記憶喪失 ある日ふと、全てを忘れていることに気付いた

体験談 福祉 ちとせ 記憶障害

初めましての投稿になります。

自分はメンヘラ、と呼ぶのとは少々違うかもしれませんが、ちょこっと普通の方と違った人生を歩んできました。と、言ってもそんな大層なものではなくて。若いガキがちょっと道を踏み外したりなんだったりみたいなものです。抱えきれなくなって、少ししんどくなってきたのでこの匿名の場をお借りしました。

どこまでが本当なのか、どこまでが作り話で妄想なのか、自分でも正直確証が持てないのでフィクションの物語を読むぐらいのイメージでいて下さると幸いです。

 

私には記憶が一部ありませんでした。一部っていうのがおかしな話ではありますが、ある時を境に過去の父と母の記憶がぽっかりと抜け落ちてしまったのです。名前、住所、電話番号、顔、声、かつての出来事、親類関係など大雑把なところから細部に至るまで記憶がありませんでした。

私には弟がひとりいますが、その子との記憶はあるんです。どこそこ行ったとか何の漫画が好きだったとかこの料理は好きだったとか。うすらぼんやりと。ただ、そこに両親の姿はなく、例えば食卓に作っていただいた料理があって弟がいても、父と母の姿はない。透明人間がそこにいる。みたいな感じでした。

また、自分の学生時代の記憶も殆どありませんでした。というのもこれも一部で、当時仲良く現在も縁あって関係が続いている子は覚えていますが、それ以外はわからないということ。そして学生時代の学校以外での自分の生活が空白ということ。また、学校を辞めた直後の記憶などがないのです。ただきっと私は不登校になったのか辞めたのだろうと漠然とわかっていた、それだけでした。

 

当時、未成年で家を借りることも携帯の契約をすることもままならなかった私は、付き合っていた方の家に居座っていました。そこは付き合っている方以外にも生活している人がいて、所謂シェアハウスのような状態で同棲、居候、どっちと取るのか未だに定かではありません。

そこで過ごし始めた当初、私は廃人のようにリビングの椅子に体育座りをしてるのが常で生気がなかった、だとか。失声症?だとかで声が出せない状態だったそうで。(今は趣味で声活動をしてる身なので、そう聞いたときは驚きました。)

少しすつ回復してきたのか、だんだん普通に生活できるようになりました。人の声が痛くてテレビが見れないので消音で字幕のみにしてもらったり、音の刺激が強すぎてヘッドフォンなしでは会話も外に出れないので常につけていたり、一緒に生活してた方々が気を使ってくださったりで、普通からはほど遠いかもしれませんが、そんな状態でしばらくはそこで家事手伝いをしてました。

私は何故自分がそこで生活してるのか、あまり覚えていませんでした。一度疑問に思って聞いてみたことがあるんですが「覚えてないの?」と驚かれて困った顔をされました。「覚えてないなら別に思い出す必要もない」と言われ、鵜呑みにし、深く考えずフリーターとしてアルバイト生活をしていました。

飲食店でアルバイトしていると、一緒に働いてる方とお話する機会や聞く機会がどうしても増えました。またお店としてもお客様とも距離の近いお店でもあったのでお話することがありました。そこで時たま聞くのが家族の愚痴だとか自慢話とか、ふと、自分にはそういう引き出しがまったくなく、その時初めて自分が両親のことを覚えてないのに気づきました。幸い、生活をするにあたり困ることはあまりなかったので、そういったことを特に「思い出さなきゃ」と危機感を覚えることもなく、ただただ毎日を過ごしていました。

それからシェアハウスの環境が少し変わり、住人が私とお付き合いしてる方だけとなりました。

しばらくは普通に擬似新婚生活のようなものを送ってたような気がしますが、その方はアルコホリックで、飲むとまぁ激情的になるタイプでした。そういった時に何か気に障ることをしてしまったのか、もしくはずっと鬱憤が溜まってたのか。当時仲が良くカラオケに行っていた男友達と付き合っているんじゃないかと誤解され、結構強めの暴力を振るわれました。以前からそういうことは多々ありましたし、静かにしていれば嵐が過ぎ去るのでただ謝ってされるがままになっていたのですが、扇風機を投げられたり、包丁が飛んでくるのは初めてだったのでびっくりしました。

大切な友人に迷惑をかけてしまったり、仕事に行く時間なのに行かせてもらえず、私も少々熱くなって抵抗してしまったらそれが火に油を注いだのか強姦まがいのことをされてしまいました。なんだかその時に自分の感覚が離れていって、FPSというゲームのように世界と自分の手のみが映ってて現実感がない感覚、離人のような感覚をそこで覚えました。のちのちそれが癖づいて普通の生活の邪魔になるのですがそれは置いておくとして。結局、理性があったのか中ではなくてお腹に出されて服やもろもろ汚れてしまいました。

相手がそれで申し訳なくなったのか怒りが少し収まったのか知りませんが、お風呂に行くよう促してくれました。そこで体を洗ってぼうっと考えてる時に、いっそ無理やりやって生で挿れたんなら出せよいくじのねえちっちぇ男、と思ってしまい、私自身興味が失せたのかお財布と携帯と少しの荷物を手に「仕事に行ってくる。遅刻しても取り敢えず謝ってくる」と言ったらあっさりお家から出してくれたので、そのまま逃げることにしまいた。

とは言っても行くあてなどなくて、これからどうしよっかなぁと少し楽観的に、それでいて悲観的に考えてました。

 

特にやりたいこともないし帰るところもないし、外食の度にお金を出していたので貯金もわずかしかなく所持金合わせて5万程度しかないし、まだ未成年で風営法にも触れていたので本当にどうしようもなくて、ん~電車にでも飛び込むか。そうしたら顔も名前もわからないご両親がわかるし一石二鳥じゃないか、とかアホなことを考えてたのですが。

ふと、逃げ出した週の日曜日に友人と水族館に行く約束をしていたのを思い出して電話してみました。約束の日が早まっちゃダメ?今日行かない?と言ったら、困惑しながらも応じてくれてどうせ死ぬというかどうにかなるならいっそ最後に楽しいことしたいなぁと思いました。

水族館で遊んだあと、このあとどうするのって言われて焼肉屋さんに行って散々飲んでカラオケオールして遊んで、奢らせてもらったので所持金はすっからかんになりました。これで準備は整った。遊んだ友人と朝、別れようとしたら止められてハンバーガーショップに連れられました。

朝からハンバーガーは重たいなぁって思って飲み物だけ頼んで所持金3桁。本確定にやばいなぁとうすらぼんやり考えてしました。そこでその人になにかあった?と聞かれてはぐらかすも、あまりにしつこく全部ぶちまけてしまいました。今思えば結構不安だったのかもしれません。怖かったのかもしれません。

その人は、自分は何もできないがそういう機関を頼ってはどうだろうと、子供シェルターなるものを探して電話をかけてくださって、急遽私はそこに滞在することになりました。さすが国の機関、そしてシェルター、だけあって色んな問題を抱えてる子と出会いました。

様々な支援を受けさせてもらえて、弁護士さんに戸籍謄本を取り寄せてもらって両親の名前や連絡先がわかったり、付き合ってた方と連絡をとってくださって許されるだけの荷物を取り寄せてもらったり、衣食住を最低限支給してくれたり、散歩をして本を読ませてもらったり、自由にテレビを見させてもらったり、必要なら高認を受けるために必要な残り科目を調べてもらったり、病院に行かせてもらえたりしました。

そこで私はPTSD(心的外傷後ストレス障害)であったり睡眠障害のことを知ったり、昔からあまりに熱が長引く体質なので血液検査をしたりと色々していただきました。幸いとくに大きい問題はなく、健康体であったので、自立支援ホームというのに転居することが出来ました(シェルターは一時避難所なので、私の行った所は一応原則では2ヶ月しか居られないルールでした)。

 

自立支援ホームでは部屋を借りるお金を払って、寮長が保護者替わりになり仕事をして自立資金を貯めるという施設でした。とはいえ、派遣はダメであったり風営法に触れるものはだめ、また深夜も22時までと仕事に対する縛りが些か厳しい場所でした。

それに外部と連絡を取る手段がなく、音楽プレイヤーも許されない、たまの外出の申告制、自由に使えるお金もなく、門限や消灯時間はきっちりしており、寮生同士の本の貸し借りや部屋の出入りも結構厳しかったり、テレビも規定があったり、作っていただける寮のご飯はお腹いっぱいになるには足らぬ量で、味がとっても濃かったのもあり、諸々のストレスでリストカットの癖がついてしまいました。両手両腕真っ赤っかでバイトに行って、バイト先ではそれを見てぎょっとされたり影で色々言われてるのも知ってて悪循環で更に切る、みたいな生活を続けていました。

暫くそれを続けていたのですが、ついに限界に達してしまいました。

周りに気を許せる人や笑える相手、弱音を吐ける人がいないというのは私にとっては存外しんどいものでした。生活用品を買うお金を使って、公衆電話から水族館で遊び、児童施設を勧めてくださった方に連絡をしてお会いしました。

携帯の電話番号はたまたま本の栞にしていた紙切れにあったので、それを頼りにまだ携帯が解約されてないことを願って電話しました。以前お会いした時からもう1年以上経っていたので自分のことを覚えてるか不安で仕方が無かった。そもそも知ってる声が聞こえた時点で、私はもうダメで泣き崩れてしまいました。

手短に今までの経緯を話し、ご実家で生活してるのも承知で住まわせてくれないか、と頭を下げました。後日会えないかと言われてバイトのない日を告げ、その日は終わりました。

お会いしてゆっくりお話した際に、自分も実家を出ようと思っているのでよかったら一緒に住まないかと言われました。正直、やった、これであの牢獄から抜け出せる、と思いました。だって仕事で変な縛りさえなければ、もっと早くお金が貯まると知っていたから。

藁にも縋る思いでその人を頼ったのですが、私はその人がお人好しで困っている人を、ましてや死のうとしてる人をほっとけないタチであること、そして再会して少なからず私に好意を抱いてくださってるのを確信していたから、私はその人に連絡したんだと、今では思います。利用しました。分かってました。正当化されるべきものではないと思います。今考えれば、両親に連絡したらよかったんだと思います。でもその勇気は湧かなかった。なんだか意味もわからず怖かったのです。

それでもその人は一緒に過ごしてくださって、そこでも擬似新婚生活を送ってました。その人は心臓に疾患を抱えてて身体があまり強くなかったので寝たきりの状態が多かったです。私は家事もしつつ、仕事もしてました。働いてた所が中々のブラック企業で帰る時間も遅く、家事もボロボロでしょっちゅうケンカをしてしまい、いつしか私は貴族を飼っていると自分を言い聞かせていました。本当になにもできない人だったんです。せめて自分のご飯を作ってくれればよかった。

精神的に一杯いっぱいになってしまい、急に以前のつらいことで泣き出して止まらなくなったり、怒りがどうにも収まらなくて自傷したり、PMS(月経前症候群)で当たってしまい、離人の症状がひどくて自分がからっぽになって遠くに行ってしまい、声や音は聞こえてるし、肩に触れられているのもわかるのになにも反応できなかったり、と情緒不安定で怖がらせてしまうことが増えてしまいました。元々些細なすれ違いもあり、週1でご実家に帰っていた相手が最近では逆に週1で一緒に住んでる家に帰ってくるような状態でした。

私が成人したのもあり、相手方から、自分の名前で家を契約してくれ、と出て行くように勧められました。ちょうどいい時期だなと思ったのもあり、また一緒にいなければ付き合っている理由もないという私の身勝手な理由から「距離を置く、もしくは別れてくれ」と頼みました。少々揉めましたがその場は承諾してくれたように思いました。

それから私は引越し、自分の家を手に入れました。引越し作業を手伝って下さり、これでもう会うことはない、と思ってました。が、事あるごとに心配してるていで連絡を下さり、ご飯を奢るからという甘言に釣られて別れてからもお会いしてました。とくに付き合っていた相手もいないので身体を求められても拒否せず、セフレの状態でずるずると続いてました。

それから暫くして、現在付き合っている年の近い男の子と出会いました。「その子と付き合おうと思っている、だからもう会えない。ごめんなさい」と伝えたところ、首を絞められて流石に抵抗したらまたもや強姦されてしまいました。男を見る目がないのか似てる人に惹かれるのか、そんなに自分が軽く見られているのかは定かでないですが非力だなと自分の細腕を眺めて思います。

満足したら帰っていかれました。流石に二度目となると笑いがこみ上げてきました。首を締められている時にフラッシュバック?か何かわかりませんが、あぁこれ昔にも何度もあったなぁと思い出してむせました。

 

その日から私は両親の記憶を断片的に、シーンであったり、台詞であったり、匂いであったり服の色であったり、感情であったり、昔殴られた衝撃であったり、部分的ですが少しずつ欠けていたピースを取り戻すようになっていきました。反動で頭が割れるように痛くなって急にうずくまってしまったり、気持ち悪くなってトイレダッシュしたり、離人がひどくて自分の感覚を近づける為に切ったり、ですが確実に少しずつ少しずつ取り戻していきました。

神経症的な症状は緩和し、ヘッドホンがなくても普通に外が出られるようになり、猫背も治り、同年代よりは妙に老けているらしいですが、傍からみて普通の女の子と遜色ないレベルまでやっと戻ってきました。やっと普通に近づいて来ました。やったねって感じです。

 

成人式に母の元に行き、お会いしましたがその段階では知らない人でした。見たこともないフレンドリーなおばちゃんってイメージでとくに収穫もなく帰りました。

先週、記憶の面で大きな進展がありました。昨年の夏に祖父母が亡くなってたらしいのですが、先日、その一回忌に行ってきました。そこで何か大きい事件があったわけじゃないのですが、一回忌のあとにショッピングモールで親戚縁者と母と弟でご飯を食べただけなんですが、諸々思い出しました。というより、覚えていたことを自覚した。確かにその経験は私の脳に刻みつけられておりそれを再認識した、みたいな感覚でした。

帰りの電車で怒りが収まらなかった。今までされていたことを思い出して、母や父に対する感情を思い出して、現在の弟に許されているのに私にはないものに対して。よくよく考えればここまで放置されてたのもおかしな話なんです。

簡単に言うと、虐待されてました。ネグレクト。

母の不倫の性行為の目撃、またその惚気の話を聞かされる、幼いころの父からの性被害、お酒が入った際の暴力、「あんたがいなかったら離婚できていたのに」を日常的に双方から言われてたこと。希死念慮がひどくても自殺させてもらえないこと、学生自体にいじめられていた、というか浮いていたこと。拒食と過食嘔吐を繰り返していたこと。転勤族で振り回されていたこと。自律神経がイカれようが精神が追い詰められようが学校に行けなかろうが、病院に行かせてもらえなかったこと。バイトに行きたかったのに「学校に行けないのに仕事なんてできるか」って家を出させてもらえなかったこと。自分の女性性が気持ち悪かったこと、家が怖くて寝れなくて始発で学校に行って寝てたこと。弟にあって私にないものたち。全て思い出しました。全て、私は知ってました。忘れてた気になっていただけだった。そういうことにしたかった。そうした方が都合が良かった。

でも記憶なんて証明のしようがない。何だか本当にしょうもなくなった。記憶をなくして自分から両親に近づき、ましてや関係の良好を求めていたことまで。笑える。最近では毒親という言葉は蔓延ってますし、そんなドラマみたいなことがあるのかと自分でも思います。

もしかしたら私の妄想かもしれませんし、話を盛っているだけかもしれません。というか裏が取れません。両親に私のこと虐待してた?って聞いても「はい」というわけがないし、私は周りに頼れる人や大人がいなかったから今までこうなったのだと思います。だって同級生にそんなこと話して哀れまれた日には恥ずかしいですもの。変にプライドが高いのも道を踏み間違えた原因だとも思います。

記憶を取り戻す前は、両親に助けてもらいたいって思ってました。普通の家族になれなくてもいつか一緒に食卓を囲めたら、世の家族みたいに過ごせたら。もし支援してくださるなら学校に行きたい。勉学をしたい。数学を学びたい。とかそんなことを思ってました。

でも、今じゃ絶対頼りたくないし関わりたくない。半年後、弟の専門学校の催し物に行きたくない。ご実家の土地に行きたくない。というか今更謝られたって、物理的支援をされたところで許せるはずもなさそうなんですよね。それぐらいこの一週間ずっと憤ってます。仕事とか集中できる何かの時間がないとふとした時に思い出して、フラッシュバックしてしまう。

自分の頭の中が当時の感情や記憶、また今現在のものがごちゃまぜになってどうしたらいいかわからないのです。

友人にもこんな話、できない。お医者様にかかってもうまく説明できる自信もない。薬を処方されてもそれでおしまいじゃこの怒りは収まらない。

元来、私は自分の話をするのが苦手です。一緒にいる友人とは楽しい瞬間を共有したいと思います。だからこういう重たい話はしたくない。自分が普通と違うと再認識するのがこわい。とっても惨めで嫌だった。だからこそただただ書きたかった。吐き出したかった。これを読んだ方にどう取られるかわかりません。でもそんな形振り構ってられないぐらいしんどくて苦しかったのです。

長々とまとまらない文章を読んでくださりありがとうございました。
これからどうやって自分自身と、そして家族と付き合っていったらいいかわからないですが、こんな人間がいました。というお話でした。

 


【投稿者】
ちとせ さん


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