メンヘラを「肯定すること」と「受け入れること」は違う

PAK853_namiuchigiwadekoibito14171628_TP_V

本日8/14は私の誕生日である。

そして、ネットで知り合った知人男性の命日でもある。

この日に生まれた私と、この日に命を絶った彼の共通点のひとつとして、「メンヘラ」という単語がある。彼の生前、私たちはこの呼称とも概念とも空気感とも言える単語を介して、同人活動をしていたことがある。

 

そして私が今こうして文章を公開している場所(メンヘラ.jp)にも「メンヘラ」という単語が踊っていて、時々、批判や中傷を受けることがある。

それは「メンヘラ」に対して「気持ち悪い」「意味が分からない」と感じている人の声もあれば、「メンヘラであることをアピールして活動すること」に対してある種の不謹慎さや、読者に対する悪影響を案ずる人の声もある。いずれにしても私は書き手として、どんな批評も受け止めるつもりでいる。

そのうえで、どうして私がここで文章を書き、公開しているかについて今一度書いておく。
ちょうど、明日はメンヘラ.jpの公開から一か月になる。

 

 

死にたさの最大瞬間風速に抗うために

「『死にたい』と検索したら『死んではいけません!』と言われるのが嫌だった」
これはうちの一番最初の記事だ。

私たちは、死にたさMAXで検索窓に「死にたい」と打ち込んだメンヘラがここにたどり着いて、なんとなくぼーっと記事を読んでいるうちに気づいたら死にたさが薄らいでいるような、そういう場所になればいいと思っている。
早い話が自殺防止になるのだが、今の日本語ウェブの現状のように「死んではいけません!」と後頭部に殴りかかるような自殺防止は避けたい。私が死にたいときに「死んではいけません!」と殴りかかってこられたらサッと避けて殴り返すか、逃げ切ってそのまま手すりの向こう側へと全力疾走してしまいそうだからだ。

自殺の止め方は色々ある。個人によっても、自殺願望の原因によっても様々だと思う。
そしてこれは自殺の止め方に限った話ではないが、人の話に対して否定から入るやつはだいたい嫌われる。同じように「死にたい」に対して「死んじゃダメだよ!!」が聞き手の正しい感情であるとしても、正しい返事とは思えないし、死にたい気持ちを否定された側から「わかった!!生きる!!ありがとう!!」を引き出せるとも思えない。

では、私たちが夜な夜な検索窓に「死にたい」と打ち込んでいるような顔も見えない画面越しのメンヘラ相手に何が提供できるのか?

「暇つぶし」と「共感」。
先の記事ではこの二つが挙げられているが、私はここに「処世術」も付け加えようと思う。

死にたさの最大瞬間風速をじっと耐えてやり過ごすための「暇つぶし」
死にたさの最大瞬間風速で孤独を和らげるための「共感」
そして死にたさの最大瞬間風速から逃れるための「処世術」

私たちはこの三つを提供し、どうかあなたに死なずに生きてほしいと願っている。

 

 

メンヘラのための処世術

ここに示す処世術とは、いかに自分のメンヘラ性をコンテンツにして開き直って生きていくかという方法や姿勢の話ではない。
あくまでも生きていくために、さらに付け加えれば少しでも生きやすい環境を作り生存率を上げるためにどういう手段があるか、という情報の提供である。また、同じような境遇でもなんとか自分が生きやすい環境を作って生きている人たちの体験談なども公開している。

例えば「仕事がつらくて死にたい」「明日からまた仕事だと思うと体が動かない」という読者には「傷病手当金」という制度を受けた人の体験談。
「病院で治療する必要があるが医療費を捻出できない」「このまま死ぬしかない」という読者には「自立支援医療」という制度を受けた人の体験談。
「双極性障害で苦しんでいるが誰にも相談できない」「気持ちや情報を共有したい」という読者には同じ双極性障害を抱えながら生活している人の体験談。

これらの処世術を流し読みしながら、気が向いたら実践して、少しでも自分が生きやすい環境作りのヒントにしてほしい。

 

 

「肯定すること」と「受け入れること」の違い

メンヘラが目指すべきはメンヘラを治すこと(寛解)であることは間違いないだろう。
治療には治療のための専門機関が存在するわけで、私たちがここで提供すべきは治療法ではないと思っている。寛解するためには医療機関で正しい治療を受けて、寛解のための努力をしてほしい。

 

「肯定すること」は「一般に、同意すること、価値があると判断すること」とある。
対して「受け入れる」は「認める、真実としてとらえる」という意味があるようだ。
自分のメンヘラ性を「価値があると判断すること」と、「認める、真実としてとらえる」ことは似ているようで全く異なると思っている。価値があると判断してしまうと治療することは難しくなるだろうし、逆に正しい治療を受けるためにはまず自分のメンヘラ性を認めることが必要だ。

 

私たちは自殺未遂や自傷をコンテンツにしたいのではない。
ましてや、そういった行為を評価して煽り立てるような真似もしたくない。

 

ここにたどり着いたメンヘラが自身のメンヘラ性を「受け入れ」、そのうえでどうやって生きていくか、どうやって治療していく環境を作るか。
あるいはメンヘラじゃない人間が周囲のメンヘラをどう「受け入れ」、そのうえでどうやって理解するか、どうやって寄り添っていくか。

そしてメンヘラの自殺を防止する間接的な要素の一つになれればいいと思っている。




The following two tabs change content below.
詐欺自撮りで成り上がってきた詐欺師。「限界になったら自殺しよう」という気持ちで毎日楽しく生きてます。やる気あります。何でもやらせてください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です