精神障害は誰にでも起こりうる 恵まれた環境で精神障害者になった自分の場合




これから書く文章は、読む人を選ぶ文章かもしれません。具体的に言えば「いわゆる上流階級の家で生まれた僕の生い立ち」の話になります。読む人によっては「自慢話なのでは?」「嫌味ったらしいな」と捉えられてしまっても仕方ありません。ですので、もしちょっと無理そうだな、と思ってしまったら読む事を止める事をおすすめします。

まずは、僕の自己紹介からはじめます。僕は旧帝院卒で双極性障害Ⅰ型の人間です。ただし大学は四年で卒業したものの、大学院に入ってからは病状が悪化してしまい、二度の医療保護入院を経験しました。その結果、学業に支障が生じ、卒業に合計8年かかってしまった上、修論も学部生の書くようなレベルのモノしか提出できていません。

これは自慢と思われてしまうかもしれませんが、僕は自分のことを大学入学当時は自分の事を低学歴だと思っていました。殆ど努力せずに入った大学で、入試の結果を成績開示したら満点に近い点数だった事が理由です。大学入学後は、病状のせいもあったのでしょうが大学に殆ど行かず,毎回定期試験だけ受けて満点をとっていました。そんな事もあり、「授業なぞ本も読めない文盲の受けるもの」と思っていました。今思えば教員の雑談にこそ大学の価値は詰まっているので当時の僕はアホだったのでしょう。

そして、僕の家庭環境についても語らせていただきます。

僕の家は、大正時代に曽祖父が丁稚(でっち)奉公(江戸時代~昭和初期に行われていた子どもを対象とした労働形態のようなものです)から成り上がって作った会社のオーナー社長の家系です。僕がもし家を継ぐのなら四代目になる、100年近い歴史のある会社の子どもとして僕は生まれした。

祖父は京都帝国大学卒,但し在学中に学徒出陣があり、教育を充分に受けてないため本人曰く「学歴はあれど学はなし」これは僕と祖父の共通点であり、嬉しく思っています。

父は二人兄弟でした。叔父が家を継ぐのを嫌がり大学教員になり、父が社長を継ぐことになりました。父親は高校の時ラグビー部にいて勉強ができなかったので、「僕の家系の中では」学歴の低い関関同立卒で現在社長を務めています。

一方、母方の祖父はリュック一つで就職のために上京し、最終的には池付きの庭のある家を建てた苦労人です。母自身は三人兄弟で、一番上の伯父は旧帝院卒で最近文部科学大臣賞をとりました。二番目の伯父は三商卒で現在は財閥系の技術者です。母は現在会社の会計を担っています。

恐らくではありますが、この家族構成を聞いたらある程度の方は、高学歴高収入な家系だと思っていただけるのではないでしょうか。それは実際事実であり、もっと言えば僕は定義通りのブルジョア(生産施設を所有している)とも言える家庭で育ちました。

しかし、これを自覚したのは、つい最近です。というのも、僕は幼稚園から高校まで私立の学校に在籍していました。私立の学校に通わせる親の所得は高い傾向にあります。補足すると、僕は幼稚園時代から塾通いをしていることもあり、教育費だけで恐らく2000万円は軽くかかっているという事実があります。そのような人が多いという環境もあり、「自分は中流階級出身だ。」とおもっていた時期がありました。

今思うと、「過去の」僕はハイソ(高収入家庭)だったのでしょう。自分がハイソであると気付いたのはここ最近です。双極性一型障害のため就労できずニートになり、メンヘラ.jpを通して知り合った人達と関わるようになってからそう気づきました。なお、「過去の」と書いたのは自分が現在無職かつ、不安定な状態にあるためです。教育費にこれ程かけられた僕の家庭は、高収入であるという1つの証明になるのではないでしょうか。

さて、ここまでは僕について、そして家庭環境についてお話させてもらいました。ここまで読んで、「お前は自慢話をするためにメンヘラ.jpに投稿したのか?」と思う方もいるかもしれません。ですが、それは違います。

今回僕は、高収入の家庭にうまれたメンヘラの辛さの説明。そして、それに加えて「精神障害は誰にでも起こりうることである」ということと「病気、障害は自分だけのせいではないんだ」ということを改めて伝えたいため、今回投稿させてもらいました。

まずは高収入の家庭にうまれたメンヘラの辛さについて4つ説明します。

 

① プレッシャー

父はオーナー社長という立場ですが、その父にとっても、先述にある教育費2000万円は大金だったようです。そのため、高校時代には「お前には教育費が2000万円近くかかってるからな(笑)」と軽く嫌味を言われる事もありました。父親としては軽く言っているのでしょうが、当時年齢も若く、就職もしていない自分からしてみれば、「必死に勉強して社会的に成功をしなければ、到底返せる金額ではない」とプレッシャーに感じました。

嫌味を言われ続けるのが嫌な僕は、授業料の高い名門私立大学ではなく、授業料の安い京都大学を目指しましたが、結果的には京都大学ではなく今の地帝に拾われました。

 

② 周囲の友達がどんどんお金を稼いでいくこと

僕の親しい友人は医者あるいは東証一部上場企業で勤めている人間ばかりです。つまり簡単に言ってしまえばある程度稼いでいる人達ばかりということになります。すると、彼らと食事をすると大体一回で一万円が飛んでしまいます。「行かなければいいじゃないか」と思われるかもしれません。ですが、働いて疲れてるのにもかかわらず、僕と会おうとしてくれる友人に「無職でお金がないからお前とは会えない」とは言えません。この辛さはもしかすると、無職などの環境にある人達にはおわかりいただけるかもしれません。

 

③ 今の状態から落ちることに対する不安

高収入であろうと低所得家庭であろうと、現在過去未来と同じ生活水準でいられるのであれば問題はないのでしょう。勿論低所得家庭出身の人が某IT社長のように、ビジネスで成り上がり高収入になれば限りなく幸せになるのでしょう。

これは言い方を変えると、高所得家庭でうまれた僕が低所得家庭の収入まで落ちてしまうと、今までの生活水準が一変してしまいます。おそらくこの事はかぎりなく不幸かつ、辛いことなのではないかと考えています。現在はまだ会社が黒字でかつ、父親が元気なので数年間は猶予があるかもしれませんが、今後はどうなるか僕にもわかりません。

 

④ 「家」に対する申し訳なさ

現在の僕の収入は障害者年金のみとなっています。この金額だけでは、実家の固定資産税の1/3も払えません。病気を寛解させて家を継ぐ。或いは障害者枠の雇用で大企業にでも潜り込まなければ僕は幼少期から育ってきた家を、見てきた美しい庭を手放すはめになってしまいます。

もしかしたら、「たかが庭でしょうに」と思う人もいるかもしれません。ですが、僕にとってあの庭はとても大切なものであり、曾祖父、祖父、父が愛した庭でもあります。なので、「もしあの美しい庭を手放してしまったら」と考えると、曾祖父、祖父、父に申し訳なさを感じます。

庭を手放す、つまり家自体の崩壊は考えるだけで自死をしてしまおうかと思う程、僕には辛い事です。

 

ここまで僕はハイソな家庭に生まれたメンヘラとしての4つの辛さをご説明しました。自慢や皮肉と捉えられてしまうかもしれません。ですが、僕が言いたい事は先述したようにもう2つあります。

1つ目は「精神障害は誰にでも起こりうる事である」と改めて認識してほしいと思っています。例えば、実際に僕の元彼女は僕よりも生まれ育ちがよい女性でしたが、境界性パーソナリティ障害を患っていました。「いました」というのは、もう数年前に自死をしたという事であり、当時の彼女の心中を察すると今でも涙が止まらなくなります。話がずれかけましたが、「精神疾患は甘えあるいは生まれ育ちの悪さ良さによって引き起こすのではなく、単なる脳機能障害」であるという認識をもってほしいのです。

そのため、メンヘラの方々も「自分の障害、病気を甘えや自分だけの責任であると捉えないでほしい」のです。これは僕が伝えたい事の2つ目にあたります。例えば、OD(オーバードーズ)、自主的な断薬等の自傷行為をしてしまったメンヘラの方は読者の皆様のなかには少なからずいると思います。自傷行為をしてしまう理由を自分の人格、性格的問題と考え、自傷行為を行ってしまったのは全て自分の責任であると考える人が多いと思いますが、そうではありません。僕は自傷行為は自分だけの責任ではないと考えています。

昔ODや自主断薬等の行動は「服薬コンプライアンス違反」というODや断薬を患者だけの責任とする言葉として表現されていました。しかし、この言葉は最近になってから「アドヒアランス不良」という言葉に置き換わりました。変わった理由としては、服薬管理を患者と医者の共同作業であると考えようとするためです。そのため、ODや断薬などの自傷行為をしてしまった、しているメンヘラの人も「自分だけの責任ではない」と思ってほしいのです。

つまり僕は、自傷行為などは自分だけの責任ではなく、あくまで病気のせいであり、主治医にも相談できないなど上手く信頼関係を築けなかったせいでもあると思ってほしいと考えています。

ここまで僕はハイソな家庭に生まれたとしてもメンヘラは誕生してしまう事、そしてハイソな家庭のメンヘラならではの辛さをお話しました。そしてその上で、「精神障害は甘えあるいは生まれ育ちの悪さ良さによって引き起こすのではなく、単なる脳機能障害」であるということ、ODや断薬などの自傷行為を行ったとしても「自分だけの責任ではなく、あくまで病気のせいであり、主治医にも相談できないなど上手く信頼関係を築けなかったせいでもある」と思ってほしいという事をお伝えしました。

最後に、盲ろう者の東京大学教授で、うつ病も経験された福島智先生のお言葉を引用して終わりにしようと思います。

“ところで、みなさんは自分の障害について、どう考えているだろうか。障害のあることは非常に苦労が多く、苦痛なことも多い。しかし、生きる上での深い部分で、プラスに作用する面もあるのではないか。それはみなさんの姿勢次第だ。

たとえば、障害があるという特殊な体験を通して、私たち障害者は「学ぶこと」「生きること」「幸せであること」「他者と共にあること」、そして「愛すること」といったテーマを、突き詰めて真剣に考えるチャンスを与えられている、と思ってみてはどうだろうか。それは理念としてではなく、日々の困難な体験を通して、そうした思索のチャンスが与えられているということだ。”
(引用元:障害のある受験生のみなさんへ

 

【謝辞】
本稿を作成するにあたり、格安でリライトを請け負って頂いた「せり」さん(@seri_nonnon)に、ここに感謝の意を表します。

また,このような文章を最後まで読んでくださった読者様に感謝しつつ、特にメンヘラの皆様においては「思索のチャンス」を活かし幸せに生きることが出来るよう、お祈りしています。


【執筆者】
匿名希望 さん

【プロフィール】
特になし


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