ODと自殺未遂。一人で苦しみを閉じ込め続けてきたけど、本当は誰かに助けてほしかった。

体験談 自殺未遂 フレ

初めまして。フレといいます。23歳です。

私は4人姉妹の末っ子にうまれました。両親ともに健在で夫婦仲も普通、家もそこまで貧しいわけではありません。

私が5歳のとき、2番目の姉が難治性の腎臓病にかかり入院しました。姉の病名を知ったのは私が高校生になってからです。その後も姉は入退院を繰り返します。入院している間、母は姉につきっきりで、私も子供なりに心配をかけまい、迷惑をかけまいと振る舞います。病院へ行く母を見送るときに「ごめんね」と抱きしめられたことだけ、それ以外のスキンシップは記憶にありません。

姉は体調を崩すとヒステリックになり、物を投げたり暴力を振るいます。母が泣きながら「お願いだから病院に行こう」と叫ぶ声と、父の「言ってもわからないやつには何も言うな」という声、そして姉の怒号が響きます。何度も。姉の体調が優れない間、家の中はシーンとしているか、両親がもめているか、耳が痛くなるほど家族の誰かが叫んでいるか、それしかありませんでした。聞き耳を立てて、家に入る前に祈るようなあの気持ちは、今も実家のドアにこびりついています。「私が死ねばいいんだ」と、道路にずるずる歩いていった母を追いかけた時の気持ちも。

姉と仲良くなれたのは高校を卒業して就職してからです。私はその就職先の寮でODと自殺未遂をして、いまは夜帯の仕事をしています。

私は今も昔も自分のことをうまく話すことができません。それが何故なのか、誰かに説明することもできません。自分のことを誰かに聞かせることが、すごく悪いことのように感じるのです。隠せないような陰鬱な表情の時も、知らないうちに涙が出ていても、自殺未遂が知られても、「大丈夫」とさえ言っていれば、悲しいのも苦しいのも誰にも知られずに済みました。

23歳になって、自分でできることがだんだん増えて、姉や両親の心労も少しわかるようになってきたと同時に、どうしてもどうしても家族が許せず、憎くて仕方なくなります。

私は大切な家族の心の成長のために、私の大切な時期をボロ雑巾のように扱われ、ドブに捨てられたのです。

 

私は誰かに、「あなたは大丈夫じゃないよ」と言ってもらいたかったんです。

自分ではわからない自分のことを教えてもらいたかった。どこからが大丈夫で、どこからが大丈夫じゃないのか。知られなかった気持ちは消化されてなくなったわけではなくて、例えば薬をたくさん飲むことや、ふとももを父の工具用のカッターで切りつけることで自分に向けて発散されていました。

私はもう自分を殺すようなことはしたくありません。痛いのも怖いのも嫌いだし、傷つく人がいてくれることも知っているから。でも消えてしまいたい、産まれてきたくなかったという気持ちはなくなりません。3番目の姉の子供を抱くのも怖いんです。産まれてきてしまったんだね、と思ってしまう。どんなに不謹慎だ、親不孝だと言われても。

ここにある記事を読んでいても、何度も迷います。私より辛い思いをしている人は絶対に沢山いて、それでもどうにか生きようとしている人、生きないことを選択した人、私と同じで迷っている人。

ここまで書き終えても、自分が今前を向いているか後ろを向いているか、それすら曖昧なままです。

だからひとまず私は、明日、今日と違うことを何か1つしてみようと思います。

できるだけそんな気持ちが長く続いてくれることを、祈ります。

 


【執筆者】
フレ さん

【プロフィール】
23歳女。キャバクラ勤務。
現在は主にうつとパニック障害の治療を受けています。


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2件のコメント

ゆきねこ 返信

私も誰かに「大丈夫じゃない」って言ってほしい。無理してるって。
ごめんなさい

唇から出血女てゃん 返信

はじめまして。失礼します。私も誰かに甘えたくて、言って欲しくて堪らなかった言葉です。
お互いのことを何にも知らないのに、私に言われて救いになるか分かりませんが、ゆきねこさんは沢山ご無理をされてきたんですね。頑張ってきたんですね。できればもうゆっくり、気がすむまで休んで欲しいです。少しでもゆきねこさんが楽になりますように。

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