【書評】卒業式まで死にません(南条あや)

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メンヘラのメンヘラによるメンヘラのための本棚、名付けて「メンヘラ文庫」

なんのことはない、ただ単にメンヘラ.jpのライター達が「これぞ」と思う本を紹介していこうというだけの企画である。

 

最初の一冊は、南条あや「卒業式まで死にません」だ。ベタである。

しかし、なぜこの一冊がベタであるのか、サッパリわからない方もこの記事を読んでいると推察して、簡単にこの本の紹介をする。

「卒業式まで死にません」は、著者である南条あやがホームページに掲載していた日記の一部を掲載した本だ。この日記は、インターネット黎明期である1998年の5月から始まっている。著者は当時高校三年生であった。そして、日記は1999年3月17日で途絶えた。著者が亡くなってしまったからである。現在ではこの本の元になったホームページは消えてしまい、南条あやの日記の全文を読むことはできないが、この本で日記の後半、つまり高校三年生の冬から彼女が亡くなるまでの日記を読むことができる。

「南条あや」といえば、メンヘラっぽい感じがする。しかし、当時はメンヘラという言葉自体が今ほど広まっておらず、彼女の肩書きはリストカッターであり、ネットアイドルであり、現役女子高生であり……とにかく「メンヘラ」などではなかった。それでも、メンヘラといえば南条あや、ぐらいに思われている節がある。……あるよね?

南条あやは手首を切ったり、ODをしたり、ありとあらゆる方法で自傷行為をしていた。高校生が抱えるにはあまりにも重すぎる「死にたい」をずっとずっと持っていた。しかし、彼女はそれを、彼女自身の文才によって、あまりにも軽く、あまりにもポップに表現していた。してしまっていた。南条あやは、図らずも「メンヘラのコンテンツ化」をネット上で自ら行ったメンヘラの第一人者であり、いわばインターネット黎明期に爆誕した最初のメンヘラ神だったのではないか。南条あやは新ジャンルの開拓者だったのだ。

「卒業式まで死にません」はもう10年以上も前に出版されたものであり、内容も若干センセーショナルであったため、かなりの注目を集めた本だ。この本に関する書評や、彼女の死因、病気等についての考察はもう既にいくらでもある。私が今更「レビュー」として言えることなど無に等しい。

だから、どこにも書いていないはずの、私だけの「卒業式まで死にません」の思い出や気持ち、執着をここに残す。

 

話し相手、紙束の壁、都合のいい鏡

私が心を病み始めた15歳の頃、深夜のインターネットで南条あやと出会った。彼女はとっくに亡くなっていた。

夜が明けるまで日記を読み続けた。彼女は数時間、私の中に現れ、突然死んでいった。

書籍として販売されていることを知った私は、何故か「この本を買っておかねばならない」という強迫観念にとらわれた。休日に駆け込んだ田舎の小さな書店の文庫コーナーで、彼女は私を待っていた。

それからというもの、私のメンタルがヘラった時はほぼ毎回彼女の日記を読み返した。

南条あやはもう亡くなっていたけれど、私は彼女の日記を通して南条あやと会話をしているかのような錯覚に何度も陥った。死にたい真夜中に死にたい気持ちを、どこかを切ったことを、薬を飲みすぎたことを、誰にも言えない秘密を、私は何度もなんども彼女に話した。「卒業式まで死にません」は私にとって、話し相手であり、紙でできた壁であり、都合の良い鏡だった。

もちろん私も例に漏れず「南条あやのように、卒業式が終わったら死んでしまおう」と考えたこともあったが、すぐに南条あやの年齢を追い越してしまった。

大学入学後、初めて死にたくなった時に再びこの本を開いた時に「ああ、今や南条あやより私の方が年上になってしまったのだな」「私の憧れや決意なんていうのは、忙しさの前には簡単に揺らいでしまうのだな」と自分に失望さえ覚えたが、まあ、よくある若気の至りである。

 

「90年代後半、世紀末、東京、渋谷、女子高生」の羨ましさ

南条あやは、90年代後半、つまり20世紀末の淀んだ東京で、女子高生として存在していた。私はそれに嫉妬する。嫉妬しかできない。

私が女子高生の時は、新世紀はもう新しくなかったし、ゼロ年代が進むにつれて90年代なんてみんな忘れてしまったかのようであった。さらに、私が住んでいたのは遊ぶ場所なんてバイパス沿いにしかない田舎である。車がなければ自分の足か自転車で移動するしかない田舎である。もう、何もかもが足りない。

私は90年代後半の渋谷の女子高生になりたかった。いや、なりたい、今でもずっとなりたいと思っている。何度生まれ変われば1990年代の渋谷を歩く女子高生になれたのだろうか。しかもサブカル方面に明るい女子高生に。90年代にインターネットを自宅でできる女子高生に。テレホーダイできる女子高生に!

もちろん「あなたは次に生まれ変わった時に渋谷の女子高生になります」と言われても二度と人生なんてやり直したくないので、私はもう90年代の渋谷の女子高生にはなれないのだが、憧れは尽きない。

たとえ南条あや自身により幾重にも編集されカモフラージュされパッケージされたものであったとしても、こんなにも90年代の渋谷の女子高生の日記を読ませてくれる本は他には無いのではなかろうか。本を開いてみれば、ねこぢる、Cocco、テレホーダイ、都会に潜む偽造テレカ売りの外国人……心ときめく概念の羅列。ああ、90年代よ。私の失われた90年代よ。「卒業式まで死にません」は、私にとって90年代の追体験のための本でもあるのだ。

ところで、巻末の用語解説を見れば、90年代後半と2016年ではメンタルクリニックで出される薬に大きな違いは無いことがわかる。例えばハルシオンもでパスもソラナックスも現在普通に飲まれているし、個人的にレキソタンは今めちゃくちゃ欲しい。さすがにリタリンなどはかなり強く規制されるようになったので「リタリンください」などと言おうものならおそらく要注意人物になってしまうだろう。メンヘラ用の医療はこの十数年でどのように変わったか、この本を読んで肌で感じてみるのもいいかもしれない。

 

よいこは真似しないでください

この本に書いてあることは、実は「良い子は真似しないでください」の類のことが多い。だからこそセンセーショナルで、面白くて、嘘みたいで、でも本当にあるかもしれない日常として注目を集めたのだ。

そして良い子にはできないことをやってのけたのが、この南条あやであった。彼女はかなり稀な人間だったのだ。だからこそ、彼女とこの日記を尊いと思う。

繰り返し書くが、南条あやは自らメンヘラを名乗ってはいなかった。けれど、なぜか思春期の私は彼女の行動を無意識に模倣してしまい、結果的にメンタルのヘルが極まった気がする(何を模倣したとかは話したくない。黒歴史である)。徒然草の85段を思い出す。どういうことかというと、「やばい人の真似をする人はやばい」みたいなことである。詳しく知りたい方は徒然草を読んで欲しい。

結局、私はそこらじゅうにいるどうしようもなく普通でラッキーな「よいこ」の一人である。だから今のうのうと生きていられる。だから本が読める。こんなことも書ける。

そういうことで、「卒業式まで死にません」を読んだあなた、決して真似しないでくださいね。

 

「メンヘラ文庫」第一弾は、090がお送りいたしました。

メンヘラ文庫シリーズは今後も続きます。みなさまの心の一冊と心情吐露、是非お待ちしておりますね。
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会社員時代の自殺が未遂に終わり、いろんな意味で「サービスで生きてる」無職。生きてる以上、楽にやっていきたい。少しでも死にたい人のお役に立てればと思います。

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