メンヘラというアイデンティティを手放せない

コラム 木月とき

「本当は治したくないでしょ?」

前に付き合っていた人からの一言。結構ドキっとしました。
だって、見抜いているんだもの。

改めてこんにちは。木月とき、と申します。ぼちぼちと、絵を描く創作活動をしています。 ものごころついたときから書いたり描いたりするのが好きでした。こちらに遊びに来られる多くの方のように、来る日も来る日も「死にたい」とばかり考えていた時があって、その時はメンヘラ.jpさんには大変お世話になりました。なんでしょうね、「同じような人もいるんだから頑張ろう」と気持ちを鼓舞していた訳ではないのですが、他の方の記事を読んでいると不思議と少し落ち着いていました。

ちなみに、私が好きな記事は【「死にたい」と検索したら「死んではいけません!」と言われるのが嫌だった】です。タイトルに共感したら是非読んでみてください。

ざっくりと私のメンヘラ遍歴を書き出すと、主に親との関係の影響で小学校高学年あたりから漠然と死にたいと思い始め、自傷デビューもこの辺りでしました。いい大人になってから大失恋によりかなりポンコツ化し、本気で死のうと思い、首をつる練習を毎日していました。外ヅラは意外と、いわゆる「普通」で、多分自分から言わない限り、このことはほぼ気づかれないと思います。

ついでにいうと、血はものすごく苦手です。他人の。でも自分の血を見るのはなぜか平気で、自傷している時って本当に無心なんですよね。自分の体が自分のものだと感じなくなるというか。なんとなく熱湯を腕にかけたときが一度あって、治りかけて硬くなった皮膚がめくれているときに「ゆでたじゃがいもの皮をむいてるみたいだなぁ」とか考えていました。

さて、話は戻り、私がお話したいことは、 メンヘラとアイデンティティについてです。メンヘラさは間違いなく私の一部になっています。といっても、今更そういう自分から逃げられないと言うよりも、手放したくないと言った方が正確かもしれません。正直、闇を手放してしまうと、自分の魅力も減ってしまうのではないか、と思うから。

そもそも、魅力うんぬん言う前に、長らく付き合ってきたものを手放すということは、ある意味自分が減るということで、結構怖いことだと思うのです。

もしかしたら、どこかで闇を手放したくないという人は意外と多いのではないか、と思います。きっと、少し影がある感じの雰囲気そのものが魅力的だという人もいるでしょう。衝動的でめちゃくちゃなところが魅力的だという人もいるでしょう。どこか、自分で気づいているのではないでしょうか。そういうのって、必ずしも周りの目と合致しているかと言われるとそうでもないと思いますが、ものすごく大きくはずれていることは、あまりないと思います。

私の場合、自分自身で思う、自分の魅力というのは、独特の世界の捉え方だと思っています。(とりあえずそれを表現する才能のあるなしは置いておき)別に創作どうこうの話をしなくても「なんかまだ隠し持ってる」みたいなことはよく言われます。しかも、正直、それがちょっと嬉しい自分がいます。

割と世間の考えでは精神疾患と芸術って結び付けられているな、と感じるし、冒頭の一言を言われた人に「多分、精神的に複雑な人は創造力があるんだね」みたいなことも言われたこともあります。分からなくはない考え方ですが。大げさで中二病感満載な言い方をすると、もしかしたら、色々と感じることがある中、それを表現しなければ生きていけないのかもしれません。

でも、確かに、日頃思っていることを表現できるようになる方向へ一歩進んだと思えると、なんだか人生正しい方向に進んでいる気がするのです。誰に見せるわけでないものでも、何かを残せた気がすると、安心します。

よく「創作は苦しい」と言う人がいます。私も大いに納得なのですが、私の場合、この苦しさは、死にたい感情に飲み込まれそうになるとかではなく、ただ単にうまくできない恐怖に由来するものです。まだまだだと分かっている中、自分の実力を見せつけられるというか。でも、前よりも少しうまくできるようにならないと進歩はしないから、毎回実力以上のものを出さなければならないという自分に課するプレッシャー、のような感じ。

別にただの趣味の範囲なんだし、そんなこと考えずに楽しく描けよ、というツッコミが聞こえてきますが、いかんせん、物事はとことん凝る性分でして(笑)

あと、精神的に何かを抱えていて創作をする人は、痛みを昇華するために創作をするのか、と言われると、必ずしもそんなに単純なものでもない気がします。私はやや病んでいる側かもしれないけれど、少なくとも私の創作への原動力はネガティブなものではないです。見た人がものすごく幸せな気持ちになれるような絵を描くかといえばそうでもないですが、別に病んでいる絵を描くわけでもないです。 意図的に壊れた絵を描こうとか、あからさまな闇を表現しよう、とは全く思っていません。

しかも、調子のいい時の方が創作意欲は上がります。この記事を書いている今現在は調子がいいのですが、明らかに描いている量は落ちていた時よりも今の方が上だし、インスピレーションが減ったわけでもないです。というか、本気で死にたい時は、そもそも起き上がるところまでいかないので、絵なんて描いていられないです。ただ、最近ふと気づいたのが、調子の悪い時の感情も残しておきたいので、わざわざそれを自分の中から消えないように意識しているかも、とは思います。

いろいろなパターンがあるとは思いますが、私のメンヘラのアイデンティティ化はおそらくこう言った理由です。やっぱり、ふとした時に、闇が完全になくなってしまうと、表現するものがなくなるのでは?語ることがなくなるのでは?と正直思ってしまい、結局ふりだしに戻っています。

最後に、余談ですが、このような脈絡で使われる「治す」という表現に、たまに、ものすごく違和感を覚えます。精神疾患ってとりあえずなんでもかんでも「病気」扱いされるけれど、現代人の多くが抱えているものには「ある」か「ない」か、のような白黒の世界ではなく、程度の問題であるものも、存在するんだと思うんです。「プチうつ」が甘えなんだか本物のうつなんだかが議論されたりしますが、そもそもスタート地点がなんだかずれていて、ここからここまでが病気です、という方がおかしいのではないか、と私は思います。なんだか、「治そう」と意気込むほど堂々めぐりにはまってしまうかもしれない気もします。

もちろん、過度に「死にたい」などと言ったり、自殺未遂を起こすなどして、人に迷惑をかけてはいけないことは分かっています。ただ、ある程度までは、メンヘラさをただの個性として受け入れてもいいのではないかと、思い始めました。過剰反応したり、叩き潰したり、排除したりするのではなく、いかに平和に闇と共存するか、の道を今の私は模索することにしています。

【関連記事】
・アートと精神疾患・発達障害
・メンヘラは芸術に救われるのか

 


【執筆者】
木月とき さん

【プロフィール】
透明水彩で絵を描いています。
最近は、もう少し自分の世界を広げようと思い、色々と活動中。

病んでいるときに、絵の具で遊ぶと少しだけ落ち着いていました。
絵の具の粒子感だったり、水に色が溶ける感じを眺めたりして。
手先を動かすことが好きな人には結構おすすめ。

Twitter: @tokykitsky
Instagram: tokykitsky


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2件のコメント

さがら 返信

興味深い考えをお持ちですね。
私がパッと読んだ印象では、「芸術家傾向の人は繊細だったり感性が豊かだったりするらしいので、そういう人なのかな」というまさに仰る通りな感じでした。
もはやこの書き込みも創作活動の一部なのではないかと思います。

結局、「メンヘラ」とか「うつ」とかわざわざ言わなくてもいい状態が好ましいのでしょう。
性格や気質が奇抜で変人奇人であっても、社会に溶け込んでいれば主張する必要に迫られませんしね。
その溶け込む社会も、自分の生活圏内の狭い世界でいいわけですし。
それが難しいなら、「メンヘラをやめたい」とか、「他の普通の人みたいに過ごしたい」といった願望を諦めた方がいいんじゃないでしょうか。

私は諦めて小手先の「社会人基礎力(笑)」みたいなものを覚える方向で生きてますよ。
幸いなことに学んで身に付ける能力は人並みに備わっていたようで、何とかなってますし一部で一定の評価は得ていますが、確実に変人とは思われていますね。

「普通じゃないといけないと思い込んでる病患者」を卒業すると、「普通の変わり者」になれますよ!?

返信

緩解って言葉考えた奴マジで頭いいよなぁ

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