子は何を望み、親は何を望むのか。受験戦争を振り返って「機能不全家族」について考察する

体験談 受験 機能不全家族 ハル

行けない、生けない、逝けない。


初めまして、「ハル」と申します!

自分の状況推移など、日記などとは少し違う形で頭ン中まとめたいなーと思ってたところ、このメンヘラ.jpさんを見つけ、様々な方の記事を閲覧しました。Wikipediaや各メンヘラ系情報サイト、リストカッ党さんのTwitterとも違うスタンスのこのサイトは新鮮で、特におまえさんの乙女ゲーム15選には久々に笑える事ができました。なので、ちょっと自分も書いてみようかと。

前置きとして、私は「強迫性障害」「社会不安障害」と医師に診断され、それと個人的には「機能不全家族」の下にあった「アダルトチルドレン」ではないかな、と考えています。

キモい自分語りがかなり多いですが、取り敢えず初投稿なんで大目に見てやってください。特定出来うる情報量、要素も必要だと思い、書きました。半分以上は自己満足だと思いますが、比較的近い状況の人は必ずいると思うから。

まあダラダラ書いていくんで、何卒よろしく!!

 

■教育と機能不全家族


みずゆきりんの中の人さんが書かれた「中学受験」のコラム。優れた記事だと思います。

(関連記事:“子ども”という名のアクセサリー ~洗脳と脅迫による中学受験~

斯く言う私も中学受験組でして、まー記事の内容が自分と重なる重なるwそして、私は合格しました。(特段倍率高い訳ではなかったんだけどね。今の受験戦争の方が確実に熾烈極めるでしょう)

あ、先に言っておきたい事があります。

・悪循環。メンヘラって連鎖するぞ!
・飴と鞭って難しいよ。
・コンプレックスが毒親を生む。毒親も好きでなった訳ではない。でも毒親は気づかない、認めない。負けたくないから。
・子供は生き残りをかけて戦う。大人になっても。周囲に勝つ為ではなく、自分自身から生き残る為に。
(※あと、私のレッテル張りの可能性が否定出来ない事に注意してお読み下さい)

「中学受験」という自身の体験を元に、メンヘラ製造機「毒親」、そして「機能不全家族」について考察します。私は母親との関係も色々アレなんですけど、今回はほぼ父親について。

 

私にとって父親とは、「誇りや尊敬の対象」「畏怖の対象」そして「敵」です。父親もある種メンヘラで、敵だけど複雑な感情もあります。これには祖母も絡んできますが、それはまたの機会かな。

ところでよく受験戦争といいますが……戦闘機っぽいですよね(←?)

武装は学力。エンジンは精神力。ガソリンは体力。上官は親ですね。操縦者は勿論、子です。プレッシャーは鉢巻にならないけどな!因みに整備不良機体は仮に出撃しても、あっさり事故ったり撃墜されます。……あれ?誰がメンテナンスするんでしょう?

話を戻します。

受験失敗よりはマシだった筈。しかし人間とは欲深いもので、第一次世界大戦のあとも戦いは終わらず、私と父親により第二次世界大戦開戦です。「お前には金掛けたのだから、勝って当たり前、引き分けてゴミ、負けたらゴミ以下。」みたいな事をよく父親は言ってましたね。

テスト結果の報告は義務でしたが、小学校のテストでは100点とるのは普通とされ、90点が最低防衛ライン、80点とか見せた日には投げ捨て返されました。70点台を出してしまった時は泣いてました。報告が怖くて。ただ、小学校時代は言葉はキツかったですが、どんな軽微な体罰もされなかった記憶があります。

そして、そのまま中高時代に突入。本格的に家庭の羅針盤が狂いだします。「外部要因」が絡んでいるので、受験は成功したけど、家庭は残念だったよ!パターンの飽くまで一例として戴ければ。本質的なところでは「機能不全家族」よりも「機能不全親子」の方が正解に近いのかも知れません。

 

で、その外部要因とは、父親の勤めていた会社の倒産。それによる父親の起業です。

元々プライドが高かった父親。のち倒産する事になる会社の末期には海外を飛び回り、偶に帰国しても2、3時間しか寝れない状況(玄関で死んだ様に寝ている姿を朝に何度か見ています)、給料未払い10ヶ月とかだったようで、だけどそんな父親に尊敬や畏怖を覚えました。

その後、奮闘虚しく会社は倒れましたが、父親自身が起業するまでやたら早かった。(今に思えば忙しい時期に、準備もしていたんだろうと思います)地方且つ小さな会社でしたが、代表取締役社長として、父親が新スタートを切ります。因みに母親も役員として会社入りです。そんなこんなの内に私の中学合格が決まり、報告したところ「当然だ。だが良くやった。」と言われた事が嬉しかった記憶があります。

私は中学に入り、暫く経って状況が少しずつ、だけど確実に変わっていきました。命令、そして義務が多くなりました。より甘い飴と痛い鞭になっていきます。

そもそも物心付く頃には、当たり前の様に飴と鞭がありました。主に金回りで、小学生の頃には、お年玉10万近くがそのまま私のものになるとか、ホテルでフルコース料理とか(外食自体も月10回とか)が普通のような環境でした。父親は「美味い物喰わせてやってる」「金かけてる」が口癖でした。

硬貨なんかは、毎日食卓の上に父親が無造作に置き(と言っても普通に2000円分の硬貨とか)、母親が買い物の足しにするといったかんじです。硬貨を使うのが嫌だったようで、お札以外使っているところは一度も見たことがありませんね。父親曰く「硬貨は金じゃない」との事。

今に思えば、この時点でかなりイカレてると思うんですが、年を重ねる毎に強弱は激しくなっていきました。

 

まず、周囲の学力レベルが一気に上がりました。そして中1の前半以外、中高時代の私の総合試験結果及び成績はずっと『中の下』でした。

余談ですが、全体の学力レベルは確実に関連して、イジメは自他共に中高6年間無縁でした。イジメとかしてたら授業について行けなくなります。

私がいた中高はやたら試験が多く、中間試験と期末試験以外もガッツリとした定期試験が月1であり、学外試験(といっても強制ですが)もありました。高校は更に模擬試験の連発でしたね。小テストは中高共に2日に1回、朝のHR前にやってました。気を緩ませない為には効果的だったでしょうけど、小テストなんかは無駄に意識高い系(笑)だったと思います。実際、生徒側は逆にモチベーション低下や疲弊が慢性化してました。

私は「親にとっては受け入れがたい出来」を義務として報告しなければならず、報告頻度も多く、兎に角苦痛でした。時間をかけて徹底的に罵られ、学力不足で「ごめんなさい、もうしません」と言わされ、土下座とかもよくしましたね。体罰は突き飛ばされたり、蹴り押されたり、平手打ちぐらいで済みました。流石に土下座した頭を踏まれた時は絶望感がヤバかった。まあコレも何度かされるんですけど。私の部屋に監視カメラを設置する案とかもありました。

親に酒が入っていれば、より強い鞭が飛んできます。残念ながら大抵その時に報告せざるを得ませんでした。

基本的に、家に父親がいる時はほぼ酒が入っている状態で酒癖が非常に悪く、アル中一歩手前か既にアル中で、飲んだままリビングで寝るのもほぼ毎日。飲んで帰って来て、家でまた飲み始める事が多かったので、どうしても報告はその時になります。母親もそれなりに酒癖が悪かったので、私はリビングの近くに食事以外では、極力近寄りませんでした。

食事中に父母の言い争いが大抵起こるので(主に会社の事)、私と妹は最低限の会話、若しくは一切無言で食事を済ませます。食卓という名の会議室で、楽しく美味しく食べてる余裕なんか無いです。時間をずらして一人で食べる事は原則認められてなかったので、現実的な目標「遅くとも10分以内で食事を済ます」ように心がけてました。

言い争いが多くても、私が報告すれば親2人の攻撃目標が一致し、2人仲良く攻撃する事が出来ます。母親は父親よりマシでしたが、酒の力もあるので、あとはお察しです。正直、私の心が強く耐えようとしてる時は、父親を何度か刺したくなりましたね。刺し(せ)ませんでしたが。

漠然とだけど、強迫観念を自覚し始めたのは中2あたりです。そして強迫行為もでるようになり、例の如く異端なものだと考え、誰にもバレないように隠し続けました。(そもそも強迫性障害という存在を知ったのは大学入学後)中高時代は記憶が所々飛んでたりもします。忘れたとは何か違うかんじ。

親のエゴでは、健全に成長させる事は不可能です。客観的健全に育てようとする姿勢が、教育のあるべき姿だと思います。

ある漫画でこんなセリフがあります。

『(物事に取り組む時には)自分からやれなければダメなんだよ。先へ行けば行くほど道は険しくなる。そんな時一番必要なものは、自力でメンテナンスできる力だ』

塾や家庭教師の有無、通学の距離とかでもかなり変わりますけどね。完全に私的意見ですが、家庭環境が一番その後含む結果を左右する気がします。メンテナンスについて一緒に取り組む。

そしてそこから自力でやれる力を身に着ける。子は何を望み、親は何を望むのか。週1ぐらい夕食の時間を10分延長させ、相手を理解しようとするとか、そういうのがまず大事だと私は思います。

 

■生きるのって、すげえエネルギー使う


何言ってんのコイツ?って自分でも思います。これは大学時代に自分の色々なものが一気にぶっ壊れて、その時思った事です。そして5年以上経った今も同じ思い。私はゼンマイの切れた人形でした。

特に食については食う気力がほぼ失せ、1週間近く水道水だけしか口に入れない時もありました。食う為のエネルギーがない。時折思い出したかの様に「まだ死ぬ訳にはいかない」とカロリーを喉に押し込んでた。胃も衰弱してたのか、8時間前後吐き続けて胃液すら出なくなったり。身長180cm/体重67kg前後でしたが、数ヶ月後には体重50kg切ってました。

体重って一定まで落ちると、それ以上は基本的に落ちなくなるんですね。この時知りました。…そう考えてた時期が俺にもありました。更に落ちて46、7kgぐらいになるんですけどね。まあこの辺は長くなったので割愛。

ただ、自らの意思で吐いたり、痩せている状態が好きという事は一切無かったです。寧ろごぼう体型はコンプレックスとなりました。当時も今も。消えたいなあ、と思った事は腐る程あるけど、自殺願望、自殺未遂、自傷行為はないです。当時も今も。これからもきっと。

 

ゼンマイ切れの理由の一つとしては、大学のゼミと就活戦線があるでしょうね。

ゼミの方は、結構ハードだったのと、先輩達の半数程と色々と合いませんでした。なんつーか態度がでかい、との事。でも先輩達が嫌いという程ではありませんでした。好きでもなかったけどw

就活の方は、時事的な理由もあり、ピリピリしてました。受験とは違うものです。自己分析とか色々あるんだけど、兎に角コイツがちょー厄介でした。そう、避けて通れない「自己PR☆」です。バイトの履歴書の「長所」の欄にボールペンを近づけるだけで胃が軋む俺には拷問レベルです。「短所」なら1分以内に10個は思いつくんですが。

そんなこんなで引きこもりがちになって、卒業出来ずに単位不足留年\(^o^)/

まあ途中からは単位が足りないことはわかってたのです。そもそも内定もないし。(因みに上京して一人暮らしでした)そして卒業してゆく同期を見送り、実家へ報告に…とは言ったものの、実家も実家で色々大変な状況になってる事も知っていました。

ここら辺は非常に長くなるんで、申し訳ございませんが、また今度続きを書こうと思います。

 

機能不全家族どころか家庭が半壊したり、私が初めて精神科受診したり、休学届け出して正社員見習い(←?)やったりしてます。良ければその時見てやって下さい。強迫性障害持ちの方、一人暮らしする時は水道代とトイレットペーパー残量と女子力には少しだけ気をつけろよ!!あ、でも俺今週入院するんだった。

てか、調子に乗ってダラダラ書いた結果がこのシングルトイレットペーパー記事だよ!!

それでは、またお会いしましょう。「ハル」でした♪

 


【投稿者】
ハル さん

【プロフィール】
20代半ば男。献血が夢。強迫性障害、社会不安障害。
近いうちに入院(開放病棟)という社会見学をすることになりました。

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Twitter:@Haru_zkms


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