「自分が何者なのか」と苦しんでいるあなたへ

コラム えん あきら

昔、外の世界も他人も信じられず、精神的にも物理的にも塞ぎ込んでいた時期があった。

同時に、自分が特別な「何者か」ではないかと、その正体を必死に探していた時間でもあった。

最近、そんな青く苦い過去を思い出したきっかけがある。

 

それはある日、機会があってSMバーに初めて行った時のこと。客とスタッフが思い思いのコミュニケーションを取る中、私の隣にいた常連客らしき人に声をかけられたのがきっかけだ。

「この店に来るのは初めて?」
「ええ」

他愛もないやりとりをしたのち、常連客にこう質問された。

「あなたは、Sですか?Mですか?」
「…………」

実のところ、自分はどちらかであると思ったことはない。というか、判断基準がわからなくていまいちピンとこなかった。

「わかりませんね。あまり考えたことがなくて」

ひとまず正直にそう答えたその時、相手は明らかに怪訝な顔になった。

「でも、どちらかだと思ってこういう店に来たんじゃないの?どっちかだって思ったことないの?」

相手はとにかくそんな質問を繰り返す。それでも私は本当にどちらだとも思っていないので、適当に返事することしかできなかった。両者の間に何とも言えない空気が漂ったのを今でも覚えている。

あの出来事があって以来、私はどちらかだと嘘でも言った方がよかったのかと今でも考えている。

 

自分が「何者か」を決めなくていい自由


私はとにかく、気が付いたころから言葉にしがたい「孤立感」があった。

趣味嗜好だけでなく、自分の考えや思ったことを発言したら、だいたい他人から驚かれていた。きっと偏った信念とか、理解されない感覚とか、それから空気が読めていないとか不適切な発言とか、そういうのもあったのかもしれない。

でもそれ以前に、最後まで自分の言葉を聞いてもらえなかった哀しさが積もっていた、というのがあったと今でも感じる。

人に話を聞いてもらえない分、自分の考えはおかしくないと背中を押してくれたのがインターネットや本だった。調べれば調べるほど、マイノリティは確実に存在する。自分と似たような人はいるということがわかった。余裕があれば、いわゆる当事者会というのにも参加したこともある。

それでも、私が納得する答えは出てこなかった。

理由は簡単に2つある。「自分が何者かとわかればそれで救われると信じきっていた」のと、「何者かとわかれば、ずっとそのままであり続ける」と思っていたからだ。

このサイトの読者ならわかるだろうが、たとえ同じ症状であっても個人が抱える苦しみや悩みは人それぞれである。時間が経てば解決するかもしれないし、全く違う課題が降ってくるかもしれない。同じ肩書きでも、皆が同じ価値観を持っているわけではない。私はそれを理解するのに随分と時間がかかってしまった。とある性的マイノリティを自称していた人が、日にちを経て異なるセクシャリティを名乗ったのを見たときに心底驚いた経験もある。

そんなこともあって、自分が何者かであることを決めるのがばかばかしくなってしまった。

 

自分が「何者か」を名乗らなくていい自由


とはいうものの、「何者か」がはっきりしていないとまずい場面は日常生活でたくさんある。役所などの公的施設に提出する書類。病院での相談内容。仕事やプライベートで自己紹介するとき。はたまた体調が弱って誰かに助けを求めるときや、特定のコミュニティに属する必要があるとき……。そういった場面を挙げればキリがないだろう。

たとえ少数派な肩書きや特徴を持っていようがいまいが、性別は何で、生まれ育ちはなんなのか、どういうものが好きで嫌いで、これまでどんなことをしてきて何を考えてきたのか、など明かさねばならないことは必ずある。

そういうものに関しては、ある程度「何者か」を名乗ろうと割り切っている。本当は面倒だしうんざりすることもあるが、そのほうが、今の世の中では生きやすいからだ。

とはいえ、私がずっと困っていて孤独感があることには今も変わりないので、ある程度自由で気楽にいられそうな場所……現実、バーチャル問わず、そこでその答えとなりそうなものを気が向いたら探しつつ「何者か」を明言せず、さまようことにしている。

 

「私」を見るどこかの誰かへ


こうして書くと、知っている人や見ている人は「いやいや、君は○○だろう」と思いたくなることもあるだろう。ならば、そっとしておいてほしい。正確には、「○○だ」と思う分には自由だけど、口にして「あなたは○○だからこうしたほうがいい、すべきだ」と発してしまうのだけは勘弁願いたい。

なぜなら、その肩書きが本当かどうかと長年頭を抱えて苦しんできた時間があったからだ。

そんな辛さを抱えるくらいなら、おいしいものを食べて、ぐっすり寝たい。あなたも、「あなたは○○なんだからこうあるべきだ」と言われて、イラっとしたことはないだろうか。きっと、だれしも一人はあるはずだ。気が向いたら、そのイラっとした理由は何かを考えてみてほしい。

 

自分が何者なのか、わからない不安を持つ「あなた」へ


他の方の読者投稿を拝見すると、自分の立場がはっきりしていることの苦しみを感じる人や、はっきりしないことの苦しみを感じる人、両方いるように思われる。

自分が何者かを知りたくて心を痛めている人がいたら、こう言いたい。我々が自分の心身を守って生きるためには、自分が何者かを決めたり、名乗ったほうがいいときもあるが、逆に何者かを決めたり名乗らなくていい自由がある。

もし、決めないほうが楽だと思えたら、少し手を休めて「自分が本当にしてみたいことは何か」をゆっくり考えてもいいのではないか、と。

 


【執筆者】
えん あきら さん

【プロフィール】
一般人だと思う一般人。
Twitter:@en_akira


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