寛解するのが怖い 病名を失うことへの不安

体験談 うつ病 カウンセリング 不安障害 みね子

初めまして、みね子と申します。

不安障害とうつ病で通院中、カウンセリングを並行して受けております。
そんな私ですが、少し妙な悩みがありました。

「寛解するのが怖い」

正確には、「寛解と判断されるのが怖い」だったわけですが、それを自覚できていなかった私は、とにかく寛解するのが怖いと感じていたんです。

病状が大した事無いわけではありません。

毎日のように続く漠然とした不安と焦燥感、それに相次ぐ絶望感と自責の念。

少しの事で動揺して呼吸と脈拍が乱れて、主治医に相談してもがんばってくださいとしか言われず、こんな思いをするならもう生きているのをやめたいと試みた事も、手だけでは数え切れないくらいありました。

 

病名は違えど精神疾患持ちの友人に話してみても、案の定共感してもらえませんでした。

「なんで?治りたくない理由ってある?」

聞かれてみると、思い付かないんです。

病名が付いた事で気を使ってくれる人がいるのが良いと言えば良いのかもしれませんが、私はそういう気遣いをされるのは嫌でしたし、仮にそれが嬉しい事だとしてもそれを上回るくらい苦しみから逃れたい気持ちは大きかったはずです。

なのに、寛解するのが怖かったんです。

 

ある時、カウンセラーさんに言われました。

「みね子さんもしかして、治ったよって言われる事に不安を抱えてない?」

本当にびっくりしました。

医療関係者に話したら改善の意思無しと判断されそうで怖かったのもありますし、そんな話一度もした事が無ければ、おくびにも出していなかったつもりなので。

それでも私はそのカウンセラーさんを信用しているので、聞かれたからには正直に打ち明けました。実はそう思っている事。つらくないわけではない事。自分でも理由がわからない事。

寛解したと「判断される」事が怖いんだって気付いたのも、カウンセラーさんの言葉ででした。カウンセラーさんは、やっぱりね、という顔をして、違っていたら言ってくださいと一説を切り出しました。

 

カウンセラーさんの見解はこうでした。

「寛解したと判断される。その事がイコール、みんなと同じように、言い換えれば前向きに元気に、

頑張る事ができるようにならないといけないのではないかと、自分を守る病名という傘が無くなると、そういう不安を抱えているのではないか」

つまりこういう事です。

私の中で、「寛解=健常者=うじうじ悩まない、ネガティブにならない、取り越し苦労で体調を悪くしない、お薬無しでも大丈夫」という図式ができていて、元々ネガティブで考え込みやすい私は、寛解したと判断される事でそれらの自分を全て変えていかなくてはいけない、もっと言えばその頃には変わっていなくてはいけないのだと不安になっていたのではないかと。

果たして自分にそれができるのだろうかと。
寛解したと判断されたら、もうそんな自分はあってはならないのだろうかと。
本当にお薬無しで大丈夫なんだろうかと。

まったくその通りでした。
自分でも気付けなかった深い不安に、カウンセラーさんが気付かせてくれました。

私は他人から見てどんなに明るく見られていようと社交的に見られていようと(実際、接客業をしていたのでそう見られる事は多かったです)、根本の「ネガティブで考えすぎる自分」をすっかり変えてしまえるだけの力があると思えなかったんです。

どこか投げやりで諦めていて他人に期待したがらない私は、子どもの頃の環境ですっかり出来上がってしまっていて、その「ネガティブという防衛の殻」から引っ張り出される事が怖かったんです。

 

カウンセラーさんは更に続けました。

「ネガティブなのも考えすぎるのも、いっそ死にたいって思ってしまうのも、誰にだって有り得る事。落ち込んだって良い。ネガティブでもいい。でも、寛解したと言われたからって、例えばみね子さんのネガティブが病気のせいだったのか元々の性格だったのかなんて、周りの人にはわからないから。あなたは寛解したと言われたからと無理をする必要は無いけれど、そう言われてもやはり不安を感じてしまう性格なのではないか」

これもその通りです。

カウンセラーさんの「誰にだってある事」で少しは安心したものの、その程度がわからない。その頻度がわからない。その耐性がわからない。

不安は尽きません。

 

それでも、自分の中で「寛解するのが怖い」と思っていた理由がはっきりした事、「寛解したからって他の人と同じように足並み揃えてネガティブ思考を捨てて生きる必要は無い」とわかった事で、寛解という言葉への恐怖心は大きく薄れました。

そのうち治るか良くなるだろうし、その時の私が素のままの私で、無理矢理前向きにならなくていいんだと思えました。もしかして前向きになったら、それはそれでラッキーだったなという事で。

カウンセラーさんに感謝しつつ通院は続いていて、次は現状困っている事とその原因に目を向けていく予定になっています。

 

最後に〆として、カウンセラー選びについて話します。
実は私ははじめ、カウンセリングを受けるつもりはありませんでした。

自分の思っている事を上手く話せないし、大丈夫ですなんて誤魔化してしまうし、高いお金を払って合いませんでしたとなるとうんざりしてしまったり自分が出来損ないだからだと落ち込んでしまうと思っていたんです。

今回はたまたま、色々こじらせて精神病棟に入院した時に話をして好感を持ったカウンセラーさんだったので継続してカウンセリングを受けていますが、本当にありがたい出会いだったと思います。

カウンセラーさんにも色々いるようです。
黙ってうんうんと話を聞いてくれる人、たくさん質問してくれる人、厳しい意見を言ってくれる人。

どのカウンセラーさんが正しいとか、患者さんがカウンセラーさんに合わせて努力するとか言うより、本人が「話しやすいな」と思える人のところに通うのが一番良いです。

「話は聞いてくれるしこんなものかな……」とか、「厳しい意見言われるのきついけど自分の為だし頑張って受け止めなきゃ……」とか思いながら通っていても、あまり意味が無いと私は思います。

カウンセリングにおいて重要なのは、カウンセラーさんと患者さん間の信頼関係だそうです。
私のカウンセラーさんは、私が夢中で話し出すと途中で遮ること無く聞いてくれて、嫌な記憶については良い意味でラフに接してくれます。

「いやー、それきっついですね。大変だったでしょう」と友人と話しているような調子で言われると、ふっと安心してまた続きを話してしまうんです。

そして何より、話を引き出すのが上手いんですね。毎回「上手く話せるかな」「何を話そう」と緊張して震えながら行くんですけど、気付くと色々話しています。

 

〆のつもりが長くなってしまいましたが、とにかくカウンセラーさんは「信用できて、(比較的)リラックスして話せる人」がいいです。

長々と読んで頂き、ありがとうございます。
こんな長文を読んでくださった方の心に、少しでも響きますように。
そして同じような不安を抱えていた方の心が、少しでも軽くなっていれば嬉しいです。

 


【執筆者】
みね子 さん

【プロフィール】
現在不安を抱えながら求職中の30歳、症状は不安障害とうつ病。


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