われるのではないかという恐怖が私を緊張させるのです。そして、空腹感も辛いと思いつつも、満腹感も罪悪感があり、辛いのです。

 

お腹も心も満たされて幸せな気分になりたい

それから10年以上経ちました。摂食障害のカウンセリングや患者会に行ったり、摂食障害の専門医にかかったりしましたが、回数こそ減っても過食を完全には辞められておりません。過食を止めたくて止めたくて、ネットを徘徊し、糖質制限をするようになったのは約2年前です。そこから炭水化物、糖質をなるべく食べないようにして肉や卵、チーズを多く取るように心掛け、一口食べるのに30回噛むという食事方法(MEC食と呼ばれています)に行きつきました。

チーズは案外腹持ちがよく、一つ食べるとお腹にたまります。しかし、お腹にたまった感覚はあっても口内に唾液が沸いてきて「食べたい!」という衝動を完全に抑えることは今現在も出来ないでいます。よく噛んで食べているので、時間がたてば満腹感はある程度得られますが、心から満足する食事はしばらくしていません。そして、過食するときには糖質、炭水化物に偏っています。しかし、MAXの体重からは10キロほど減り、一応標準体重内に収まるようになりました。

 

私の夢は、「太るから食べてはいけない」という心のリミッターを外し、フードファイターのように大盛り、メガ盛りにトライすることです。youtubeで大食い動画を見ては、美味しそうに大量の食べ物を食べていて、かつ太らない彼(彼女)達を羨ましく思っています。カレーやラーメン、焼き肉やアイスクリームといった小さな頃から好きだったものを「もう食べられない!」と思う位食べて、お腹も心も満足感を得て幸せな気分になりたいのです。罪悪感とか太る恐怖とかはもうごめんです。

現在アラフォーの私ですが、何歳位まで人の目を気にし続けなくてはならないのでしょうか。何歳になったら「もう、太ったっていいや。」という境地にたどり着くのでしょうか。その日を待ち望んでしかたありません。

一人でも多くの摂食障害者が幸せな食事をできるようになりますように。読んでくださりありがとうございました。

 


【投稿者】
ますだ さん

【プロフィール】
精神科通院歴13年のアラフォー。様々な病名を付けられましたが現在双極性障害に落ち着いています。LGBTQの当事者でもあります。
Twitter:@masuda0314


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