子供の頃からの希死念慮を晴らしてくれたのは「居場所」だった

体験談 希死念慮 政宗

皆さんは「希死念慮」という言葉をご存知ですか?

お友達やご家族に心を患ってしまったお方がいる人はご存知の言葉かもしれません。

自殺願望とは違うもので、
「自殺願望の方は何かの理由で死にたい。」のに対し、
「希死念慮は理由もなくふっと死にたくなる。」のです。

僕は希死念慮の方を4〜5歳のころから患っていました。
その時から現在に至るまでの、細かい経緯の話は以下の記事で掲載されています。

「精神疾患と向き合い続けた僕が辿り着いた、たったひとつのサバイバル技術」

さて、すべての始まりはここからです。

「自分はなぜ生まれてきたのか、なぜここにいるのか、『自分』を見つめているこの意識は何者なのか?そもそも僕は存在する必要はあるのか?」

こんなことを4〜5歳の子供が考えてたわけです。
この上記の考え事が僕の希死念慮の始まりでした。

僕はこのころから何をするにも、「生とは?死とは?」と考えていました。

何かをするとき、常に「これは生と死どちらに繋がるのだろう。」と考えるようになっていたのです。

幼い頭では、「結局、生は死にしか繋がらない。」という結論しか導き出せず、僕は「いつか死ぬのであればすべて無意味だ。」と早いうちから人生を諦観するようになります。

無意味だったら生きることを深く考える必要もなくなり、それは同時に死ぬことを考えて恐れる必要もなくなるのです。

「生きることの本質が分からないのに、死ぬことの本質が分かるのか、分からないことを恐れる必要はない。」

そんなな結論に至っていました。
そんな死生観を記した記事が以下です。

「自分が存在する意味はあるのか? 精神疾患と希死念慮に向き合い続けた僕の死生観」

その死生観の影響で、僕は意味もなく、理由もなく、死を求めるようになりました。
それはもはや一つの行動規範のようなもので、歳をとるごとにこの規範は進化を続け、いつしか怪物となりました。

しかし、一つ目の記事内にも書いたように「僕はまだ生きていたい。」と心のどこかでは考えていたのです。

「生きていたい。」「死にたい。」これらの相反する考えが頭の中で両立していたのです。

そして少なくとも、僕の中では常に「死にたい。」という欲求が優位に立っていました。
毎晩、死にたくてたまらず眠れない日々が続きました。

そして中学二年の学期末に不眠、うつ病、自律神経失調症の診断が下りました。

そして高校二年の時に不眠以外は治りました。

そして短大卒業後の仕事で激務につまづき、僕は統合失調症を患いました。

ここまでは一つ目の記事に記されているので、詳細はそちらをご参照ください。

これから書くことは、20016年末から2017年末の一年間の間の物語です。
そしてこの物語のキーワードは、「居場所」です。

去年12月、僕は約8年の付き合いのある友人と、初対面のオフ会をしました。

元々、お互い音楽の趣味が合うので、相手のおすすめの横浜のライブハウスに行こうよ、というお誘いでした。

話は発展していき、「どうせならライブ前にスタジオに入って、音を出して遊んでみよう!」となりました。

そして当日。
僕はベースを持っていきました。
待ち合わせ場所についた友人もベースを持ってきていました。
二人ともベースを持ってきてしまったのです(笑)
スタジオのベースアンプは一台しかありません。

こりゃどうするか、となったところで友人が「ドラムも叩けるよ。」と言い出したのです。
そして僕が適当にベースを弾き、友人がドラムを叩くという展開になりました。
そこで驚くべき事態が待っていました。
友人がドラムを叩きながらベースにハモる鼻歌めいた歌声を歌い始めたのです。

その友人が、後に僕が所属するバンド「崖のどうぶつ園」のドラムボーカルとなります。

僕たちはそのスタジオ後に、ライブハウスに行き、閉店まで飲んでいました。
そしてライブハウスのマスターが一言、
「もうバンド組んじゃいなよ。」
そして名前のない、ベースとドラムボーカル二人編成のバンドが出来上がりました。

これが10年間停滞していた僕に与えられた新たな「居場所。」でした。
そしてバンドのオリジナル曲、2曲の原型が三月ごろに出来上がります。

ドラムボーカル氏は、自分の管理するアパート(いわゆる持ち家的なもの)に、とあるゲーム関係で知り合った友人たちを住まわせていました。

その中の一人がのちのキーボード氏です。
4月に入り、キーボード氏も誘ってスタジオ入り。

これが曲の感じがいい方に変わっていきました。
そしてキーボード氏が正式加入。

そこからは月一でスタジオに入ったりでした。

そしてある日、様々な理由から、僕は実家を離れて暮らす必要性が出てきました。
その出来事はメンヘラ.jpに投稿した以下の記事に綴られています。

「毒親の元から飛び出して一人暮らしを始め、心の平穏と自由を得た話。」

上記の記事に書いてある通り、僕はバンドメンバーたちが暮らすアパートに引っ越しをします。
バンドメンバー全員が同じアパートの住人、まるで漫画家たちを輩出したあのときわ荘です。

こうして僕はもう一つ居場所を手にしました。
そしてツテを頼りにアルバイトにも就きました。

僕は8か月の間に、バンド、職場、家という3つの居場所を手に入れたのです。

そして12月にライブデビューがが決まりました。

引っ越してからライブまでの4か月間は鬱がひどくなり、体調の山と谷がとても激しく、身動きの取れないベッドの上で、「このままでは死んでしまう。」と悟った僕は、ライブの10日前に入院をしようとします。死にたいと思っていた僕が、生きたいという欲求に突き動かされたのです。

主治医との交渉で、ライブの日だけ外泊許可を取れないかとうかがってみたところ、主治医は

「土日を挟むし、引っ越して転院してきて間もない、そう簡単にすぐに外泊許可は出せない。」

と言いました。

そして主治医はこう提案しました。

「この前出した抗うつ剤を倍に増やしましょう、そして今までやっていたみたいに、自己流の行動療法を試してみてください。政宗さんならきっと大丈夫です。あなたにはここまで工夫して生き延びてきた力がある。入院は十日以降に決めましょう。それまで、何とか工夫してみてください。大丈夫、出来る。」

僕はその励ましを信じ、そして自分の可能性を信じてみました。

翌日から僕は動かぬ体を何とか動かし、仕事を休んでいることを除くと、他はすべて健常者と同じ日常生活の行動をとりました。その結果、一日ごとに徐々に体の自由が戻ってきて、僕は一週間である程度の日常生活能力を取り戻したのです。そしてライブ2日前にはもう日常生活能力を取り戻していたのです。

これは入院しなくて大丈夫そうだな、と思い、僕は精神科の医療相談室に連絡をし、入院の予定をキャンセルしました。

念のために、すぐに主治医の診察が必要か聞いてもらったところ、主治医からは次回の診察日に来てくれればそれでいいという言葉をいただきました。

そしてライブ当日。

人生初ライブでトップバッターでした。
とても緊張したし、ミスも多かった。
でも聴いて、観てくれた人たちは皆、「よく頑張ったね。」と褒めてくれたのです。

もっと。もっともっとライブをしたい。
そんな強い欲求が芽生えてきました。

そして次のバンドが始まる頃、5分ほど僕はハコの外に一人で居る時間がありました。
ちょうどその日はハコ自体が屋内禁煙で、僕はまだ煙草を吸っていたのです。

煙を吐きながら灰皿に吸殻を捨て、背後の壁にもたれた瞬間、とても強く、心地よい疲れが襲ってきました。そしておよそ十秒ほどでしょうか、僕は眠っていました。

その間にとても長い夢を見ました。
この一年間の軌跡です。
その夢の光景を見て僕は、「色んな人たちに励まされてきて、居場所を作ってもらったなぁ。」と感慨にふけりました。

そして悟ったのです。
この5歳から25年間の間、僕は一人で希死念慮に立ち向かってきたわけではないんだと。

僕の周りには実は大勢の人たちがひしめき合っいて、僕に生きる力と居場所を分けてきてくれたんだと。

今までずっと一人だと思っていた僕は、大勢の人たちに「居場所」になってもらっていたんだ、と。

僕の命は、皆からもらった。

今、僕の手の中は、こんなにも皆からもらった多くのもので溢れている。
こんなにも輝いているものを、皆から分け与えてもらった。
今度は、僕が恩返しをする番だ。

「だから、俺は、生きるよ。」

気が付くと夢の中でそう口走っていました。

そして気配を感じハッと顔を上げると、目の前に黒い影が立っていました。

僕にはその存在が何者かすぐにわかりました。
僕の中で怪物として成長した行動規範、またの名を希死念慮。

これも統合失調症の見せる幻覚なのかもしれない。
そう思いながら僕は影に向かって語り掛けました。

「じゃあな、希死念慮君。俺は前に進むぜ。5歳からの25年間、世話になったな。」

「…。」

影がゆっくりとうなずいたような気がしました。

次の瞬間、影はすうっと消えたのです。
そして目が覚めました。

なぜだか、体と頭の重さが完全に取れていました。

そして僕は音楽の聞こえるハコの中へと入っていくのでした。

変化が完全に訪れたのは翌日からです。

朝、目が覚めた時。
あれだけ頭の中に巣くっていた希死念慮が、消えていることに気が付いたのです。

他にも変化はありました。
音楽や絵、ものの考え方。
様々な趣味に関わる自分の好みが、180度と言ってもいいくらい反転しているのです。

そのほかにも、精神疾患的感性(いわゆるメンヘラ的センス。)や、それに類するアンテナ的な感受性、センサーが消失しているのです。

性格も変わった感じがするし、あれほど病的だった強い内省的思考も出来なくなっていました。

うまく言えないけれど、どうやら僕は生まれ変わったような状態に近いらしい。

この記事でキーワードとして設定した言葉「居場所」については、僕の友人が描いたこの記事

「拝啓、居場所がないと泣いているアナタへ」

の記事を読んで、僕も居場所が出来たおかげで救われたんだな、と思ったわけです。

居場所、本当に大事だなと思いました。
時にそれは命を作り上げるということもあるのです。
上記の記事を書いた友人にLINEで希死念慮などが消え自分がガラッと変わったことなどを話したとき、こう言われました。

「政宗さんは、自分の命を作ったんだね。『悩む』で時間を犠牲にして命を錬成とかパネェわ。」と。

おかげで悩む時間も無駄ではなかった、ということが自覚できたのも大きな前進です。

ここまで来られたのは皆が居場所になってくれたおかげです。

ありがとう。

長いうえにつたない文章ですが、ここまで読んでいただきありがとうございました。


【執筆者】
政宗 さん

【プロフィール】
統合失調症を患う30歳


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1件のコメント

無名 返信

素敵なお話です。周りの人の支えに気付く部分、共感できるものがありました。

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