拝啓、居場所がないと泣いているアナタへ




はじめまして、こんにちは。私はそこらへんにいる大学生です。毎日、自身の居場所について考えていて、伝えたいと思ったことがあったので、午前4時からキーボードを打っています。

今日は「拝啓、居場所がないと泣いているアナタへ」というテーマで、私のまだ知らないアナタに宛ててお手紙を書くスタイルを取ろうと思いました。このお手紙を通してアナタに何かしら伝わればと考えたのです。

唐突ですが、1つ聞かせてください。アナタに、「居場所」はありますか?

いきなりそんな質問をされても「居場所」の概念は人によって様々なので、私の考えたことを書こうと思います。

まず、「アナタに居場所はありますか?」という質問で3通りの「居場所」を考える方々に分かれたのではないかと想定します。それを1つずつ言葉に落とす前に、辞書的な意味を確認しておきましょう。

 

辞書的な意味での「居場所」、このお手紙でお話しする「居場所」

辞書では「いどころ」「人がいる場所」といった説明がなされているので、これはどちらかといえば精神的というよりも身体的に、肉体的に、物理的に、どこにいるか緯度経度で示せるもの(例:自分の部屋、電車の中など)というものが想定されるかと思います。

しかし、今回のテーマに沿って、この「居場所」という言葉の意味を読み解いていくとすると、それは精神的、思想的な、実態を計測し目視や観察がしづらいものになるかと思います。

私のお手紙の中での「居場所」の意味と、皆さんのここでの「居場所」の意味の合致ができたとして、では3通りの「居場所」の考え方について一緒に考えてみてくださいませんか?

 

パターン1:社会から割り振られた「居場所」

この世に母の子宮から生まれてきたならば、戸籍に自身の存在が記されマイナンバーが決められる時代ですね。義務教育では自身の出席番号が決められ、進学したなら学籍番号が決められ、就職したならば社員番号が決められる。私達の社会は常に数字で人の動きを把握しています。

しかしこれは、私達に「与えられた居場所」というよりは、常に新しい記録をできるように初めから「誰のためにも」用意された空きスペースというように私は考えます。これを「自分のために用意された」と思うのも「自分が空いた席に収まった」と思うのも、個人の価値観なので私からは何も書きません。

社会から割り振られた「居場所」がなく、基本的人権の尊重がなされない環境で育ったような方は、このような「居場所」に重きをおくのかもしれませんね。

家族という社会、学校という社会、職場という社会、友人関係の仲での社会、私達の周りには社会は様々な形で存在していますね。

 

パターン2:面識のある他者に与えられた「居場所」

私はこれについてよく考えていました。インターネットが普及し、SNSを通して常に人と交流するようになった私達は、たくさんの文字で表現された人々の一部と化しています。その中で居場所を探すのは、容易なことではないと私は考えます。

常にどこかで言葉のやりとりがされ、あるところでは恋バナに花を咲かせていれば、あるところでは非難、誹謗中傷、炎上といった事態が巻き起こっている。私達はインターネットがなかった時代のように、一人で物思いに耽ることも、自分の考えのより深いところまで突き詰めるということもしなくなってしまいました。

それは、インターネット社会がそうしたのか、生きることに焦りを感じさせ、悲しみや怒りを覚える環境がそうしてしまったのか、要因は考え始めればキリがないですし、今回のお手紙の趣旨とはどんどんずれていってしまうので、ここでは書かないでおきます。

話を戻して、常に人の言葉に溢れるオンライン上での生活において、近くにいる面識のある他者(例:家族、友人、恋人など)から「あなたのためにこの場所を用意しました」と言われなければ、「私には居場所がない」と感じてしまうのではないでしょうか。私はそうでした。「面識のある他者によって私のためだけに用意され与えられた居場所」がどうしても欲しかったのです。

 

パターン3:私の居場所は私がいるところ

私はこれに「自身の安全地帯」という名前をつけています。要は、私が「ココは私の居場所だと私が決めた」と心の中で宣言して、自らそこを居場所にしてしまうという方法です。ポジティブな状態だとそういう風に考えられるかもしれませんが、ネガティブな状態だとそう考えるのは難しいですよね。

私の場合、ひたすら「居場所が欲しい」「安全だと思える場所が欲しい」とぐるぐる考えてしまいます。そんな時、私がやる方法は「今日は一日あれもしたし、これもしたし」とその日やったことを一度頭の中で振り返るのです。倦怠感で何も動けなかったとしても、それは「次の行動のために休むことができた、無理をしないことができた」と私は考えています。ご褒美といっては語弊があると思いますが、私はその頑張りで消耗した体力を回復するために「居場所」を自分で作るように努力しています。

それでも、「居場所がないのではないか」と不安に感じて息苦しくなってしまう時があると思いますが、その時はツイッターなどで思う存分、自分の気持ちを吐き出してみてください。特定の人物に何度もしつこく連絡してしまうのは迷惑になりかねないので、まずは自分の気持ちを吐き出して、それがひと段落したら、自分の中で腑に落ちなかったり解決しなかったり共有したかったりする内容を誰かにメッセージとして送ればいいのではないでしょうか。

 

簡単そうに、「要は自己肯定でどうにかしろ」と言われているように感じるかも知れません。そう思っている方の誤解を解くために一言。

パターン3で述べた内容は自己肯定ができるようになるための1つの方法を、経験をもとに書いているつもりです。自己肯定で解決してしまえば、それはそれでいいのかもしれませんが、抑圧される社会において、自己肯定で解決するのは簡単なことではないと私は考えています。

 

最後に、自分の周りに「居場所がない」と悲しんでいる誰かがいたら、一言伝えてください。

「アナタの居場所はあると思うよ。今は私の話し相手っていう居場所があるでしょ?」と。

相手に言った言葉は、巡り巡って、いつか自分に返ってくるものだと私は思っています。

「自分に居場所がない」と泣く夜が、このお手紙を通して、減ってくれればと思います。

そこらへんにいる大学生まきさん。より

 


【投稿者】
大学生まきさん。 さん

【プロフィール】
精神疾患を持つ大学生。
Twitter:@mkmr1992


【募集】
メンヘラ.jpでは、体験談・エッセイなどの読者投稿を募集しています。
応募はこちらから


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)