つらい、苦しいと言えないヒトたち

コラム

つらいと言ったところで、苦しいと言ったところで、何も変わらないし、

つらさを否定されれば絶望するだけ

認めてもらえたところで、日常が癒えるわけでもない。

それでも、そのわだかまりを理由に周囲を突き放すことは身勝手な事だと分かっているし、
そうしたところで、誰の益にもならない。

誰にも分かってはもらえない。
自分は普通の人生を経験出来なかったのだから。
仕方のないことだと。

そう、何度も何度も言い聞かせて。
必死で、普通に生きようともがき、あがき、苦しみ続けた。

そう思う事に疑いが無かった、つもりでいた。
けれども、語ることすらしない苦しみに、決して他人事ではなく微笑みかけてくれる人がいることを知った。

偶然なのか必然なのか、もちろん分からないが、
その優しい人たちは、一生消えないものを負っていた。

怪我が原因だったり、病気が原因だったり、原因は様々だったけれど。

自分は、彼らと同じなのだろうか。
彼らと同じだと考えて、よいのだろうか。
自分なんかが?

考えてみよう。
精神的な傷を認められないなら、肉体的な傷に置き換えればどうか。

動悸がするのは、心から流れる血が脈打っているから。
目眩がするのは、心が貧血を起こしているから。
息が苦しいのは、心が小さな箱に収められたままだから。
熱が出るのは、心に悪い毒がまわっているから。
体が強ばるのは、心が冷やされているから。

まだ書けそうだけれど、続きは読者諸君に委ねることにする。(と、言ってみたかった)

まあ、でも、こうすることで、色々見えてきたらいいなと切に思う。

体の「障害」は目に見えるけれど、心の「障害」は目に見えない。

精神障害者という概念は、あくまでも社会福祉等を念頭に置いたものだから、心にちょっと何らかの「障害」を抱えてるだけの人間は、なかなか支援の対象にならない。

頑張っていれば頑張っているほど、本当はつらいなんてこと、分かってもらえないし。

だから、自分の抱えてる「障害」を理解し、支えてやれるのは、自分だけなんだ。

でもそれだけじゃない。

自分と同じように、「障害」を持ちながら生きている人間は、きっと相手のそれにも気づくことができる。

気づける人に、少なくとも自分はなりたいと思って生きている。

抜け殻の感情の日々も、きっと変えてゆける。
そう信じて。


【執筆者】
R さん

【プロフィール】
普通ではない家庭……に生まれ、いじめ等も経験し、生きてきました。


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1件のコメント

なんき 返信

同じような心の傷を、心の病を、心の荷物を、同じように抱えていて、自分や他人の辛さを察することのできる人は多いでしょうね。
でも彼らは私と同じではない。
同じではないけど、違うからこそ理解しようと努力できる人たちです。
他人の辛さに共感できる人は、やっぱり自身もそれなりの辛さを抱えているんですよね。

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