あなたに認めてほしかった、私の承認欲求の暴走

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2016年現在、web上で頻繁に飛び交っている「承認欲求」という言葉。
あまりにも普及しすぎたこの言葉は、多くの場合「たくさんの人にチヤホヤされたい、かまってもらいたいという気持ち」ぐらいの意味で使われている。承認欲求という言葉には、それを持つ者を揶揄するような響きすら感じられる。

 

しかし、本来、承認欲求とはどんな人にもある自然な欲求であり、それを満たすことには何のおかしさも奇妙さもない。人には「認められたい」「尊重されたい」という欲求があることは、もう何十年も前に提唱されている。

 

さらに、Wikipediaによれば、誰に・どのように認められたいのかによって、承認欲求のタイプは分かれるらしい。自分に自分を認められたい、他者に自分を認められたい。他人よりも優位であると認められたい、他人と対等であると認められたい、他人よりも劣っていると認められたい。その欲求の形は様々だ。ちなみに、web上で飛び交う「承認欲求」の形は、「より多くの他者に・私は他人よりも優れている(或いは、人並みに優れている)と認められたい」タイプに近いと思う。

 

そして、承認欲求というのは、「私」と「大衆」の間だけで発生するものではない。もっともっと狭い範囲に発生することもままある。

 

例えば、「私」と「あなた」との間だ。

 

私の場合、そこに生まれた承認欲求はほとんど執着として存在し、膨らみ続けた。結果、「あなた」ただ一人に向けられた「私」の承認欲求は満たされず、自爆した。承認欲求の危険な使い方をしてしまっていたからである。

 

 

■「私は頑張ってると思う?」

就活中に迎えた5月。私は既に身も心もズタボロだった。

それでも、将来は自分だけで自分を養えるようにならなければいけないという謎の義務感に駆られて、就職活動を無理矢理続けていた。

 
そんな折、当時付き合っていた彼に、
 

「ねえ、私頑張ってると思う?」
 

と、なんとなく訊いてみた。今思えば、なんて軽率に馬鹿な質問をしたのだろう。
 
私は当然のように「就活大変なのによく頑張ってるね」「辛そうなのに頑張ってて偉いね」というような、優しい答えが返ってくると心のどこかで思っていた。甘えさせてくれるだろうと思っていた。
でも、違った。実際の彼の答えはこうだった。

 

「あなたを頑張ってると思う人は、いると思うよ」

 

当時付き合っていた彼は、思ってもいないことは絶対に言えない人間だった。私は彼のそういうところを信頼していた。だから、その一言で彼の考えがわかってしまった。
 
「僕はあなたが頑張っているとは思っていない。けれど、あなたが頑張っていると思う人はどこかにいると思うよ」
 
これが、彼の真意だ。

 

 

■怒りと執着と承認欲求

私は困惑した。不満が疑問の形をして口を突いて出た。

 
「私が頑張ってないって思ってるってこと?じゃあ、どうしたら頑張ってるって思うの?」
「どうって……。例えばAさんみたいに、血の滲むような努力をして……」
 

Aさんは私の同期で、誰もが名前を知っているような大手の企業から既に内定をもらっていた。Aさんがすごく頑張っていることは私も知っていたし、めちゃくちゃいい人だし、彼女が内定をもらったと聞いた時は私もすごく嬉しかった。ただただAさんはすごいなあ、えらいなあと思った。

 

でも、AさんはAさんで私は私でしょ?なんで比べた?
どうして目の前にいる私のことを全然考えてくれないの?
私が頑張ってないってどういうこと?あなたの言う努力って何?
「血の滲むような努力」ってどういうこと?血が滲めばいいなら腕でも切ろうか。
結果が出てないからそういうこと言うの?結果は私が決めることじゃないのに。

 

将来自分を養うために、心も体もボロボロにして、夜行バスで説明会や面接に行き、ありもしない長所を捻り出し、10くらいの良性エピソードを300くらいに膨らませて、手書きなのに修正ペン禁止の履歴書を書き、拘束衣としか思えないスーツを汚さないように皺にならないように着て、どっかに引っ掛けりゃすぐ穴が開くストッキングを履き、まとまらない髪をまとめ、前髪を無理やり後ろから持ってきて作り、笑って、嘘ついて、見栄を張って、盛って、思ってもないことを平然と言えるようになって……。

 

これがあなたには努力に見えないのなら、私のしてることはどう見えているのだろう。
賽の河原の石積みか、穴を掘っては埋める作業か。それとも社会的お遊戯会だろうか。

 

その夜、私はいつものように就活情報サイトを見て、エントリーシートを書いて、テスト対策をして、面接対策をして、インターネットをしていた。

 

気がつくと、時刻は午前3時を過ぎていた。水を飲もうと座椅子から立ち上がって床に目をやると、そこらじゅうに髪の毛が落ちていた。髪を抜く癖は以前からあったけれど、これは完全に異常な量だと思った。指先は力を入れすぎたせいかヒリヒリしていた。

 

そっと頭に手をやると、後頭部の毛が明らかに少ない。合わせ鏡で確認すると、直径10cmほど、髪の毛がまばらになっている部分があった。
就活中の女子学生の後ろ姿には、あまりにも相応しくないビジュアルだった。慌てて、ヒリヒリした人さし指と親指で髪の毛を一本に束ねてみた。毛がまばらな部分は、他の部分の髪の毛で覆い隠せるようだったので、私は安堵した。

 

どうして私はこんなことをしたのだろう。考えてみてもよくわからない。
その代わりかはわからないけれど、彼に対する怒りにも似た考えが湧いてきた。

 

私がこんなに辛いって、どうしてあなたは認めてくれないんだろう。もっとボロボロにならないと、私の苦痛は認められないんだろうか。私の苦痛は存在しないことになるのだろうか。

もう「頑張ってる」じゃなくてもいいし「努力してる」じゃなくていい。

 

私が死ぬほど辛いってことを絶対あなたに承認させてやる。

 

 

■結果が出ても満たされない地獄

執念のような承認欲求を抱えながら、私は自傷行為のような就職活動を続けた。すると、夏が来る前には内定をもらえた。

 

親も友人も、そして当時付き合っていた彼も、私を祝福してくれた。
おめでとう、よかったね、あなたなら絶対大丈夫だと思ってた。
どんなに温かい言葉を受けても、プレゼントをもらっても、ご飯を奢ってもらっても、何故か心の底から喜べなかった。

 

内定後の面談では、人事担当者からの手厚いフィードバックが行われ、私は自分では気づきもしなかった自らの長所をいくつもいくつも挙げられ、褒められ、あなたに期待していますと言われた。
私は、社会的に上の立場の人たちから大きな承認を得たのだ。それでも、私の承認欲求は満たされなかった。

 

私が承認して欲しかった相手は、目上の立場の誰かではなく、当時付き合っていた彼、ただ一人だった。私が承認して欲しかったことは、私がいかに素晴らしく有望な人材かなんてことじゃなくて、私がどんなに辛い思いをしていたかということだった。

 

彼に承認されることに執着し続けた私の欲求は、満たされないまま月日が過ぎた。
社会に出る頃には、私の承認欲求は制御不能なほど大きくなって、私自身を喰い殺そうとしていたのだが、その話はまた今度。

 

 

■承認欲求の危ない使い方

こうして、私から彼に向けた承認欲求を振り返ってみると、いくら当時の私が切羽詰まっていたとしても、あまりにも的外れな感情であったことに気づく。
 

まず、自分の感情ぐらい自分で認めてやればよかったのだ。

私が辛い思いをしていることに、誰かの承認なんて必要だろうか。自分の気持ちなんて自分だけがわかっていれば十分だ。命と心は他人と共有できないのだから。

そして、ただ一人に承認されたいという状態の不健全さが浮き彫りになっている。「この人に承認されればそれでよい」ということは、「この人に承認されなければ意味がない」の裏返しでもある。

もちろん、ただ一人の尊敬すべき人に認められたいという理由で成長する人はたくさんいるだろうし、それで良い成果が得られたり、良い気持ちになれるなら素晴らしいと思う。
しかし、ただ一人の評価に振り回されて、自分自身が傷ついてしまっては、元も子もない。これは承認欲求の危ない使い方だと思う。

 

もしあなたが今、誰かに自分のことを認めさせたい気持ちを抱えているなら、次の2つのことをチェックしてほしい。

 

1.認めてほしいことは、本当に他人にわかるようなことなのか。自分で認めてやるわけにはいかないのか。
 
2.認めてもらうことに執着して、誰かに振り回され、自分が傷ついてはいないか。

 

承認欲求は使い方によってはとても良いものである。でも、使い方を間違えると人生レベルで潰れてしまうこともある。
 

だから、もしあなたが危ない承認欲求を抱えているなら、一度手放してみてほしい。
 

そして、自分で自分を承認できるまで、ゆっくり休んでほしい。




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会社員時代の自殺が未遂に終わり、いろんな意味で「サービスで生きてる」無職。生きてる以上、楽にやっていきたい。少しでも死にたい人のお役に立てればと思います。

2 件のコメント

  1. 猫丸 返信

    低学年の児童が両親に抱くソレも当の児童本人は気づいていないでしょうが同様の事なのでしょうね

    承認欲求を拗らせている方は幼少期に幼少期に一番近しい肉親から得られなかった若しくはその感情を反故にされた事が根本にあると感じております
    (ソースは私)

  2. ちびっこ 返信

    読んだら涙がとまりませんでした。
    自分で自分を承認したらいい。本当にそうだ。してあげたから認めてほしいそう思っていた。
    でも、まだ苦しい……

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