精神科閉鎖病棟の入院から得た「自分の感情の律し方」

体験談 双極性障害 精神科入院 希死念慮 祭めぐる

こんにちは、お久し振りです。

以前、リストカットでうっかり尺骨神経をアレしてしまった経験の記事や、身体醜形恐怖を拗らせて自撮りの泥沼にハマる人間の記事を掲載していただいた、祭めぐると申します。

今回は、私が精神科閉鎖病棟に入院した時の経験談や、そこで得たものについてをつらつらと綴りたいと思います。あくまで個人の感想、個人の経験として読んでくださると嬉しいです、異論は大いに認めちゃう。

6月の頭辺りからあからさまに体調が崩れ始めたのが、そもそもの発端でした。
暫く落ち着いていたのに、寝ても覚めても死ぬことしか考えられない。
どうしてこんなにつらいのかと本気で考えたけれど、死にたい理由も特に思い浮かばない、なのに死にたい。

私は双極性感情障害Ⅱ型、解離性障害、ついでに子供のころから癲癇を患っていました。

精神科通院歴だけは人並み以上にご立派な私なので、「ああ、この死にたいのは絶対に『病気の脳みそ』の不具合であって、私の本心ではないんだな」とだいたいわかっていました、これがわかると対処のしやすさが違いますよね。

でもつらいものはつらい、苦しいものは苦しい、死にたいものは死にたい。

どうしたら良いのかわからずにひたすら、オーバードーズと首吊り用に家の中の高いところに設置したベルトとの睨めっこを繰り返していました。

そんな死にたい日々の内のとある日、遂にやらかしました。

その前のことは覚えていませんが寝ていました、そして目が覚めたら、ダイニングのPCでは首吊り用の縄の結び方のページが表示されており、いつものベルトのポジションには結ばれたロープ――要らない注釈をつけるなら、ワンピースにベルトとして付属しているものです――があったんですね。

もう、頭が真っ白になりました。
幾ら私が死なないようにギリギリのラインで踏ん張っても、意識がないうちに、解離を起こしている時にこんな真似をされてしまっては自制が出来るかどうかも怪しい。

ああ、もう無理だな。
本能的に悟ったので、私は死なないためのシェルターに入るつもりで入院を決意しました。
個人的にはこれは私の26年間の人生の中でぶっちぎりの英断でした。

翌日、かかりつけの精神科に行って、このままじゃもうヤバイから入院をしたいという旨を伝えたら、先生はあっさり承諾してくれました。紹介状を書いてくれて、入院先の病院が決まりました。

 

入院が決まると、不思議と気持ちは軽くなりました。
ああ、これで死なずに済む、そして夫に迷惑を掛けずに済む――そう考えるととても落ち着いて荷造りをすることが出来ました。

1週間から2週間の予定の任意入院、持ち込めるものに制限はありますが、割と好き放題持って行きました。

例えば20冊以上の本――キャリーの中をえらく圧迫しましたが、やることがないときっと死にたいという気持ちは加速するな、と直感してのことです、ちなみにお見舞いに来てくれた友人や母の手によって更に増殖しました。

例えば着ていて楽なワンピース――私は普段、ややかっちりめのフェミニンな服が好みだったので数が足りず、しまむらで何着か買い足しました。

例えばスキンケア・ボディケア・ヘアケア用品――自分の状態がある程度に保たれていないと発狂するタイプの人間なので、念入りに用意しました。

入院する際の持ち物検査で、『こんなに用意周到な患者さんは初めて見た』と感心されました、当たり前ですよね、私は自分の意志で病院というシェルターを利用するんですから。

入院初日、自宅から遠く離れた病院へと夫に送ってもらいながら、安心と不安と寂しさが入り混じったような気持ちになって、また死にたいの発作が始まったのは内緒です。

色々な検査をして、診察を受けた結果、閉鎖病棟への入院が決まった時は少し笑ってしまいました。私は不謹慎な時に笑ってしまうタイプの人間なのですが、まさか閉鎖に入ることになるとは思っていなくてけたけた笑ったのを覚えています。

因みに閉鎖病棟が選ばれたのは、私が解離状態になると何をしでかすかわからないという問題点、ただ1点の理由らしいです。

入院生活は、否応なく規則正しい生活が強要されます。
7時起床、22時消灯、だったかな、曖昧ですが早寝早起きです。

当初は「こんなに眠れるかよ、私はショートスリーパーなんだよ」と思っていて、事実退院まで規定量ギリギリまで眠剤を入れなければ眠れなかった私でしたが、すごいんですよ、規則正しい生活の威力。どんどん体が軽くなり、建設的に、現実的に物事が考えられるようになりました。

現実的にものを考えられる、というのはとても大事です。

私のいた閉鎖病棟は、ナースステーションの隣に隔離室がありまして、そこから、何か――おそらく私には想像もつかないような、人生そのものや社会、自分への恨みや怒り――に激しく抵抗している音が聞こえてきていました。

喉も裂けよとばかりにぶっ通しで丸1日続く叫び声、暴れる音。
私も自宅でそれにかなり近い状態に陥ることがあったので、とても危機感を覚えました。

きっと、私がいつものように怒鳴ったり暴れたりしたら、私も隔離室に連れていかれてしまう、そうしたら私の『精神』はきっとそこから戻って来られなくなるのではないかと恐怖しました。

そこで現実的になると、「自分の感情を律すること」がこの病棟では必要で、それは勿論退院後外に出ても必要なのだ、では律するにはどうすべきか、ということを考え始めます。

 

1.中期的な大目標と、短期的な小目標を具体的にわかりやすく、そしてなるべく少ない数で決めて、それを無理のない範囲で遵守すること。

私は1週間のスパンで更新される大目標と、そのために必要な1日の小目標を立てて生活することを始めました。退院して社会復帰も果たした今は生活が変則的になりがちなので、1ヶ月の大目標と1週間の小目標を立てています。無理なスケジュールや細かい目標を立てると、目標を果たせないこと自体がストレスに繋がるので避けます。

 

2.主張があるときは、感情のままに並べたてず、きちんと企画書を作成し筋道立ててメリット・デメリットを説明できるようにしてから話をすること。

この時の私の主張は「退院したい」でした、隔離室のプレッシャーは凄まじかったですし、他の入院患者さんたちとの交流もストレスのひとつでした。

私は自分が自分に対して無害な人間になるまで(私の方針として)退院は出来ませんし、きちんとメリットとデメリットを考えて書き出して考えてみたりもしました。

因みに、その書き出した企画書を診察の時に見せながら退院を希望したら、担当の先生に若干引かれました、そこについては未だに理由がわかっていません。

 

3.規則正しい生活の維持に努める。

これがいちばん大事です、これのおかげで私はきちんとまともな頭を取り戻せたのだと思っています。退院した今でもなるべく、可能な限り続けていますし、ここが上手く行かないと体調が崩れます。

 

この3つのルールを得られたのは、入院での大きな収穫でした。

これをできる範囲で遵守していると、生活が円滑に回り、不思議と体調も崩れにくくなります。人間何でもトライアンドエラー、上手く行かない時は試行錯誤に限ります、入院は有益でした。

今日たまたま、友人たちと精神科病棟入院について話す機会があったので、自分の経験を反芻したり意見をもらったりして考えていたので、改めて文章に書き起こしてみました。

入院の目的は『治すこと』に勿論あるのでしょうが、『治すための気力を復活させること』にもあるのではないかと私は考えます。「元気があれば何でもできる」とは私は言いませんが、「元気がなければ何もできない」とは思うんです。

状態が悪くて、でも入院に尻込みされている方は、勿論個人個人で向き不向きはあるでしょうが、是非前向きに選択肢のひとつに入れてみてください。

余談までに、私は1週間の入院期間、硬いベッドにひとりで眠ることに慣れませんでしたが、夫は2日で慣れたそうです、正直にこの野郎と思ったという旨をお伝えして締めたいと思います。


【執筆者】
祭めぐる さん

【プロフィール】
通院歴14年目に突入した厄介メンヘラ。双極性感情障害、解離性障害、ほか。作家志望、ずぼら主婦兼販売員。
twitter : @glgl_menhera


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