伝統宗教3世の私の悩み 家族の宗教観の差異や教義への疑問

コラム 宗教 そら

何人か、同じような境遇の方の記事を見て、私も書いてみようと思い、書き始めました。

題名の通り、私は伝統宗教の3世です。

そして、時々メンヘラです。
私は勝手に私がメンヘラになったことに、この宗教が多大なる影響を与えたと思っています。

 

私の家族と宗教について


私の家族は宗教を除けば、よくある家族です。過去に親が自営業をしていたため、収入が不安定でありましたが、子供であったわたしは不自由することなく、育ちました。

私の家族の唯一おかしな点、それは父親と母親の信じるものが異なるという点です。

父親は、典型的な日本人で無宗教というわけでもないが特に宗教を持たない人、母親は伝統宗教2世です。そして私と兄弟は伝統宗教3世です。

ここで、父親が伝統宗教に関して、無関心であれば良いのですが、かなり毛嫌いしており、幼き頃は、困惑することも多かったです。

 

私と伝統宗教


私はこの宗教に感謝もしています。この宗教を通して、知り合えた友達もたくさんいるからです。しかし、それと同じくらい、いや、それよりも多くの恨みがあります。

教えの一部に「同じ宗教の者と結婚せよ」というものがあり、私の周りの人々はこれを強調していました。ある時、ふと思いました。もしかして、私は存在してはいけないのかな?と。

なぜなら、私の父親は、同じ宗教ではないからです。極論すぎると言われれば、そうかもしれん。しかし、一度思ったことは頭から離れません。ずっと、存在を否定されているような感覚でいました。

「そんなことないよ」と言われたい日々を送っていました。また、宗教の集まりで、集まった人々が自由時間にその教えに背くようなことをしていたりすることがあり、訳が分からなくなり、なぜ私はここにいるのであろうか?と自問自答する日々でした。

 

宗教の枠から離れたい、けど離れられない


まだ私は表向き伝統宗教の枠の中にいます。

母親に兄弟、そしてたくさんの友達を全て1度に裏切り、枠の外へ出ることが出来ません。出たいと願っています。小さな抵抗もしてみます。その度に母親の悲しい顔を見て、もうしわけなくなり、枠の外に出ることを諦めています。しかし、そのような気分で、その枠の中に残ることにも違和感を覚え、自分を責めてしまいます。

このままずっと宗教の枠の中にいたくないです。
外にでて、私は自由になりたいです。

私は、どうしたらいいのでしょうかね?

【関連記事】
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【執筆者】
そら さん

【プロフィール】
いつまでたっても晴れない空だなぁ。私の心は
みたいなことを思い、昔にTwitterアカウントを晴れない空としたところ、まわりから「そら」と呼ばれるようになりました。現在そのアカウントの方は捨てました。


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1件のコメント

真咲 返信

そらさんの気持ち、私にはよく分かります。

私の両親はとある宗教団体に属しています。然もそれはそらさんのような伝統宗教ではなく、巷ではカルトと呼ばれる類のものです。まぁ、私がそれを知ったのはその教会から離れた後の事ですけど。

教会自体は、居心地はいいんですよね。そこで繋がりを得られた友達もいっぱいいるし、みんな優しいし。けど、私にはその教義にどうしても納得がいかなかったんです。みんな言うんです。神がどうとか、祈りがどうとか。私の周りにはそういった教義に背こうとする人は皆無で、寧ろ神の恵みに咽び泣いてましたね。私、それが怖かったんです。神を信じられない私が悪いのかとも悩みました。でも結局、ここに自分は合わないと思い、3年くらい悩んだ後、教会から離れると決めたんです。

親を悲しませるだろうとは思いました。でも、それを怖がってこのままズルズル過ごすだけなのがどうしても嫌で。だから10月のある日、私は親にキッパリ宣言したのです。「今年はちゃんと教会に行く。けど、来年からは行かないから」って。

あれから5年。親はたまに私を教会の人間と引き合せられる事はありますが、無理に戻れと言う気はないようです。そらさんがどうすべきかなんて私が決めていい事ではないでしょうけど、どうか「自分にとって」いいと思える選択をして欲しいと思います。

長文失礼しました。

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