元カノが歩道橋から飛び降りて死んだ。そして、私も同じ場所で自殺未遂をした

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フった彼女が歩道橋から飛び降りて死んだ。

私自身まだ彼女のことが好きだったから立ち直れていなくて、これから彼女と前みたいに友達の仲に戻れるだろうか、とかそういうことを考えていました。

別れ方もなんだか微妙で、私が別れたいこととその理由を書いた手紙を送って、彼女も手紙で返事をくれました。私はその手紙を読んで、LINEで再度別れを告げました。LINEで別れを告げたとき、手紙にはびっしりと「別れたくない」と書いてあったのに意外とあっさりしているんだなと思いましたが、今思えばそのときからもう、彼女は死のうと決心していたのかもしれません。

彼女が書き殴った「別れたくない」という手紙は、本当に彼女が動揺していたのがわかるほど字が汚くて、申し訳なくなるのと同時に、私のことをまだ思っていてくれたのだなと嬉しくなりました。

私と彼女は付き合ってはいるものの友達の延長線上にある恋人という感じで、簡単にいうとキスやえっちはしたことがありませんでした。うそ、キスもえっちもした。えっちは一度だけ。キスは3回くらい。彼女のことはタイプじゃなかったけど、タイプがどうのとか以前に彼女に惚れていました。好きだったんです。

彼女を支えたかったし、彼女と楽しい思い出をたくさん作りたかった。別れる1ヶ月ほど前には、私が写ルンですを買って「二人の写真だけで埋めよう」と約束もしていたのに。別れを告げたときは私も精神的に不安定だったのだと思います。でも、私よりも彼女のほうが限界だったんだろう。もっとちゃんと深く考えて行動すべきでした。

 

私は特筆するべき点もないただのメンヘラで、腕が自傷の痕だらけだから半袖を着るような仕事はできないし、高卒だし。だから夜の仕事をしていました。実家暮らしなので少しお金に余裕があって、そのお金を娯楽につぎ込んでいました。好きなコスプレイヤーを追っかけたり、漫画を買ったり、洋服を買ったり、親にお金を渡したり。それで余ったお金を彼女に使っていました。

付き合って半年くらい経った頃かな、特に何がというわけでもなかったのですが、ペアリングを買いました。ジャスティンデイビスというブランドの、手錠をモチーフにしたシンプルなものです。

私はあまりシンプルなものを買わないけれど、お互いに普段使いできるものにしようということで、シンプルなシルバーのものにしました。その指輪は彼女の薬指によく合っていて、私は彼女がほしいと言うから買ったはずが、すぐに気に入っていつも身に着けるようになりました。

彼女は大学生でバイトもしていなかったので、そのときのお金は全部私持ちです。でも私は人にいいところを見せたい派なので、あまり気にしていませんでした。お財布は軽くなったけどね。

それからまた半年くらいして、彼女が指輪をなくしたとLINEで謝ってきました。私はなんとなく察していたので「別にいいよ」と言ったし、本当に仕方ないと思っていたので彼女のことは責めませんでした。私もよくものを壊すし、大事なものほどなくしたりするのです。メンヘラとはそういうものです。

彼女がペアリングをなくしても、私はその指輪がすっかりお気に入りになっていたので、彼女と私と、あと2人の友達合わせて4人で会うときも、私はペアリングをしていきました。それがどうやら彼女は自分への当てつけだと思ったみたいで、みんなで入ったファミレスで泣かれました。正直、びっくりしました。

そのときは私がお金に余裕がなかったのと、次は指輪じゃなくてネックレスにするかとか、いろいろ話して決めたかったので保留にしていたのですが、もうこうなったら今買うしかないと思って指輪を購入したお店に電話をして、在庫の確認をして取り置きしてもらいました。またペアでつけることができて、まぁよかったんだけど。

そういうこともありながら付き合って1年が経って、それが今年2017年の3月10日のことです。2人でご飯を食べに行ったりしました。楽しかったなぁ。

私も彼女も彼氏というか男の人がいるので、その話もしました。彼女は私が男の人の前でどういう感じなのか知りたいようでしたが、私は女の子の前ではかっこつけたくて男性には媚びを売るタイプなので、あまり知られたくなかったです。

彼女の彼氏と仲が良い話は、聞いていて癒されたし良かったなぁと思えました。彼女はたくさんの人に支えられないと生きていけないタイプなので。私も同じで、自己肯定感が低いのだと思います。

そんな3月が終わって4月になって、5月になりました。5月になると私が8連勤をしたり体調を崩したり友人と揉めたりして精神をすり減らした結果、彼女といったん距離をおきたいと思い、彼女への別れの手紙を書きました。

 

彼女が亡くなったのは、6月です。

私はその日、疲れて仕事から帰ってきて、ものすごく眠くて、これから寝るというところでした。そんなタイミングで彼女のお母さんから電話がかかってきて、怪しみながらもすぐに出ました。開口一番、「最近娘と何かありましか?」と聞かれたので、言いにくかったのですが、彼女と別れたことを告げました。お母さんには私も会ったことがあって「彼女を支える」と言ったのに、こんな結果になって申し訳ない、と感じました。

そうしたら彼女のお母さんは「今、娘が橋から飛び降りたって連絡が来て、病院に搬送されました。私は車で向かってます」と言われ、一瞬何を言われたのかわからなくてパニックになりました。そこで電話は切れたし、私も眠かったのでとりあえず寝て、朝起きてから彼女にLINEをしました。目が覚めた彼女が見てくれるようにって。

翌朝9時に起きて家を出る直後に、彼女のお母さんから「今朝方、娘は亡くなりました」と短いLINEがきて、正直嘘だろ?と思いました。本当に死ぬと思っていなかったんです。あっけないな、と思いました。

それからはパニックというか、どうしたらいいかわからなくて、でも仕事があるので電車に乗りました。幸い、その日は2時間だけの勤務だったのでよかったです。なんとか仕事を乗り切って、帰りは母親とカフェに行ったりして、楽しかったです。私がおかしくなりはじめたのはこのへんからでした。

だんだん仕事にも病院にも行けなくなって、癇癪を起こすことが以前より多くなりました。みんな私を気にしてくれて電話に付き合ったりしてくれたのに、私は遊ぶ予定をドタキャンしまくったりしていました。首を吊ったり、薬を勝手に飲んだりして、毎日死んだように生きていました。

 

6月29日、目が覚めたときから、もう今日死のう!と決めていました。理由はわかりません。でも決めたからには、すぐ実行しなければいけません。

私は参加していたグループ展の絵を仕上げて、彼女から誕生日プレゼントとしてもらったワンピースを着てお気に入りのサンダルも履いて、彼女がよく吸っていた煙草を持って、新宿のギャラリーまで行きました。安定剤が効いていたのか、このときはとてもハイになっていたと思います。

ギャラリーで絵を飾らせてもらったあと、お腹が減ったので、もう体重のことも気にしなくていいし好きなものを食べようと思い、牛タン定食を食べました。お腹いっぱいになったところで、お気に入りのバーに行って好きなバーテンさんとたくさん話して、せっかくだからボトルキープをしてバーを後にしました。すごく楽しかったから本当はもっとバーにいたかったけど、終電が近づいていたので、日付が変わる前に電車に飛び乗りました。

私は彼女の地元の駅まで行って、彼女が飛び降りたらしい歩道橋の近くをうろうろしていました。彼女の地元の駅は人が少なく、街中も暗くて、道を歩くのも怖かったです。でも彼女はいつもここを歩いていたのかなと思うと、なんだか嬉しいような懐かしいような気持ちになりました。

歩道橋がいくつも並ぶ大きな通りに出たあたりで、近くのコンビニに入って缶チューハイを買いました。酔っていたけどまだ正気な部分があったので、缶チューハイを一気に飲んで、ついでに持っていた精神安定剤を何錠か飲みました。

それから歩道橋に行ってサンダルを脱いで、ツイッターやLINEで好きだった人たちにさよならを伝えました。母親と友達2人からの電話とLINEが止まらなかったのですが、それには答えないでiPhoneの電池が切れる直前に歩道橋に登りました。

まず手すりに座ったのですが、そこから見える景色がとても綺麗で、死ぬ前にこんなに綺麗なものが見れて幸せだなぁと思いました。ただトラックが走っているだけの道路で、信号とトラックの光が綺麗だと感じるのはちょっとおかしいと思うのですが、酔いと薬が回っていたんだと思います。落ちるときはやっぱり怖かったですが、彼女がやったんだから私もやらなきゃ、と思って手すりから滑り落ちました。

 

死なねーじゃん、クソが。

最初にそう思ったのを覚えています。すごく痛くて起き上がれなくて、そうしたら近くに車を止めたおじさんが私を車まで運んでくれました。

おじさんは私がただ道路の真ん中でうずくまってるだけだと思ってたみたいで、私を見て「え!?ちょっとなに!?どうしたの!?」とすごく慌てた様子でした。血だらけだったのでしょうか、自分ではよくわかりません。私は座ることも立つこともできず、車の後部座席でだらんと横になっていました。

それから救急車で病院に運ばれて、まず全身のチェックをされました。飛び降りてからの記憶は曖昧ですが、救急車で運ばれた直後はショックな出来事が多かったからか、よく覚えています。

目に指を突っ込まれてカラコンを外されたり、ストレッチャーに乗せられるときにめちゃくちゃ痛くて喚いたり。極めつけは医者?看護師?が「服を切る」と言い始めたので「これは彼女からもらった大事なものだから嫌だ」と拒否して、そこで押し問答していました。このとき彼女からもらったワンピースとその上に羽織っていたカーディガン、それとキャミソール、ブラジャー、全部切ると言われました。

「いやだ!切らないで!」
「でもこれ切らないと傷見れないよ」
「それでもやだ!」
「このまま痛いままだよ?」
「それはやだ!!!」
「ほら切るから!危ないから動かないでね!」

ジャキジャキと布が切れていく音とブラジャーが切れたバチン!という音で、終わった…と思いました。

そのあとも検査を受けたりして、最終的に個室のベッドで目が覚めました。目が覚めたら横に親がいて、とりあえず私のツイッターで私が生きていることを伝えてくれと言いました。

 

私は彼女にフラれた気分でした。

まるで彼女が、私が死ぬことを許さなかったように感じて、彼女に「私を自殺の理由にするな」と言われたような気がして、ちょっとショックでした。もしいつか私が死んでも、もう彼女と出会うことはないのだろうなと思いました。

このときは確か6月30日だったと思います。それから翌日に右足と背骨の手術をしました。8時間くらいかかったそうです。あとから聞きましたが、たいへんな手術のようでした。私はずっと寝ていたと思います。この辺の記憶も曖昧で、母親と話したりもしたらしいのですが、私は覚えていません。

しばらく経って、激痛で目が覚めました。左足がすごく痛くてめちゃくちゃ叫びました。どうやら両足が折れているようでした。

部屋が個室から大部屋になっても、左足は固定されて右足にはネジのようなピンが刺さっていて、全然起き上がれませんでした。ここから私のリハビリと入院生活が始まりました。

最初は起き上がれなかったし、傷口から細菌が入って高熱を出して、全身麻酔をする手術を2回受けました。やっと車椅子に乗って移動できるようになったのが8月頃で、その間もいろいろありました。3週間くらい尿管に管を入れて、自分の尿が入ったバッグと生活を共にしたりもしました。入院中も不安定なのは変わらなくて、病室でピアスをあけてシーツを血だらけにしたり、ベッドで首を吊ったりもしました。すごく迷惑な患者だったと思います。

最終的に病院が嫌で脱走して帰宅して、9月23日に退院しました。今は松葉杖で通院しています。

 

自殺未遂をして思ったのは、自殺は自分がお世話になった人全員に対する裏切りだと私は思いました。今回の件で疎遠になった人や、逆に心配してくれた人もいます。

投身自殺や過剰服薬をして死ぬか死なないかどうなるかは、博打です。どんな障害を抱えて生きていくことになるかはわかりません。でも、これまで自分の周りにいた人に迷惑を掛けた上で嫌われるのと、休職、退職をせざるをえなくなるのは確実です。あと私は夜の仕事で貯めた貯金が入院費で溶けました。

自殺未遂をする前と自殺未遂した後では、働いていたかニートだったか、貯金がもう少しあったかどうかくらいの差しかなく、正直今も死にたくなります。自殺をするのはその人の勝手なので、自殺をした人も自殺未遂をした人も自分勝手な人なんだなと思います。

みんな自殺すればいいでしょ、みたいなところがあるように感じますが、自殺をしたらあなたが大切に思っていた人たちにショックを与えた上で恨まれるし、その人たちは死ぬまでそのショックを受け続けると考えたらあまりにも可哀想じゃないですか?私は彼女にそうされたのに、同じことを友達や好きな人にしようとしていたので、最低な人間です。

今はもうただでさえ友達が少ないのに大切な人たちを失いたくないので、その人たちに失望されないようにしようと思っています。朝起きて病院に通って帰宅してお風呂に入って夜寝るとか…。毎日薬を飲むとか…。勢い余ってODしないとか…。首吊らないとか…。

自殺は絶対ダメ!ではないけど、自殺は他人に迷惑を掛ける行為、だと思います。

私は彼女との思い出の品がまだたくさんあるので、それらを大切にして生きていこうと思います。

 


【執筆者】
むとう さん

【プロフィール】
学歴ゼロの元夜職、現ニート。23歳。
Twitter:@xxxhsk
ブログ:NO DON’T DOUBT


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