極端な被害妄想で自分を追い詰める わたしの変えられない「生きにくさ」




わたしは相手がなにを考えているのか、常に気にしながら生きている。先回り先回りで、空回りしてじぶんも相手も傷つけることもしばしば。

喫茶店でひと休み、友達がスマホを見るたびに心がえぐられる。そして、声が聞こえる。

「お前といる時間が無駄なんだ。早く家に帰りたいんだよ。」

そうすると、いてもたってもいられなくなり、「もう疲れたでしょ、帰ろう!」と提案する。
友達は少し怪訝な顔をする。冷静に考えれば当然だ。スマホを見たと言ってもずっとゲームにふけっているわけではない。メールやLINEのチェックの一瞬だし、そもそもわたしだってスマホを見ている。

そんなことで相手が「わたしとの時間が苦痛なんだ」と考えるのは少し、いやかなり極端な話だ。

だけどそのときのわたしには正常な判断ができない。さっさと帰り支度をして別れる。そして帰りの電車の中で声を押し殺して泣く。

友人や恋人があくびをするだけで、LINEの返信が遅いだけで、返信が来ても文面に絵文字がないだけで、わたしは心をすぐさま閉じる。関係を切りたくなる。

そうやって、何人もの友達や恋人を失ってきた。

なぜだろう?
なぜなんだろう?
なぜわたしは人を振り回し、人に期待をし、人に完璧を求め、そうでなければ貝のようにじぶんを閉じることをしてしか生きられないのだろう?

じぶんでじぶんの首を絞め、じぶんが1番人生を生きにくく追い込んでいる状況を、どうやったら抜け出せるのか、考えている今日この頃だ。

 


【投稿者】
ナダヒトミ さん

【プロフィール】
統合失調症、ミュンヒハウゼン症候群の22歳。最近買ったレコードはRCサクセション「BLUE」。何かと生きづらい。


【募集】
メンヘラ.jpでは、体験談・エッセイなどの読者投稿を募集しています。
応募はこちらから


2 件のコメント

  1. 荘川桜 返信

    友達や恋人がいたという事実がある点において、うらやましすぎます。

  2. じょう 返信

    とても共感しました。
    人といるときは、携帯を見ない。見るなら一言断る。
    3人でいるときに、2人しかわからない会話をしない。
    相手の話の途中で、別件で話が途切れてしまったら、別件が終わり次第さっきの話の続きは何か聞く
    など、私にとっては当たり前の気遣いが、なぜ周囲の人は気を遣わないのだろうとさえ思ってしまいます。

    最近、やっとこれらが普通の気遣いではないのだと知りました。驚きでした。人と接する時、相手の行動の端々から「もしかしたら私と話したくないのでは。(話がつまらないのでは。)」と感じてしまいます。生きづらいです。

    毎日、なんで生かされてるんでしょうね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)