ノンママ白書を観たメンヘラ女子の「子を産まない選択」

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将来、子供に「お母さん、どうして自分を産んだの?」と言われたらどうしよう。

私はたぶん、答える前に手をあげてしまうだろう、と思うのだ。

 

先日実家に帰省したとき、フジテレビ系の「ノンママ白書」というドラマを観た。

ちょうど第一話で、私は放送時間を少し過ぎてからテレビをつけたのだが、内容は簡単に説明すると以下のようなものだった。

 

アラフィフ世代のノンママ(=子供を産まないという選択をした女性)女子3人が、女子会で仕事や恋愛の愚痴を言う。

 

私はその30近く歳が離れた彼女たちの女子会(愚痴)を「あ~~~……」という気持ちで見ていた。隣で一緒に見ていた恋人も「面白いね、このドラマ」と真剣に見ていた。

 

これを書くにあたり少しググってみると「ノンママ3人の暗い女子会が延々と流れる展開に、視聴者から『湿っぽい気持ちになった』『ノンママの言動が痛い』などと痛烈なブーイングが飛び」、どうやら不評だったらしい。

 

仕事と家庭の両立、社会から求められる女としての役割、そしてそれらとどうやって向き合い、どうやって生きていくか。

 

彼女たちは私たちとは違う日本を生きてきたバブル世代でありながら、彼女たちが直面している「ノンママ」という肩書をめぐる葛藤は、状況に差異はあれど、私たちにも当てはまるのではないだろうかと思ったのだ。

 

「子を産む」のが当たり前か?

「子を産まない」のは悪いことなのか?

 

少子化という大きな社会問題は、言い換えれば女として生きる私たちによって価値観や人生観を問うような、非常に身近な問題であるのだ。

 

 

ノンママの「子を産まない選択」

「ノンママ白書」に登場するノンママたちには背景がある。

 

施行されたばかりの男女雇用機会均等法とともに男性社会に参画したヒロインは、国に「これから社会で働く女性たちの手本になれ!」と言わんばかりに背中をグイグイ押され、元祖バリキャリ女子としての人生を爆走してきた。

そのため、当時働く彼女たちには「仕事も出産もする」という選択肢はなく、「仕事」か「出産」かのどちらか一択だったわけである。そしてヒロインは「子を産まないで仕事に生きる」という選択をしたのだ。

 

ところが少子化の波が押し寄せると、今度は「女は仕事をしながら子供も産むこと!」という風潮になってきた。「ワーママ(=ワーキングママ)」推進の動きが強まり、適齢期に「子を産まない」という選択をして生きてきたノンママは肩身の狭い思いをしている……というものである。

 

実際、私は学生のときに「子供を産むつもりはない」という大人を何人も見てきたし、私自身も自分に子供を産む義務があるとは思えないでいる。

 

私の周りにいたノンママは、私から見ればどちらが仕事でどちらが生活なのかわからないような仕事をしている女性ばかりだった。職業上、ドラマに出てくるようないわゆるバリキャリのノンママという感じではなかったが、「子供を産むことよりも他にやることがある」という感じだった。私はただ「そういう生き方もあるんだな」と思った。

 

ドラマのように「そういう生き方」を選択する女性に対して、本当に世間が冷たいとすれば、「産めない」ではなく「産まない」を選択する女性たちは、他人から非難される必要があるのだろうか。

 

 

私たちが「子を産む理由」

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私の地元には子供を産んだ同級生が何人かいる。

彼女たちはどうして子供を産んだのだろうか。

 

子供がほしい!と願っていて出産したのならば「子供がほしいから子供を産んだ」という理由になる。が、私個人としてはそもそも子供がほしいという気持ちがよくわからない。ただ、よくわからないだけで、決して同年代で子供を産んだ女性や子供がほしい!という女性を非難しているわけではない。

 

私の知人たちという限定的な範囲の話だが、彼女たちは経済的に自立していない人も多い。子供の父親とは夫婦関係ではなく、別れてから出産した人もいる。

そのような状況から推測すると、彼女たちのなかには「子供がほしいから産んだ」のではなく「子供ができたから産んだ」人もいるのではないのだろうかと思わざるを得ないのだ。

 

もし仮に私が今の年齢で子供を産むことになったとして、「子供がほしい」以外に子供を産む理由はなんだろうか。想像して考えてみると、以下のような理由が思い浮かぶ。

 

1つめは、妊娠するまでは子供がほしいと思わなくても、実際に自分のお腹に命が宿ると子供がほしい(出産したい)という気持ちになるものだという理由。

 

できれば妊娠する前に「子供がほしい」という考えに至ってから子供を産むことが個人的な理想ではあるが、試しに「子供 ほしい 気持ち」でググってみると、どうやら「子供ができる前までは子供がほしいと思ったことなんてなかった」という人も結構いるようだ。

 

2つめは、親に孫の顔を見せてあげたい、女としての役割を果たしたいという理由。

 

これは自分のエゴであるような気がする。自分と親、または親と世間体、自分と社会、結局そこに子供の存在は介在していないからだ。

それでもやはり女として生まれた以上、子供を産んで母親になるという未来の人生も存在していて、子供を産む人生と産まない人生はどちらかひとつしか選べない。例えそれがエゴだとしても「女としての役割を果たす人生」は、結果的に私にとっても社会にとっても、もしかしたら生まれてくる子供にとっても正しい選択なのかもしれない。

 

3つめは堕ろすわけにはいかないという理由。

 

1と2のどちらも当てはまらなかった上での最後の砦である。私が倫理や道徳に則って「お腹に宿った命を見捨てることはできない」と判断すれば、私は子供を産むことになるだろう。

 

 

私たちが「子を産まない理由」

現時点で、私は子供を産もうとは思っていない。

それにはいくつか理由がある。

 

1つめは経済的理由。

 

私の生活でいえば、自分一人の生活と雀の涙ほどの貯金ができるくらいの経済状況で、とても人間を一人育てていけるような余裕はない。

ざっと調べたところ出産にはだいたい50万円ほどかかるようで、子供を20歳まで育てるとには最低でも1000万円は必要になるらしい。1000万円と言われてもすぐにはイメージできないが、私の人生にも同じくらいの金がかかっているのかと思うとゾッとする。同時に自分の親には頭が上がらないし、ますます子供を産む自信もなくなる。自分が育ってきた環境を振り返ってみると、自分の子供に同じ環境を与えることはほぼ不可能だ。

 

では、仮に私の貯金が突然5億円になって、この経済的理由がなくなったとする。

そのとき私は、子供を産もうと思えるだろうか。

 

それが、冒頭に書いた”将来、子供に「お母さん、どうして自分を産んだの?」と言われたらどうしよう。”という懸念につながっているのだ。

 

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1000万円ほどの金を消費して生きてきた身として、こういうことを言うのは親に申し訳ない気持ちがあるのだが、私自身生きにくさを抱えたまま生きてきた。死にたいと思ったこともあるし、今でもふと死にたいと思ってしまう瞬間がある。自分自身と折り合いがつかず、どうしても自分の遺伝子を残したいと思うまでに至っていない。

 

つまり、子供を産んだとしても自分の子供を愛せる自信がない。さらに言えば、この先自殺しないで生き延びる自信もない。大人としての責任ですら私には重荷だというのに、その上に親という責任を背負うには重すぎる。自分の人生ですら保証できないのに、もう一つ人生を保証できる気がしない。無理。完全に無理だ。

 

これで2つめの理由は自分自身がメンヘラだから、ということになる。

 

そんな状態で子供を産んだとして、将来、子供に「お母さん、どうして自分を産んだの?」なんて言われた日には、きっと私は答えられずに様々な感情が混ざり合って、手をあげてしまうのではないかと思う。

 

私は自分の親にこの質問をしたことはないが、私と同じようなメンヘラが「生まれてこなければよかった」「なんで自分を産んだのか」と口にするところを見ている。そんな質問をする子供を救えるような答えは、私にはまだ見つからない。

 

母親になるためにはその質問にちゃんと答えられるようになるべきだと思うし、そんな質問をさせないような人生を歩ませる責任も必要だと思う。

逆にその質問に答えられるようになる頃にはきっと私のメンヘラは治っているだろうし、その質問への答えが「子供を産むこと」に対する答えでもあると思うのだ。

 

 

これからを生きる私たちの選択

バリキャリ女子とメンヘラ女子は一見全く関係ないようにも見えるが、出産と自分の生活の両立に負担を感じているところは共通している。

 

ノンママ白書に出てくるようなバリキャリ女子であれば、自分の人生の大きなウエイトを占める仕事との両立による社会的な負担、メンヘラ女子であれば生きにくさとの両立による精神的な負担だ。

 

社会的にそれらの負担を軽減しようという動きは強まっていると思う。少子化対策によるワーママ推進の流れで、産休や育休などの企業制度も以前より整備されただろうし、昔に比べると仕事と出産の両立に関して周囲からの理解も得られるだろう。

 

同時にメンタルヘルスに関しても企業でのストレスチェックの義務化や、来たる2018年の精神障害者雇用の義務化など、社会への参入ハードル、ひいては生きにくさの軽減につながるような流れも作られ始めている。

 

しかし、それらの負担がゼロになって全ての女性が子供を産めるようになることは難しいのではないだろうか。どれだけ両立の負担が軽減されても、その負担と人生を背負うのは個人そのものだからだ。

 

そうなると、やはり私たちは自分自身で決断しなければならない。

 

そしてその決断を下したのであれば、例え子供を産まないことを非難されても傷つく必要はないし、不当な扱いには抗議すべきだと思う。

その決断は自分の人生について真剣に考え、しっかりと向き合った結果であるのだから。




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詐欺自撮りで成り上がってきた詐欺師。「限界になったら自殺しよう」という気持ちで毎日楽しく生きてます。やる気あります。何でもやらせてください。

1 件のコメント

  1. 返信

    少子化だからとか女性の義務などという外部からの理由付けはどうでもよくて
    人が子供を産みたいと思うのは自分の命を次に繋げるという使命をおびているからだと思います。
    生命が誕生してから今の私たちが存在するまでに気が遠くなるほどの命が続いています。
    それ以上に命を繋げることができずに途絶えてしまった生命も存在します。
    あなたが子供を欲しいと思わず命の繋がりを途絶えさせることは残念ですが仕方ないことですね。
    何も残さずにこの世を去るということがどういう気持ちなのか私には理解できませんが老後に後悔することがないよう悔いのない人生をお送りください。

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