主体性も望みもない空っぽな私が、新興宗教に触れて得た「夢」

コラム 宗教 かぼちゃ

大学卒業間近のころ、三世信者である友人に誘われた。

昔から「私は過去も未来も空っぽで、今の自分も不確かで、いつか社会に見捨てられてしまう」という気が常々していた。そういった不安感や虚無感を埋め合わせるヒントが宗教から得られるのではと思い、その施設に行ってみることにした。結果として期待したようなヒントは得られず、信仰心が芽生えることもなかった。

私は大学卒業後は大学院に進学するつもりでいたので、就活をしていなかった。しかし、ある時から教科書を開くと気分が落ち込むようになり、入試勉強は全く捗らず、不眠になり、気がつけば大学院入試に不合格、進路未定となっていた。教科書やノートを開き、大学4年間で習った内容を見返すと、「自分は大学で知識や技能を何一つ身に付けられなかった」「こんな人間が生きていても意味がない」という気持ちに襲われた。

「現状の素晴らしさを認め、将来に希望を抱く」ことを強要される場面が多い世の中で、「能力が低く惨めで未来に期待が持てない」自分は存在ごと否定されているような気がして、私は進路を考え直すことすらできないまま卒業を迎えようとしていた。

 

私は、宗教というものが、空虚で惨めな人間である自分すらも無条件で受け入れ、肯定してくれることを期待していた。

その宗教の教義は、大雑把に言うと「神様を信じて祈っていれば、いつか人生を良い方向に導いてくれる」というものだった。「祈る」というのは、神棚とか燭台みたいなものが飾られた場所で神を讃える歌を歌ったり、思い思いに呪文を唱えたりすることを指した。祈りの時間のあとには皆でご飯やお菓子を食べながら雑談をした。夏には河原でバーベキューをしたこともあった。お金を払ったことは一度もなく、完全に信者の方々にご馳走になる形だった。

信者の方との雑談のなかでは話の取っ掛かりに学年を聞かれることが多く、「大学4年です」と答えると、必ず進路のことを訪ねられた。進路未定であることを話すと、信者の人たちは皆「それじゃあ、神様に祈ってみなよ」と言うのだった。「信じて祈っていれば、神様が必ず導いてくれるから」と。

信者の方のなかには、「学生時代は神様を信じておらず自堕落に過ごし留年もしたけれど、卒業後は祈りながら必死に勉強して国家試験に合格できた」とか、「引きこもりでニートだったけど神の導きで社会復帰できた」など、信仰のおかげで人生をマイナスからプラスへ転換できた、というエピソードを持っている人が多かった。

はじめのうちは、「新興宗教というと怖いイメージがあったけど、皆いい人たちだなあ」「いろんな人生があるんだなあ」「普段関わらない年代・立場の人と話すのも悪くないなあ」程度にしか考えていなかった。

 

何度か施設に赴き、雑談をするなかで私は少しずつ違和感を抱くようになった。この宗教が与えてくれるものと、私が欲しているものが一致していないことに気がついたのだ。

私は充実した人生を送るサポートや後押しをしてほしいのではく、私が世間に明るい未来を信じることを強要されねばならない理由を教えて欲しかった、そして私が何もかも投げ出して無為に生きても構わない、空っぽの人生を送ってもいいという赦しを与えて欲しかったのだ。

世の中はおそらく、多くの「叶えたい望みがある人」で構成されている。しかし、その望みは易々と実現できるものばかりではない。だから心の拠り所が必要で、それは例えば宗教であったり、座右の銘であったり、家族や恋人の存在であったりする。そしてそういう人たちは、その望みこそが人生を豊かにしてくれると信じて疑わない。

一方で、私には望みが無かった。幼い頃から空っぽで、主体性に欠け、将来の夢も答えられない子供だった。中学生くらいから「具体的な目標はまだ無いけど、人の役に立つ仕事に就きたいです。だから今は、何にでもなれるように勉強を頑張ります。」とその場凌ぎで心にもないことを語るようになり、そのまま大学入学まで乗り切ってきた。

でも、大学卒業を前に限界が来た。やりたいことが何もない。将来なんてどうでもいい。何が幸せなのかも分からない。こんな人間、神様ですら眼中にないのだ。

 

現在の私の夢は、「将来の夢を持つこと」だ。もちろん、これも本意ではない。

しかし、『千と千尋の神隠し』で働かない者が豚にされてしまったように、また『輪るピングドラム』で愛を得られなかった子供が透明にされてしまったように、この世界で生き延びるには「将来の夢」が必要であり、夢を持たない者はたぶん、他人から見えなくなってしまう。

でも、私は他者とつながっていたい。だから、欲しくもない明るい未来を求めるふりをして生き続けるしかない。

これが、今の私に出せる精一杯の結論である。

 


【執筆者】
かぼちゃ さん

【プロフィール】
9歳から抗不安薬のんでる。大学院生。
Twitter:@akinokabocha


【募集】
メンヘラ.jpでは、体験談・エッセイなどの読者投稿を募集しています。
応募はこちらから

この記事のカテゴリ・タグ

コラム 宗教 かぼちゃ
このエントリーをはてなブックマークに追加

2件のコメント

仲見満月(なかみ・みづき) 返信

かぼちゃさんへ

空虚なものを抱えながら、それでも、学究が好きで、論文が通らない・書き直しを続けながら、博士号を何とか頂いた者です。

私がどんな院生生活を送ってきたかは、過去にこちらへ掲載頂いた記事がありますので、お読み頂けたらと、思います。コメント冒頭の名前で、タグ検索すると記事が出てきます。

それはさておき、私が世間に求めていた問いが、かぼちゃさんに提示されたことで、少し、気持ちが楽になりました。「私が世間に明るい未来を信じることを強要されねばならない理由を教えて欲しかった」。何で、強要されるのでしょうね?その答えに、答えられる人はなかなか、いないのかもしれません。

ただ、ひとつ言えることは、希望という明るいものがないと、積極的に生きていけない人たちか世の中にはたくさんいるということ。

そして、「空っぽの人生を送ってもいいという赦しを与えて欲しかったのだ」という言葉には、他でもない、ご自身が赦していいのです。他者に赦して欲しいなら、私が赦します。世の中の誰だって、空っぽであることを認めるのは、怖いんです。でも、空っぽだと感じたことのある人だって、たくさん、いるはずです。人様に話さないだけで…。

信仰を持つ、持たないは自由です。私の周りには、宗教というより、学問的な意味での思想家を信仰している人も、研究者の一部ですが、存在しているでしょう。今回のコメントが、何らかのお役にたてば、幸いです。

返信

空虚や孤独などはあなたが関わってきた過去の経験や周りの社会から受けた洗脳のひとつです。私も同じく空虚であり孤独であり、この記事のあなたと同じすが、あなたとは違います、なぜなら私は他人が嫌いです、人間らしく友達を作り、群れたりして、私が自分を費やすのが嫌なのです、そして、それは正しいことです。個人は生まれてから死ぬまで孤独であり空虚で全く価値や意味を持ちません、それはこの現実世界の掟であり、変えることが出来ません。友達を作るなどして、他人を増やしても、あなた自身の内側に友達的な対人関係が増えるわけではありません。あなたが求めるものが何かは完璧に理解は出来ませんが、”空っぽ“というのは間違いで、あなたの人生はあなたの物なのです。”形を成さない希望や温かみ”が理想なのだと騙されないようにしたらより良いと考えました。

コメントを残す

返信をキャンセル
返信先コメント