父親を殺したあとに食べたカップヌードルが、人生で一番のごちそうだった




初めて手首を切ったのは8歳になる前、梅雨の時期でした。

父の浮気が母にバレ、母に逆ギレした父が母を殺そうとしたのです。母は逃げました。娘の私は置いて行かれたのです。父は反省はしていたんでしょうが反省するだけ、娘のことは考えておらず母へどうすればやり直せるか、それだけを考えていました。ご飯は出てこない、仕事から帰ってきてもゲームばかり。今思えば反省してなかったんだろうな、ダメな父親です。

 

ある日、父は帰ってこなくなりました。

食事はありません、学校にも行けません、さぁどうする?そこで私は考えた、自炊だと。でも、たいしたものはできないので冷蔵庫のもので食いつなぎます。たまに置いていくお金を盗んで屋台のラーメンを食べました。後日半殺しにされたけど。

で、お金も底をつきました。うちには猫がいて、猫の餌だけはありました。私はどう生き延びればいいのか考えた結果、猫の餌を食べました。すごくまずかった。でも、飢えをしのぐには仕方なかったんです。

半月後、父親が帰ってきました。べろべろの酔っ払いです。聞いたら「祭りで飲んできた」とのこと。

ふーん。へー。私は猫の餌を食べたり腐った冷蔵庫の中身を食べて生きてきたのにね、あなたはそんなことも知らずに祭りでビールですか。ふーん。ほーん。こいつ、殺してやろうって思いました。母親と父親への復讐です。

べろべろの酔っ払いが目の前で寝ています。父が持っていた袋の中にはカップヌードルがはいってました。とりあえず家にあったガラスの灰皿で父の頭を全力フルスイング。なんか変な声がしました、知ったこっちゃないけど。すごい血が出てました。死んだと思いました。やった、これで終わりだ。そう思って嬉しくなった私は、お湯を沸かして父の持っていたカップヌードルを食べました。あの日食べたカップヌードルより美味しかった食事は無いなって、十数年経っても思います。そして私はウキウキした気分で眠りました。

朝です、父は生きていました。病院で頭を縫ったとの事。舌打ちです。半殺しにされました。そこでまた私は考えます、どうすれば母親と父親に迷惑をかけられるのか、あ、そうだ、死のう。子供は単純です、死ねば復讐になると思うんですから。

半殺しにされた後なのでボロッボロの私、気合いで立ち上がり机の中からカッターナイフを出して手首を切りました。うっすらしか血が出ません。ま、子供の力なんてそんなもんだよね。何箇所も何十箇所も手首を切ります、腕も切ります、血がポタポタ落ちます。これで死ねるとニコニコしてましたが世の中そんなに甘くなかった、普通に腕がイカ焼きになっただけでした。でもなんでしょう、このスッキリ感。今までのモヤモヤが晴れていくんです、増える傷と晴れるモヤモヤ。こうして私はリストカットに目覚めたのでした。

 

そんなある日、今でも覚えてます。私の誕生日だった日でした。

祖母が迎えに来たのです、「お家に帰ろう」と。何言ってんだ?と思いましたがタバコを吸いながら嫌そうな顔をした父が言いました。

「もうこいつは俺の子じゃない、早くこいつを連れて出て行け」

祖母になんてこというんだコイツって思ったんですけど祖母はとても気の強い女性だったのでブチ切れて反論しました。今日はこの子の誕生日なのに!と。父だった人は面倒くさそうに一万円札をぽいっと投げて「これでいいだろ、早く出て行け」。

あーそー。一万円が私への誕生日プレゼントかい、そうかい。祖母が何か怒鳴ってましたが、もうどうでもいいです。私はこの一万円で捨てられたんです。一万円の価値しか無い娘だった、もしかしたら母が出て行ったあの日から私は娘ですらなかったのかもしれません。

祖母に手を引かれて、住み慣れた土地を離れて隣の県に引っ越しました。まぁ、ここでもいい生活はできませんでした。簡単に説明すると、母は男の家に住んでてほぼ帰ってこない、祖母に育てられるも祖母も少し疲れていたらしく殴る蹴る、学校に行くも「よそ者だから」と教師とクラスの人間からいじめられる、もう散々でした。

リストカットは酷くなるばかり。どんどん傷が増えて腫れていきます。どんどんイカ焼きになっていきます。しまいには凸凹の傷になったので洗濯板になりました。中学に入ってからさすがに精神科にぶち込まれたんですが、担当医を外してしまい症状はさらに悪化。洗濯板はどんどん凸凹になっていきました。腕なのに腕じゃ無いんですよね、見た目が。

その頃には力もついてきたので静脈や血管、筋膜まで深く切って血だらけになってはゲラゲラ笑ってました。貧血すら楽しいのです。もはやストレス発散はリストカットだけ、たまに薬を溜め込んでオーバードーズをやってみたりしては胃洗浄をやられました。いらない子なんだからほっとけばええやんって感じでしたがそこは世間体が第一、私みたいな人間失格はどうでもいいのです。

高校生になって、大人になって、悪い男に捕まって、メンヘラは悪化して、腕も腕じゃなくなって、どんどん人間らしさは無くなります。キャバクラに勤めたりタバコを吸ったり、はたまた…(自主規制)。まぁ一通りやりました。首を吊ってみたりもして、ここまでくると自殺マニアです。

 

実家を出た後は遠い土地で静かに暮らしていたんですが、ある日祖母が末期の癌になったと連絡が来ました。

まぁ色々あったけど、私を育ててくれた大切な親です。帰れるときは帰りました。頑張ろうね、なんて言ったりもしました。祖母は好きでしたから。どんな仕打ちをされても祖母は私の親でしたから。できることはなんでもやりました、プレゼントを沢山買ったり、家事を全部引き受けたり、話も沢山しました。この時、初めて歩み寄ることを知ったんです。20代後半でした。余命宣告より長く生きた祖母、息を引き取った時は狂ったように泣きました。

通夜と葬式の前に少し部屋を片付けるとなって片付けてたんですが、そこで私は絶望したのです。実は姉と弟がいたんですけど、二人の母子手帳と母の母子手帳はあったんですけど、私の母子手帳が無かったんです。写真も無かった。

あ、そっか、私がどんなに好きでも相手には好かれてなかった、あげたプレゼントも、かけた言葉も全て届いてなかったんだ、私の涙は無駄だった。あーそっかそっか、あなたも私なんていらなかったんだね。悲しいね。

私が求めていた家族というものは一瞬でなくなりました。通夜、葬式が終わって私は灰になりました。自分が燃やされて骨になったわけでもないのに。

 

誰からも愛されていなかった。男には財布としか思われず、家族だと思っていた人達には家族だと思われておらず、私に残されたのは醜く太った体と可愛いペットだけでした。

どうすれば、どうすれば私を家族だと認めてくれて愛してくれたんだろう。あ、そうだ、痩せよう。当時の私の体重は63キロでした。身長は170センチです、デブです。そら愛されないよね、うんうん。ってなわけでダイエットスタート。一年で21キロ痩せました

たまに夢に祖母が出てきては、私の方には向かずにその他の家族と楽しそうに話します。まだダメか、まだ私は醜いのか、もっと痩せよう。食事が減っていき、しまいには吐き出すように。骨が当たって眠れない、頭が痛い、吐いてばかりなので声がカスカスになった日もあったし顔がパンパンに膨れた時もありました。さながらオカメです。

まだ、私はダイエットをしています。いつか祖母に「もういいよ、頑張ったね」、そう夢で言ってもらえるように。家族として受け入れてもらえるように。

普通の食事が食べれなくなってきて眠れなくなってきたので、精神科に行って眠剤だけもらって飲んでます。何か色々言われましたが覚えてません、過去に数回入院経験もあるので薬さえあればどうでもいいんです、治す気なんてもうないんですから。

あーでもいつかな、いつになったら私は人として見てもらえるのかな。そう思いながら日々吐いて、リストカットして、仕事して、たまに泣いて生きてます。迎えが早く来てくれればいいなと信じて。

 


【投稿者】
茶子 さん

【プロフィール】
家庭環境の悪さから小学二年生の頃からリストカット、中学生で精神科デビュー、ボーダー、解離性障害、パニック、鬱、拒食症と役満ダメ人間。まともな恋愛、生活はできずダラダラ迎えが来るのを待ってる人。


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