長時間労働の毎日が限界。納期や人間関係から逃れるために死にたい

体験談 双極性障害 自傷行為

初めまして、霧と申します。

仕事中にふと「死にたい」と検索してみると、「死にたい」と検索したら「死んではいけません!」と言われるのが嫌だったというページがヒットして、メンヘラ.jpの存在を知りました。

昔から文章を書くのが苦手でしたが書いてみます。よろしくお願いします。

 

私が精神を壊したのは、2011年の夏でした。東日本大震災の年ですね。

私は岩手県陸前高田市の出身で、当時は宮城県仙台市にある専門学校の2年生でした。高校の恩師や友人は犠牲となったのに、自分だけ無事。企業も混乱から立ち直れないため就職も困難。

何かしたいのに何も出来ないもどかしさから、私は自らの腕をカッターナイフで切り、それを罰としました。夜に寝れなくなり、学校も休みがちになり、アムカも日常的にするようになっていました。

どうなっても良い。世界なんてどうせ私のことなど気にしない。一切から解放されたい。死んでしまいたい。

Twitterにそのことを書くと(あまり褒められるようなことではないかもしれませんが)、フォロワーから「心療内科に行ったほうがいい」と言われ、学校を休んでクリニックへ足を運びました。

診断名は、「双極性障害Ⅱ型」でした。

ある意味で救われた気がしました。この気持ちは病気なんだと思えたからです。

私は学校を休んだり出席したりを繰り返しながら投薬治療をしました。友達の家で大声を上げて泣いたりもしました。踏切に飛び込めば一瞬で楽になれるんだろうなと思ったりもしました。

 

そんなこんなで専門学校を出席日数ギリギリで卒業した後、私は地元で就職し、友人からの誘いで一昨年また仙台に戻ってきました。

派遣でデータベース用資料の作成などの業務をやっていましたが、解らないことだらけだったので、上司や先輩に何回も聞いて仕事をしました。「こんなこともわからないのか」とか「何回も聞きに来て迷惑だ」とか内心で思われてるんだろうなと考えながら仕事をしていました。

ですが1年半そんな感じで仕事をして、今年春から契約社員になりました。自分は仕事の要領が悪いし、作業ペースも遅いと思っていたので、契約社員の話をもらった時は「こんな自分でも認められるんだ」と思いました。

派遣から契約社員になったことで、仕事の量も増えました。派遣の時からやっていたデータベース資料作成、客先との打ち合わせ、電話応対、運用しているデータベースの保守、不具合対応etcetc…

初夏の頃はやりがいとともに仕事をしていました。サラリーマンらしくなってきたじゃないか。まともな人間のように仕事が出来るじゃないか。しかし、最近はそう思えなくなりました。

一日の作業量には限界があるのに、それを越える仕事が降ってくるようになりました。同僚に頼ろうとしても、「それは君の仕事だろう。それより仕事を振りたいんだけど…」「それよりあの不具合が治ったか問い合わせしておいて」等など、それが当然かのごとくです。当然終わらなければ残業です。

朝は9時から夜は22時まで。世の中の会社員には24時まで働く人もいるのでしょうが、こんな生活もうイヤだ。さっさと死んで楽になりたい。

 

「~を苦にして命を絶った」という表現を聞きますが、私の場合は「楽になりたくて死にたい」です。納期から逃れたい、人間関係から逃れたい、など。

しかし、そんなことをしたら会社や家族に迷惑がかかる。今借りてる部屋は?実家にある大量の漫画はどうする?そういった現実に縛られて今日もびくびくしながら生きています。

正直何を書いているかよくわかってないです。書きたいままに書きました。自分の体験は、他の方からすると何だそのくらい、かもしれません。私もそう思います。

それでも、ここまで読んでいただきありがとうございました。

生きるって面倒ですね。

 


【執筆者】
霧 さん

【プロフィール】
双極性障害の死にたがり契約社員


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