「教育虐待」を受けていた私の人生 ─ 鉛筆の手を止めれば、殴られる ─

体験談 虐待 毒親 kato.hk

私の親は毒親だった。今のところ、2度と一緒に暮らすつもりはない。

私の親は、世間的に見ればとてもいい親だと思う。2人とも教師という社会的地位の高い仕事につき、学校でも生徒から好かれていた。私にたくさんの習い事や塾へ行くお金を出してくれたし、精神的に病んだ時はいくつもいくつも病院に連れて行ってくれたし、大学に行くお金も出してくれたし、バカなことやって病院に運ばれたりした時も下宿先まで来てくれていた。

そのことに対しては本当に感謝しているし、そこまでしてくれた親を毒親呼ばわりするなんてとんでもないことなのかもしれない。

しかし、確信を持って言える。私の親は毒親なのだと。

私が今苦しくて苦しくて仕方なくて、精神的に病んだ原因になったのは、親なのだから。

 

■「勉強こそすべて」という価値観


教育虐待、という言葉がある。

殴る、蹴る、無視する、性的ないたずらをするのではなく、教育を通して子どもを心理的に痛めつけたり、追い詰めたりして心に傷をつける虐待のことだ。テストで悪い点を取ったら殴るとか、あなたのためと言って子どもが望んでいないのに塾や習い事に行かせるとか。私は多分、それを受けていたのだと思う。

私の家では「勉強が一番大事。勉強しなかったら幸せになれないし、友達もできずにいじめられる」ということを強く教えられた。特に高校に入ってからは毎日のように「勉強が一番大事」と教えられ、勉強は東大に入れるようなレベル、部活もかなりのレベルを求められた。毎日いい大学に行った人間と、そんなにいい大学に行っていない人間、そして高卒の人間の平均年収を並べて見せられて「勉強するかしないかで生涯年収がこんなに変わるのよ!」「いい大学を卒業しないとダメなのよ!」と何度も何度も教えられた。

また、真面目で絶対にいじめなどせず、差別をしない人間であることを求められた。それもあって、周りの子どもとそりが合わずいじめられることになるのだが、「勉強しなかったやつは高校から友達ができずにいじめられる。勉強したやつは高校から幸せになれる」とずっと教えられた。この言葉が嘘であったことは、高校に入ってから身をもって知ることになる。

音楽や趣味、おしゃれ、ゲームなんかは全て「勉強の息抜き」だった。勉強が生活の中心にあって、その息抜きとして他のものがある。そんなイメージ。だからテレビも見なかったし、ファッションや流行にもすごく疎かった。それもあってクラスの子達の会話に入って行けなかった。

とにかく勉強ができることがいいとされた。そして家族全員、偏差値の低い高校や高卒で働いている人間を下に見るなど、勉強ができない人間を無意識に馬鹿にしていた。運動ができることよりも、友達が沢山いることよりも、好きなことがあることよりも、勉強ができることが大事にされたし、それだけで人間の評価が決まっていたように思える。勉強できる人間が人格的にも社会的にも優れている、そんな世界観で生きていた。

こんな家庭で育ったからか、勉強が1番でないと人と繋がれない、幸せになれない、勉強ができて初めて自分に価値が生まれる、という極端な思いがあった。というか元々「自分に生きている価値がない」という気持ちが強かった。自分は発達障害を持っているのだが、その影響で極端な考え方してしまう傾向にあるのかもしれないが。また、遊ぶことやお金を使うことにとても抵抗があるし、勉強していないと常に不安で、自分に自信がなかった。

 

小さい頃から父親は機嫌を損ねるとめちゃくちゃするし、母親は過干渉な親だった。

例えば小2のとき、勉強させられている時に父親に口答えして、機嫌を損ねてしまった時があった。すると父親は「今からお前のことを大人として扱ってやる」と言って、私が鉛筆の手を止めたら殴って、問題を間違えたら殴って、ワンワン泣きながら「やめて、こんなのおかしい」と反論したら殴ってきた。父親はきつい声で「これが大人の対応だ。大人はこうするんだ。」と言った。父親は普段は何も言わないが、機嫌が悪い時や私がどうしても言うことを聞かない時にこんな風に力づくで言うことをきかせる人だった。

母親は常に「勉強しなさい!」と言ってくる人だった。「遊んだあとは勉強しろ」「夜は勉強しろ」「宿題はしたか」「ゲームばかりするな」といった感じで、何かにつけて勉強しろと言ってくる。また勝手にランドセルやカバンを開けて中のものを見たり、勝手に勉強のスケジュールを決めて無理やり勉強させようとしたりしてきた。一番嫌だったのが「中学校から塾に行く」と話し合ったはずなのに、無断で小学6年生の途中から塾に入れさせられたこと。小6の時放課後にみんなで遊ぶのが何よりも楽しかったのけど、塾に行かないといけなくなって、放課後みんなと遊べなくなってすごく悲しかった。人生で一番無邪気で楽しく遊べる時間が奪われて、今でも恨んでる。

あと地味に嫌だったのが、夏休みの自由研究や美術の宿題を「自分がやりたいから」という理由で母が勝手にやることだった。自分でやるから手を出さないでと言っても「だってやってみたかったんだもん」と言って勝手に仕上げてしまうのだ。宿題が減るので楽にはなるかもしれないが、これがどうにも嫌だった。

また、両親は、勉強以外のことを全く教えてくれなかった。友達の大切さとか、社会でうまくやっていくためには何をすればいいかとか、これから学ぶこととか、人間関係とか。教えてくれたのは2つだけ。学校の勉強と、勉強したら幸せになれる、友達もできるし社会でもうまくやっていける、という嘘の2つ。

 

■両親の嘘に気付いた学生生活


いよいよしんどくなってきたのが高校生のとき。

「勉強したら幸せになれる」「勉強しなかったやつは高校に入ってからいじめられる、お前は幸せになれる」という言葉を真に受けていた私は高校に入って絶望した。中学までと違ってレベルが高く、勉強しても1番になることができず、自尊心を保てなかったからだ。そして、私をいじめていた人たちが私よりも幸せそうに、友達をたくさん作って学生生活をエンジョイしていたからだ。親が教えることと、現実が全く違った。そうして絶望しているうちにいつしか勉強ができなくなっていった。

テスト期間になっても勉強しない私に対して父は、「やるべきこと(勉強)をやらない人間に便利なものを使う権利はない」と言って携帯とかクーラーのエアコンを取り上げた。そして机に無理やり座らさられ勉強させられた。「こんな問題もわからないのか」「こんな成績だから〇〇(東大に進学するくらい頭のいい子)に負けるんじゃないか」と後ろから嫌味を言われ続け、精神的に限界がきて「わあああああああああ」と泣いて発狂するまで勉強させられた。発狂した後も殴られたり嫌味を言われ続けて、体が勝手に震える、意思に反して体が動くなど本当におかしくなるまでそれは続いた。

その後、私は部屋に閉じこもったり教科書を破り捨てたりして、明らかに精神に異常が出ていたのだが、教育方針は変わらず苦しかった。遂に学校に行けなくなった時には両親に手足を拘束され、車に担ぎ込まれて学校に連れて行かれた。私は親の言うことを聞くふりをして学校に行き、親の目が離れたところで学校から逃げて、コンビニでカッターナイフを購入し自殺を図った。臆病なので何もできなかったけど。

その後は引きこもった。引きこもる自分に対して父親は「いつまで引きこもっているんだ」「勉強も何もしないお前にオシャレや何かをする権利はない」と叱って追い詰めた。母親は「いつ学校に行くの?」「もう学校に行かなくなって〜〜週間よ」と学校に行くように急かしてきた。学校にも家庭にも居場所がなくなって、どうしようもなく辛くなって、遺書を書いて2度目の自殺を図った。それからきつく叱られることはなかったが、「学校に行ってね」みたいに言ってくるのは止めなかった。多分両親にとって、私の人生や健康よりも、学校に行くことや勉強ができることの方が大事だったのだと思う。

その後は高校を中退して、鬱に悩まされながらも高卒認定試験に合格して受験勉強して、それなりの大学に進学することが決まった。私は満足していたし、卒業した今でもいい大学だと思っているのだが、家族は「あと1年勉強したらもっといい大学行けたかもしれないのにね〜」「お前が数ヶ月程度の勉強で受かる程度の価値しかない大学だろ?」などと言ってきた。どこまでも嫌だった。こういう家なんだ。

私は大学で勉強や学生運動、サークルなど積極的に取り組んだ方だ。ただし全てうまくいかなかった。鬱を悪化して休学もするし、発達障害もあってやらかしていろんな人に迷惑をかけ、たくさんできた友達のほとんどを失うことになった。本来は休むべきだったのだろうが「勉強で一番じゃなくなった今、他のことを頑張らないと行けない。他のことを頑張らないとバカにされる。私に価値がなくなる」という思いがあって、体が壊れても精神的におかしくなっても勉強やサークル活動をやめて休むことができなかった。常に精神的にも肉体的にもボロボロで、何をやってもうまくいかず常に死にたかった。

勉強だけはできたので優秀な成績で卒業できた。というよりそれしかなかった。友達との思い出、旅行、いろんな遊び、友達と騒いで飲んで明け方まで語り合うような学生生活、私が本当に欲しかったいろんなものは、手に入らなかった。

両親は「こんな優秀な成績で卒業するなんてやっぱりすごい!良かったね!」と褒めた。何がよかったのだろう。勉強しかできない、友達もほとんどいなくなった、趣味もない、感情もない、精神的にも肉体的にもめちゃくちゃで、周囲には大迷惑をかける。誰から見ても不幸で、絶対にこんな奴にはなりたくないと言われる人間なのに、何がすごいのだろう、何が良かったのだろう。こんな勉強しかできないクズに、なんの価値があるのだろう。こんな人生に何の意味があるのだろう。そう思っていた。

 

そして就職してから本格的に壊れた。いや就職する前から既に壊れていた。壊れていることにも気づけなかった。就職してすぐ休職してしばらく休んでから、自分が完璧に、人格も考え方も思考も何もかも、壊れていることに気づいた。殴れられて、死に物狂いで体と心を壊しながら勉強したことなんて、全く役に立たなかった。

家族にされたことで他に嫌だったことは、

・小さい頃、兄が毎日のように殴ってきたこと(最初に手を出したのは私らしいけど、記憶がないほど小さい頃だったので覚えていない)
・母が家事のほとんどを祖母に押し付けておいて、いつも家事の不満をぶつけ大声で喧嘩していたこと
・周りの子どもや大人は信用せず、父と母が1番正しい、私たちの言うことを聞けと言い、父と母よりもすごい人がいると言うと機嫌を損ねて怒ること
・親の夢や都合を押し付けて「こんな職業につけ、こんな仕事をしろ」と言ってくること
・学校に行かなくなった後、自分の意見を無視して5つも6つも病院に連れていったこと、効果あるのかわからない高額なサプリメントを大量に飲ませてきたこと
・父も母も兄も、自分の間違いは絶対に認めず、私の責任にしてくること
・飼っている犬の名前と自分の子どもの名前を間違えること
・大学に入ったあと下宿したが、電話するなと言っても毎日のように電話してきたり、勝手に家にきて食材などを買ってきたり、「ここは俺の別荘だ」と言ったりしてくること
・しんどくなると「お前を育てるのにどれだけ手間暇かけたと思っているんだ」「お前は本物のクズだ」「これまでお前につぎ込んだ金を返せ!!」と言ってくること

などがしんどかった。正直しんどかったこと、嫌だったことなんて多すぎて書ききれない。

 

■虐待されている子どもは、虐待されたことに気づけない


親からこれだけ傷つけられてきたにも関わらず、私は自分が虐待されているなんて夢にも思わなかった。だからどうして自分が生きづらいのか、悲しいのかわからなかったし、自分が全て悪いと思っていた。

大学で虐待の研究をしていた知人がいるのだが、その知人が言うには「虐待を虐待として認識するには他者の視点が不可欠である」とのこと。

例えば殴られる、蹴られるという行為を日常的にされていたとしても、そのような行為が虐待だと他者から指摘されたり、インターネットなどで知識を得たりしない限り、本人は虐待を認識することは難しいのだとという。そのため虐待されているとは思えず、自分が悪いから叩かれているなどとと思い込んでしまったりしてしまうそうだ。私はまさにこれだった。

この知人の話を聞いたこと、ニュースで教育虐待という言葉を知ったこと、そしてインターネットにある「虐待された子どもに当てはまる特徴」みたいな記事で、自分に当てはまることが非常に多かったこと、そしてソーシャルワーカーの友人に「私は虐待されていたのかな?」と聞いて「少し聞いただけでは虐待とは断言できない、ただ相当辛い環境だと思う」と言われたことから、自分は虐待されていたのかもしれないと思えた。(ただ今も「本当に虐待されていたのか?」と言われると正直自信がないところがある。)

特に過干渉や教育虐待のようなケースは理解されにくい故に気づきにくいのかもしれない。私も友人に虐待を受けた、殴られたりしたと言ったのだが「教育熱心な親なだけでは? むしろ羨ましい」「君が悪いことしたからじゃないのか?」などと言われ理解されなかった。自殺を考えて実行するほどに苦しかったのに。周囲に虐待についての理解や知識がある人がいないと、自分が虐待されていることにも気づけないのかもしれない。

このように虐待を受けていたり、親に深い傷を負わされてもそれを虐待だと認識できないことで、自分が悪いと思い込んだり、必要な支援を受けることができなくて苦しんでいる人って結構な数いるんじゃないかと思う。

「何故かわからないけど生きづらい」「自尊心が低い」「虐待された覚えがないのに、虐待された人間の特徴が当てはまる」という人はもしかしたら、親に傷つけられていたけれどそのことに気づいていなかったり、傷つけられたと自信を持って言えない人なのかもしれない。

そういう人は専門家や誰かに「私はこういうことをされていたのですけど、これは虐待ですか? 辛い環境ですか?」と聞いてみるのがいいんじゃないかなと思う。誰かに「あなたは辛い環境にいたんですよ」と言われるだけで、すごく楽になる。

 

■私と家族のこれから


うまく言葉にできないが、あの家にいると何かが壊されていくような気がした。じわりじわりと、人間として大切な何か、何かが汚染されて、壊されていくような気がした。

両親にとって、私は人形のような存在だと感じていた。両親の幸せのために私がある。着せ替え人形のように、自分の思い通りにしようとしてくる。自分の満足と快楽のために、私は利用されている、搾取されている。そんな感触があって、とても苦しかった。

何よりも、親と一緒にいると今までされてきたことの恨みや怒りが腹の底から湧き上がってきて、それをぶつけてしまうことも多くて、辛かった。だから私は、家を出た。

連絡手段も全て絶った。住所も教えていない。職場はバレているので転職してどこかに行こうかと考えている。そこまではしていないが、役所に「虐待を受けていました」と報告して、住民票や戸籍からも自分の居場所を調べられないようにしようかとも考えた。今のところ二度と家に戻るつもりはないし、家族と会うつもりもない。

家族と距離をとって今で半年ほど経つが、少し生活しやすくなったように思える。精神的に安定してきたところがあるし、自分が何を考えていて、何を感じて、何がしたいのかが徐々にわかってきたような気がする。「自分」というものを少しずつ取り戻している感じ。あと「勉強できなくても生きてていいんだな」ってちょっと思えるようになった。

今でも過去のことを思い出して怒り狂ったりしてしまうのだが、一人暮らしなので誰も傷つけずに済むのも良い。金銭的な意味で生活は苦しくなったし、鬱にもかかわらず身の回りのことを全て自分でやらないといけないので大変だ。ただその代わりに大事なものを取り戻している、ような気がする。できるのなら、友達との思い出とか遊びとか、私が本当に欲しかったものを、これから手に入れていきたいし大事にしていきたい。

 

家族は反省しているとは思う。家を出る際に母親は「〇〇(私の名前)が気持ちよく過ごせる家じゃなくてごめんなあ、ごめんなあ、なんとか一緒に暮らせへんかなあ」と何度も言ってきたし、父親は私が出て行ったことに対して「どうしたらよかったのか」と毎日後悔しているそうだ。

私が思うこの家の最大の不幸は、「両親とも真面目に、愛情を込めて育てていたつもりだったのに、子どもにとって毒になる親になってしまったこと」だ。

どれだけ愛情を注がれても、大切だと言われても、社会的評価が高くとも、私が辛くなるような愛し方や関わり方しかできない私の親は、私にとっては毒親だった。多分もう変わらない。嫌なところを変えて欲しいと何年間も訴えたが、両親は変えられなかった。だから私は家を出て、別に暮らすのがいいと思った。私の命と人生を守るために、そうするのが一番いいと思った。

ただ、そんな親になってしまった両親も不幸だと思うから、私抜きで家族を作って、幸せになる権利はあっていいのかなと思う。聞けば父親は15歳の時からずっと死にたかったらしいし、母親も家庭環境はよくなかったように思える。だからと言って私がされたことを許すことはできないのだが、みんな苦しかったのだと思う。

虐待を受けた人に、虐待する親を許せとは絶対に言わないが、私の親の場合はそれくらい許してあげてもいいのかなと思っている。私が病んでたくさん過ちを犯して、これからやり直そうとしているのだから、親にもそのチャンスはあってもいいと思う。一緒に暮らすのはもう嫌だけど。

私の話はここで終わりです。誰かに聞いて欲しかった。
ありがとうございました。

 


【投稿者】
kato.hk さん

【プロフィール】
色々ありながらもなんとか生きている会社員です。自閉症スペクトラム診断済み。
twitter:@kato_1234h


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4件のコメント

のどか 返信

私も、精神的虐待を受けていました。誰も理解してくれないし、誰も助けてはくれなかったけど、最近、カウンセリングを受けています。まだ3回しか受けてませんが、かなり私の心が安定してきていると思います。
これを読んで救われました。私は自殺未遂まではしたことが無いので、貴方の方が相当苦しかったでしょう。どうか、貴方の第二の人生が幸福で満たされますように。願っています。

Nooon 返信

こんにちは。
Twitterより貴方様の記事を拝見いたしました。現役の小児科医であり、小児科医二年生です。

貴方が両親や家族にされて嫌だった事の項目を読んでいる時、貴方のその時の感情が自分の事の様に想像され、苦しく涙がとまりませんでした。貴方がどれほどに苦しい時期を彷徨い、もがいていたのでしょうか。私に想像しがたいことです。

子どもの健やかな発達や成長に携わる義務があり、貴方様の様な声は私のような職務のものには痛いほどに刺さることだと思います。

どうか今後の余生で貴方が貴方らしく自由な時間を過ごせますようお祈り申し上げます。

最後に

苦しい胸の内をこのように書き綴ってくださった事を心より感謝申し上げます。
貴方の文章がたくさんの人の心を動かすことは間違いないと思います。

通りすがり 返信

まさに私が通ってきた道で、自分が書いたのかと驚きました。
小さい頃から自殺を数十回計り、親にも思い通りにならないなら殺すと、何度も殺されかけました。
蘇生されるたびに「死ねば良かったのに私」と思ってきました。
数年前に裁判をし「親と私は二度と接触を図らない」との判決が下っています。

kato.hk 返信

長い間コメント返しできなくて申し訳ございません。著者のkato.hkです。読んでいただきありがとうございます。
自分の苦しかった経験を書いただけなのですが、結構な人が「同じような経験をした」「救われた」と言ってくださっていてびっくりしています。自分だけじゃなかったのかと。その事実に自分もちょっと救われたりしています。
今現在も「なんとか生きている」という感じなのですが、なんとか生き延びていきたいです。
みなさん健康で楽しくいきられますように願っています。

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