発達障害グレーゾーンの僕は「発達障害は障害ではない」と思う




はじめまして、さくともと申します。自分は発達障害のいわゆるグレーゾーン(ADHD傾向あり)で、数年前に鬱病で通院歴があります。現在は寛解して、一般企業でITエンジニアとして働いています。

そんな人よりも少しだけ現代日本社会に「生きづらさ」を感じてる僕が、誤解を恐れずに主張したいのは「発達障害は障害ではない」ということです。

いきなりこんなことを書くと、怒る方もいるでしょう。そりゃそうです。いま現在、治療中の方、障害を抱えて生活されている方、苦しい思いをしている方からすれば、グレーゾーンでなおかつ就労しているお前が何言ってるんだ!って思うことはよくわかります。

でも、少しだけ話を聞いて欲しいのです。僕が正しく主張したいのは「発達障害は社会的な障害であって、個人に帰属する障害ではない」ということなのです。

どういうことか? これは発達障害を抱えている人の問題の多くは「社会の非寛容さ」から生じるものだと思うからです。

 

# 社会の非寛容さとは

この社会の大多数は発達障害ではない人(定型発達)です。それはつまり、社会システムそのものが、定型発達の人の前提に作られているということです。

例えば、「会社で働くこと」ひとつとっても

– 平日は毎日朝から夕方までの決まった時間に働かなければいけない
– その時間にある程度のパフォーマンスを発揮させつづける必要がある
– 仕事は一定以上の成果を求められる
– 机の上でじっと座っていなければならない
– 人との会話は意図を明確に正しく伝えなければならない
– それらのフィードバックを定期的に受け、自身の評価とされる

などの、発達障害者にとってはそれはそれは高い障壁があるわけです。

これは僕が就労している上でつらいなあと思うことの一例でもあるのですが、もちろん働く以外の生活のことでも困難さを感じることもあります。

そこで思うのは、このような障壁をひとつでも変えられたら、発達障害者の感じる「生きづらさ」を軽減することができるのではないか、ということです。それは同時に定型者、発達障害者の両方にとって生きやすい社会をつくるということにも繋がるはずです。

 

# つまり、あなた自身が悪いわけではない

あなたの性質はその発達障害に起因します。それはある種、仕方のないことかもしれません。だからこそ、いま障害を抱えて生活に問題が生じているあなたに言いたいのは「あなたは悪くない」ってことです。

定型と発達障害の違いは脳の作用に起因すると言われています。しかし、その仕組みが全て解明されているわけではありません。定型の脳の仕組みが正常な状態である、と定められているのは、それがたまたま大多数の人がそうであるっていうことだけです。それが正常か正常ではないかではなく、ある種の多数決として決められているにすぎません。

大多数ではない人を「発達障害」と区別すれば、確かにそれで救われる方もいます。しかしそれだけに留まっていては、発達障害者の抱える生きづらさまでは解消されないのではないでしょうか。

あなたに問題があるわけではない、問題を抱えているのは大多数にしか適用できず、それ以外を寛容できない社会です。あなたが、いま抱えている社会的な困難なことを「障害」としてしまっているのは、社会だと思うのです。

 

# グレーゾーンで就労している自分自身の役目

僕自身は日々の生きづらさを感じながらも、なんとか就労しています。もちろん、困難さを感じることも少なくありません。発達障害でもなく、かといって定型でもない僕が感じる使命は、発達障害者が生きやすい社会の仕組みをつくることです。

幸いにも、発達障害者の気持ちが少しわかります。その障害の性質や特性を少しは理解ができます。生きづらさや困難さを抱える様々なポイントを少しづつ解消していくことができます。僕だけの力では難しいけれど、同じような考えの方が増えれば「発達障害は障害ではない」社会に少しづつでも近づけていくことができると思うのです。

ダイバーシティや相互理解の考え方は少しづつですが、社会に広まってきています。多くの問題を抱える方がすこしでもその問題を解消できて、のびのびと暮らせる社会に近づけていければいい。切にそう思います。

 


【投稿者】
さくとも さん

【プロフィール】
発達障害グレーゾーンで、うつ病通院経験あります。現在は寛解して一般企業でITエンジニアとして働いている20代。


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2 件のコメント

  1. 藤元 返信

    「現在の世界」は「現在の世界」でしかないですよね。人間は社会を変えて生きてきた。この自発的な力が封鎖されて無視されて、それを尊重していく機運や視点すら存在しなくなっている。そして何故か、「現在の世界に合わない」という財産を持ってる人が、「私は病気ですから」と、不健康な卑下をする。adhdだって病気ではないとも言われていますよね。http://enneagram.majikanakajima.com/?eid=12これ見ると、「内向的なタイプ」は定型発達の真逆にも見えてきます(まあ僕はユングの論に詳しくはないのでそんなに確証を持って発言できないのが悩ましいところなのですが)。だいたい、「定型発達」という概念にしたって、なにをどこまでそう言えるものなのか、はっきりした定義が、証明されているものなんでしょうかね~。「発達障害」なんかは、あってもいい呼称だけど、ラベリングの仕方としては、まだ中途の段階でしょう。変に凝り固まった視点を持つ意味もないと思います。

    今の社会が病気なんだと思います。社会の仕組みはどれも必然性をもって運用されてますか?なぜ皆「社会そのものを否定できない」(→社会を変革できない)という認識を持つ病気に冒されていて、欠乏感の中に生きてるんでしょうか。
    ちょっとコメント者の知識には裏付けがきちんととれてないとこがまだあるので、失礼。

  2. とおりすがり 返信

    まったくもって同感です。
    個々が自身の理想を普通と定義し、他人に期待しがちなのも良くないのでしょう。
    予想外の反応をされたとき、新しい視点に感謝する人間でありたいものです。

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