ルックスに対する執着心が消えない コンプレックスに悩んできた人生

コラム コンプレックス ひかる

私にはコンプレックスがある。

体型、顔、服装、顔つき、仕草…いままで何度もそれらを指摘されてきた。

今でも幼稚園の頃、真夏のデパートで通りすがりの子供達に「あの子はなんで腕が赤いの?」「気持ち悪い」と、アトピーを発症していた両腕を見て嫌な顔をされたのを覚えている。

今でも小中学生の頃、「お前の顔ってダサいよね」「脚が短いよね」「くせ毛だよね」「太ってるよね」「デブとブスは何着ても似合わないよ」「本当に不細工だ」と笑われたのを覚えている。

仕草についても、「今まで見た事がないくらい鈍臭い」「見ていてイライラする変な動きをするよね」と怒られたのを覚えている。

もうアトピーは完治しているし、見た目や仕草について悪く言う人たちは周りに居ない。分かっているのに気にしてしまう。気にしすぎてしまう。気にしていないと気が済まない。

 

気にしすぎるあまり、指摘された部分を隠すことに専念する。

短足を強調しない服装、短足に見えない工夫。くせ毛にはストレートアイロンや縮毛矯正。無理なダイエット。顔を隠す為にマスクをして、変な行動を取らないようになるべく人と関わる事を避ける、動かないようにする。常に指摘された部分をどう隠したらいいか、暇さえあれば考えて、思いついた事は全て試した。

けれど、どんなに隠しても安心出来なかった。自分が満足する所まで改善出来なければ、執着心が消えなかった。

特に痩せへの執着が酷い。痩せていなければならない。痩せていないと私には価値がない。少しでもズボンがキツくなれば落ち込む。酷いと寝込み、引きこもる。なんて甘えた事をしているんだろう。なぜこんなくだらない事で落ち込むのだろう。けれどやめられない。痩せていない体で外に出るのが怖い。また誰かに指摘されるのでは、笑われたり見下されるのでは、そう思えて仕方ない。

見た目に悩んでいる人を見かけると、「そんなに悩まなくて良いのに、そのままでも充分だし変なところはないのに、むしろ気にし過ぎていて滑稽だな」と思ってしまう。けれど、自分についてそうは思えない。自分のことを棚に上げてって奴だ。タチが悪い。

 

どうしたらこの執着が無くなるのか。カウンセリングや認知療法が有効とのことで、主治医に勧められて2つとも受けてみた。

カウンセリングでは、心理士さんに話を聞いてもらうことで、気持ちが軽くなり、ごちゃごちゃとしていた気持ちがまとまることが多くあった。悩んでいる事を一緒に考えたり、アドバイスを頂いたりすると心強く感じた。何よりとても話しやすい心理士さんで、カウンセリングを受けに行くのが楽しみにもなった。

認知療法では、正直大変な事が多かった。けれど自分の考え方の癖を知り、執着する原因に少しずつ気づき、こうして文章でもまとめる事ができた。とりあえず気づけたことは大きいと思う。

 

これらを受けて今思うことは、執着が無くなるかも!という希望より、どれくらい時間をかければ薄れていくのか、という絶望感が大きい。

今も持っている中で1番ゆるいジャージがややキツくなったように感じる。今日も私は落ち込み、また時間を無駄にしてしまうのだろうか。

認知療法もカウンセリングもこれからも続けていこうと思っている。こんなことをいつまでも繰り返したくない。まだまだ絶望感が大きいが、いつか執着が薄れたらと思っている。

 


【執筆者】
ひかる さん

【プロフィール】
とにかくトラウマが多い女


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2件のコメント

櫻子 返信

初めまして。
お気持ちわかる気がします。
私も外見へのコンプレックスが酷く、過度なダイエットを繰り返し、美容整形で顔を変えました。つい最近も整形手術を受けました。
子供の頃から自分の見た目が許せずたくさん自分をいじめてしまいました。

私は発達障害からの二次障害でうつ病になり今は双極性障害II型の診断を受けています。
こだわりが強く人とのコミュニケーションが下手で、その辺も余計に外見にこだわってしまう理由なのかなと思っています。

私は以前は42kgくらいだったのですが、鬱がひどく引きこもり過食になっていき体重が60kgになった時にODで入院しました。体重を苦に自殺未遂をしたわけではないのですが、60kgというのは自分の中の精神的ボーダーラインだと思っています。

その後一度痩せましたが、40代になり代謝も落ちてまた60kgを変えてしまいました。

家族や友人に「太った」と遠慮なく言われ、笑いながら返事をしていますが心の中は死にたい気持ちでいっぱいです。

本当のボーダーラインを超えてしまう前に私もそれとなく先延ばししていたカウンセリングや認知療法に取り組んでみようと思います。

長々と申し訳ありません。
記事を書いてくださってありがとうございます。ゆっくり光を探していけたらと思います。

徘徊大好き 返信

そのお気持ち、私は、少ないながらわかります。私は昔、前歯がかなりのスキマの空いた「出っ歯」でした。これのおかげで、中学時代、いろいろな「イジリ」を受けました。

私はこれが大きなコンプレックスになりました。小学時代、母が矯正治療を提案してくれました。当時私は強がって「人は見かけじゃないし、大丈夫!」なんて言ったものです。この発言は、今考えてみると愚かでした。当時私は、自分の前歯のことについて特に気にしたこともなかったからです。

でも、中学からは気になりました。結局、それのコンプレックスも含めた原因で、高校中退後、矯正治療をおこないました。

でも、結局矯正治療をしても、対人に対する恐れが衰えることはありませんでした。そこでおもったんです、いくら取り繕っても何もいい事はない。そこで、今大学生の私は敢えて「ダサい」を極めてやろう、そうおもっています。この試みがどう転ぶかは神のみぞ知る、しかしダサさをきわめることで、それを意識しなかった以前の自分はすくなくとも、0であり、マイナスではないのではないか、そう思える気がするのです。

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