「ADHD」との診断をもらって思うこと 生きづらさに名前がつくことの安心と虚無感

体験談 ADHD 発達障害 はなびらたけ

はじめまして。

今年の1月から通院、4月にADHDの診断を受けた者です。ASDの傾向もありとのことでした。

長年、自分は精神疾患なのではと疑っていたら発達障害の診断をもらい、またインターネットで調べる限りそういったケースは少なくないように思いましたので、今回は共有することでみなさんにとって何かのきっかけになればと筆をとった次第です。

私が明確に自分に価値がないと見切ったのは、たしか小学校4年生か5年生の頃。きっかけはありません、なんとなくそう思いました。「自分なんかいなければ」という気持ちは、思い出す限り幼稚園の頃には既にあったと記憶しています。

幼少期からよく転んだり、階段から落ちたり、食事中に味噌汁をこぼしたり。とにかく不注意故の失敗が多かった。そのため両親からは何度も何度も怒られました。悪いのは自分です、自覚があります。

小学校に上がってからも、週の半分は忘れ物。分野にもよりますが、作業スピードはかなりマイペースでゆっくり。先生から指摘されることもありました。

他にも噛み合わない会話を繰り返してしまったり、よく分からない理論で急に不機嫌になり友人の誕生日パーティーをぶち壊してしまったり、まあ今思い出せばやらかしの数々。人間関係でもどうやら不得意があるようです。

私はダメなやつなんだなと、当たり前に思いながら育ちました。

また、本が好きでたくさん読んでいたために、想像力が豊かにでもなったのでしょうか。「宇宙の起源や太陽の寿命といった壮大な事象の前では、こんななんてことない人間の一生なんて意味無いんじゃないの。ましてや出来が悪い私なんて。」等という一つもかわいくないことを毎晩考えては怯え、「生きる」という当然のことに疑問を持つようになりました。それが4,5年生の頃です。

それからはどんなに友達と楽しく遊んでも、おいしいご飯を毎日食べても、ふとした瞬間暗い何かに囚われることが少しずつ増えていきました。

そして、習い事や部活動をことごとく中途半端に辞め自己肯定感が更に下がったり、学校から配られた人権センターのチラシを見て相談のお手紙を送り家庭内で大事件になったり、自傷行為についてこれまた大事件になったり、と小中学校の間で様々な要因を重ねつつ、立派なメンヘラへ成長していきます。

 

そして、今年1月のこと。

高校ももうすぐ卒業だなーなどと呑気に考えていたのですが、それは突然やってきました。

その日はなんだかよくないことが続くな、とモヤモヤしたまま学校から帰宅。母と夕食を食べ、父が帰宅し、テレビを眺めつつなんてことない日を過ごしていた…のだと思います。正直あまりよく覚えていません。

とにかく何かのきっかけで飼い猫の飲み水をいれてある容器に足をひっかけ、ああまただと半ば絶望しながらその片付けをしました。床板が腐るだろう早くしろといった内容の怒鳴り声が聞こえます。するとなんだか、とても惨めな気持ちになってきたのです。

父とは昔から反りが合わず衝突することがよくありました。古風な家柄で厳しく育てられたらしく、頑固なところがあります。また、些細なことで大きな声を出すことも少なくなかったので、いつしか父からの言葉で過呼吸になることが珍しくはなくなりました。

ですが、いつもはもっと、半ば人格否定までされているかのように叱りつけられたときに出る症状です。その日はちょっとした小言くらいのレベル、なのに、涙が出てきました。
(注釈:上記の“様々な要因”には家族全体の関係性も含まれています。一連の流れを説明する構成上父一人が悪物かのように書いてしまいましたが、そうではないと考えています。)

最初は自宅で唯一鍵のかかる個室、トイレに篭もり、涙が止まるのをじっと待っていました。ですが、乱れた呼吸は整わず、段々酷い過呼吸になっていきました。視界ははっきりせず、手足は痺れ、このままではマズいと自室へ戻り布団に倒れ込みました。その後帰宅した姉に宥めてもらいながら3時間ほどで収まったのでしょうか。ただ、それから少し落ち着いては涙が出てきて呼吸が乱れ、また落ち着いて、を数日繰り返すことになりました。

当然外出はできず、つまり学校へ通うこともままならず、それは非常に困るので精神科病院を受診することにしました。

6年生の頃にインターネットの自殺防止掲示板を利用し始めたこともあり、精神疾患に関する知識がゼロではなかったため、自分では長年うつか何かの診断はつくんだろうなあとぼんやり考えていました。また、その少し前に母からADHDの傾向が当てはまるのではと話をされていたこともあり(実際自分でも薄々感じてはいたので)、併せて相談することにしたのです。

結果、精神の不安定さは数週間安定剤を飲むことで以前の状態に戻りました。生きる意味がわからないし慢性的にだるいし自分のことは大嫌いですが、まあ毎日学校へ通うことができているので問題ないのでしょう。

現在はADHDの方を中心に通院しお薬をもらっています。

正式な診断が出たのは4月ですが、思い当たる点についてお話したことや簡易テストの結果から、おそらく診断は出るでしょうと早い段階で言われました。なのでそのつもりで、自分なりに色々調べながらたくさん考えました。

これまでの生きづらさに名前がついたことで安心する反面、これまでの私の苦悩は一体なんだったんだと虚無感にもおそわれました。

虐待や育児放棄をされているわけでも、学校でいじめられているわけでもない。生活水準はおそらく平均より少し上。それなのにどうしてこんなにつらいと思うんだろう。死にたいんだろう。贅沢すぎる、申し訳ない、やっぱりこんなやつ生きてるだけ無駄でしかない。そんな悩みも、かなり大きなものだったからです。

今ではかなり整理がつき、割り切ることもできたように思います。幸いたくさんの素敵な友人に恵まれ、家の中でも姉とたくさん話すことができ、夢中になれるものがあるため、なんとか生きていられます。大学進学が12月の時点でほぼ確定していたのも助かりました。

 

ここまでがおおまかな経緯ということになります。大変長々と失礼しました。

著しい自己肯定感の低さ、の要因 家族関係 インターネットに救われた経験 等々 書ききれなかったこともありますが、また機会があればということで。

みなさんが自分なりの生きやすさを見つけられますように。

わざわざ探さなくても自分らしくのびのびと生きられたら一番ですが、なかなかそうはいきませんね。まだまだ若輩者ですが、これからも模索していきたいと思います。

読んでくださりありがとうございまし


【執筆者】
はなびらたけ さん

【プロフィール】
10代後半 女性 大学生


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