「死にたい」と思うことはいけないことなのか

コラム 自殺未遂 希死念慮 かける

はじめまして。かけると申します。大学六年生の学生です。病院では鬱病とADHDだと診断を受けました。

理想の死に方は花火と一緒に打ち上げられて、爆散しながら花火を見ている人たちに「きれいだなー」と思われて死ぬことです。パッと思いついて文を加えたり削ったりしているので読みにくいかもしれませんが、ご容赦ください。

 

私は毎日「死にたい」と思っています。いわゆる「希死念慮」です。そして独り言として口に出します。

過去の失態を思い出しては「死にたい」。散財しては「死にたい」。ちょっと朝起きられなければ「死にたい」。風呂掃除をしながら「死にたい」。最近自分でもこれはおかしいと笑ったのは「内定式だ!緊張する!死にたい!!」でした。

タイトルについて。

一般的に、「死にたい」と思うことは良いか悪いかという天秤にかけられれば、ものすごいスピードで「悪い」に傾くと思います。自殺は良くないもの、それを考えることも当然良くないもの。という理論も一つの理由付けになると思います。

しかし、個人的には「死にたい」と思うこと自体は悪いことではないと思います。ただし、それが「どうやって死のう」「どこで死のう」という考えに変わってきたら、それは間違いなく悪い兆候だとも思います。

 

私自身の話をさせてください。

私はいつから漠然と「死にたい」と思っていたのか。はっきりとは覚えていませんが、多分中学生の頃からだったと思います。テストの成績が良くなかったとき、部活で人間関係がうまくいかなかったとき、高校や大学の受験勉強が嫌で嫌で仕方がなかったとき。いつも「死にたい」と思っていたように感じます。しかしそれと同時に「今週末は友達とイベントに行くからその時までは生きよう」「来月欲しい漫画が発売されるからそれが出るまでは生きよう」とも思っていました。

その「死にたい。でも〇〇だから生きよう」がなくなったのは、つい一年半前です。「死にたい。これ以上生きていてもどうしようもない」に変わったのです。それからはトントン拍子で、どうやって死ぬか、どこで死ぬか、いつ死ぬかを数時間で決め、家族の前から姿を消し、自殺未遂者として警察に保護されました。それが二度ありました。

それで何かのタガが外れてしまったのかもしれません。大学生が意味もなく「眠い」と口にするのと同じような感覚で「死にたい」と思うようになりました。具体的に今すぐどうこう、という考えはなくとも、日常に「死にたい」という思いが染みついてしまったように感じます。

両親とは「もう自殺しようとしない」と約束をして、それを破る気はないので自殺はしないと思います。けれども、時々「死にたいってもう思わない?」と問われれば笑顔で「もうそんなこと思ってないよ」と嘘をつきます。主治医にも「死にたいと思わなくなった?」と聞かれれば「はい」と返します。嘘です。毎日死にたいと思っています。自分の状態を気にしてくれる人たち、特に両親や病状を見てくれている主治医に嘘をつくのは決して褒められることではありません。

虚言癖のようなものがあるとも理解しています。しかしここで「死にたい」と口に出してしまえば周りの状況は一変。最悪、再入院ということもあり得ます(二度目の自殺未遂のあと措置入院をしていました)。嘘も方便というやつです。たぶんね。

「死にたい」と思うこと自体は悪いことではない。これはそう自分に言い聞かせたいだけなのかもしれません。

せっかく入院したのに。入院当時はやっぱり生きたくて早く退院したかったのに。薬も処方してもらっているのに。わざわざ5年以上親に学費を出してもらっているのに。主治医や大学の先生にも気をつかってもらっているのに。今度こそ卒業できれば社会人として自分の手でお金を稼ぎ、趣味を充実させることもできるようになるのに。あの時とは状況は全く違うのに。でも死にたい。

最近思ったのですが、「死にたい」というものはストレスから「逃げたい」ということなのかもしれません。もちろん例外もあります。私は風呂掃除をストレスとはあまり思いません。むしろ好きな方です。

 

話を戻しましょう。

現代社会に生きている以上、どこにいても、何をしていても、程度の差はあるとはいえストレスは必ずあるものだと思っています。誰しも世界にたった一人で生きているわけではないのですから。リアルであってもネット上であっても他人と関わらざるを得ない世界の中で、どんなに気の合う人や血のつながっている人と一緒にいても圧力は感じるものです。

「死にたい」というのはその圧力から逃れたいと思うことなのかもしれません。私が入院中に生きる気力がガンガン湧いてきたのは、他人との関わりを最低限にして、自分のことをいっぱいいっぱい考えていたからだと思います。

散々逃げるのが苦手で自殺未遂までした私が言うのもなんですが、逃げていいと思います。人生は一本道ではないのですから。

枝分かれしていたり、その先が自分の理想の道に繋がっていたり。実は裏道が何本もあることにも最近気づきました。逃げることが私は大の苦手で、結果生きることから逃げようと自殺未遂をしたので、逃げるのが難しいのは分かっていますが、それでも、逃げていいのです。逃げることをしないのであれば、どうにかしてその圧力をやり過ごすか、自分がその圧力を跳ね返せるように強くなるしかありません。

私は卒論から逃げたくて逃げたくて逃げたくて自殺しようとして、そのあとやっぱり逃げたくて学校を辞めようとしましたがなんだかんだで残ることになり、今は何度も転びながら、大学の指導教官に助けてもらいながら卒論を書こうとしています。圧力を跳ね返そうとしています。今も躓いているんですけどね(笑)

「死にたい」と思ったとき「なぜ死にたいのか」を一緒に考えてあげられるといいのかもしれません。自分を死にたいと思わせる原因は何なのか。そいつから逃げるには、やっつけるにはどうしたらいいのか。

私が内定式で死にたくなったのは緊張というストレスからだと思います。もし、自分一人で解決できなければ他人に相談するのです。ネットの海に潜るのもいいと思います。自分とは違う視点を持っていて、自分でも考えつかなかったような裏道を教えてくれたりします。

本当に死ぬしかないと一度思ったらもう、それしか見えなくなってしまいます。その前に、どうかその前に。

 


【執筆者】
かける さん

【プロフィール】
気づいたら大学六年生。今年こそ卒業したい。


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3件のコメント

牛肉 返信

他人との関わりを最低限にして、自分ことをいっぱいいっぱい考えて...や、逃げてもいい、逃げることをしないのであれば自分がその圧力を跳ね返せるよう強くなる、など読んでいて共感や、新しい発見、自分が今どうしてこんなにしんどいのか、これからどうやって問題を解決すべきか、など様々な考えが思い浮かびました。
文章一つ一つが勉強になるものばかりです。
死にたいって思うことや言うことの見方が少し変わりました。あなたの記事を読むことができてよかっです。
かけるさんの望んだ未来が訪れることを願っています!

鴨羽 返信

逃げ方がよくわからないからしんどいんだなと読んでいて思いました。
いっそ、仕事も家も投げ出して
リセットしようかな逃げ出してもいいのかな
と思えました。
ありがとうございます。
ちょっとほっとしました。

返信

同じ考えの人がいらっしゃったことに驚いています。文章を読む限りでは、自分が日頃からぼんやり考えていたことと全く同じです。言語化してくださってありがとうございます…!

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