「面前DV」虐待の連鎖を断ち切った私の話




はじめまして。桃と申します。
摂食障害と気分変調障害を患って20年ほどになるアラフォー女性です。

先日「夫婦喧嘩が子供に与えるストレスについて知ってほしい」を拝読致しまして、思わず筆をとった次第です。

私は自分の両親が仲良くしているところを見たことがありません。物心着いた頃でしょうか。気がついたら、両親は不仲でした。母曰く、「結婚して5年目で『この人とはもうだめだ』と思った」のだそうです。なのに子供は3人。不思議ですね。実は私も5歳頃、「この人たちは私が大人になるまで一緒にいないだろうなあ」と漠然と思っていた記憶があります。

父と母は8学年、年齢が離れていました。この年代の人には珍しく、二人とも背が高く大柄で、体力のある人たちでした。

父は普段は温厚でしたが、カッとなると何をするかわからない人でした。簡単に言うと、母に暴力を振るうのです。母は母で気が強く、口がよく回る人で、今思えば父の導火線を着火させてしまう事を言ってしまっていたんだと思います。

夫婦喧嘩が始まると、仲裁役はいつも長女の私でした。幼い妹と弟は泣くだけでしたからね。ボロい平屋の戸建てに住んでいた当時、大柄な二人の喧嘩が始まると、冗談抜きに部屋が揺れました。当時、父は消防士。ムキムキです。身長は180cm以上ありました。そんな父が母を殴る、蹴る。時には分厚い百科事典で何度も殴る。食卓に出れば食器が飛ぶ、物を投げつける、私は泣きながら止めに入る。母は何度か骨折をしたり、耳の鼓膜が破れたこともあったようです。

そんな環境で育った私は、「困ったときは殴って(叩いて)黙らせる」ということを覚えてしまいました。最初のターゲットは妹と弟でした。妹弟を叩いても泣くだけだし、そもそも姉の私に対しては反撃してきません。これに味をしめた私の暴力行為はエスカレートしていきます。

小学校に上がってからは、その対象は同級生に移っていきました。人間関係が複雑化し始める高学年頃から、私の暴力行為は表面化していきます。

あれは小学校6年生の時でした。同級生と喧嘩になって、5:1の構図で対立してしまいました。きっかけは、その5人のうちの1人(クラスメイトでした)を叩いたことから始まったことでした。女子トイレで5人に詰め寄られ、つい大声で「うるさい!」と叫んだ時でした。

「ほら、桃ちゃんは殴ればなんでも済むと思ってる」

気がつくと私は無意識のうちに右腕を振りかぶって5人を威嚇していました。

ハッとしました。これでは父と同じではないか、と。私は父とまったく同じことをしているではないか、と。

背中に冷や汗が流れるような感覚がしました。あれほど嫌だと思っていた父の暴力を、私自身が引き継いでしまっている。しきりに母が「桃は顔は私に似たけど、中身はお父さんそっくり」という理由はこれだったのか。

ショックでした。

その日から、私の中の暴力衝動と戦う日々が始まりました。殴りたくなったら、叩きたくなったら、右腕を叩く、つねる、抑えつける。必死でした。どんなに頭に血が昇っても、「あんなふうになりたくない、あんなふうになりたくない」と何度も唱えました。

努力の甲斐あってか、小学校の卒業を控える頃には、暴力衝動も薄れ、ようやく落ち着いて過ごせるようになっていました。

いつだったか、子どもの前で夫婦喧嘩を見せる(暴力行為を見せる)のは「面前DV」という名の心理的虐待であり、この件で保護される子供が増加しているという旨の記事を見かけました。私はその新聞記事を、鬼の首を取ったかのように母に見せましたが、母の反応は薄かったです。

結局、両親は私が中学3年生の時に離婚し、私と妹は母に、弟は父に引き取られました。すっかり年老いてしまった父は、昔の暴力行為なんて忘れてしまっているかのようです。

でも私は今でも忘れられません。いつ夫婦喧嘩が起こるかも知れないと、ビクビクしながら過ごしていた、幼いあの頃のことを。


【執筆者】
桃 さん

【プロフィール】
摂食障害20年超、通院歴15年超のアラフォー。
駆け出しの精神保健福祉士です。


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