人前に出るのが怖い

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本稿は読者投稿コーナーに応募してくれた方からの原稿です。


人前に出るのが怖い。

多くの人達には、人前で緊張した経験が人生に一度はあると思う。
私もまたその一人である。但し私の場合、人前に出ると動悸が収まらなくなり、顔は赤らみ、喉が閉まって声は出なくなり、最悪の場合嘔吐する。

私は人前に出ることを、人目に晒されることを、とても恐ろしく感じている。

 

■人前に出るとどうなるのか

私の場合、正確には「人目に晒されると」その瞬間から顔がひきつる。間もなく動悸が始まり、ドクンドクンと音が響いてくる。顔はひきつるだけに留まらず、熱を帯びて真っ赤に染まっていく。喋らなければと口を開くが、喉がぎゅうと閉まって声が出なくなる。頭の中で鐘が鳴っているかのような頭痛が生じ、意識や記憶も怪しくなっていく。そして最悪の場合、その場で嘔吐してしまう。

「皆が私を見ている」「皆、私のこと○○だと思って笑っているんだろうな」などと考える余裕もない。ただ、人目が此方を向いている状況下に置かれた瞬間、動悸が警告音のように身体に響いていく。

私の場合、これらの症状は、発表や面談、自己紹介の場面など実際に人前に立つ場面に留まらず、人目に晒されることを意識した時点で生じてしまう。

正直に言ってしまえば、いまこうして人目に晒される可能性のある原稿を綴っている時点で、動悸が止まらなくなっている。

 

■いつから人前に出ることが怖かったのか

少なくとも幼児の頃から、人前で名前を呼ばれて返事することが苦手だったと親は言う。名前を呼ばれる→返事する、を嫌がって辞めた習い事もある。

生まれてからたった数年後の時点で人前を嫌がっていたということは、つまり、私には元々その性質があるということだと考えられる。

■どうして人前に出ることが怖くなってしまったのか

人前を嫌がる性質を生来有していることは先述のとおりだが、原因はそれだけではないと思っている。

恥ずかしながら申し上げるが、私は度を超えた運動音痴である。

運動音痴が学校で受ける待遇は、決して良いものではない。何故なら運動音痴故に、クラスメイトの足を否応なく引っ張ってしまうからだ。
日常の体育の授業から皆が大好きな運動会の時間に至るまで、私はクラスメイトの足手まといとなった。
聡いクラスメイト達は、私をあからさまに虐めるような真似はしなかった。代わりに、わたしが人前に出ると、嘲笑するようになっていった。

座学の授業で音読を促されたとき。問題を解くよう求められたとき。音楽の授業の発表の時間。体育の授業で課題をこなさなければならないとき。クラスメイトの皆は、私を嗤った。嗤い続けた。

小学校から中学校にあがっても、変わらなかった。体育の補修を受け、運動塾に通っても、私の運動音痴は改善しなかった。私は皆のお荷物であり、その結果として嘲笑を受ける。それは私が悪いのだから仕方ないと、甘んじて受け続けた。

その頃には、自分があがり症ではないかと疑っていた。治さなければならないと考えた私は、インターネットで調べ、あえて不安な状況に自分の身を晒す治療法を知った。躍起になった私は、あえて人前に出なければならない生徒会に参加することにした。その分を弁えない奇抜な行動が、クラスメイトどころか同学年や下級生の嘲笑も招いてしまった。私が何をしても、何を言っても、皆の嘲笑いは止まらなかった。

ある日、いつもどおり嘲笑を受けていた私は、大勢の生徒の前で嘔吐した。その次の日から、学校に行けなくなった。

何故私は過度に人前を恐れるのか。それは、私の生来の性質を、このような学校での経験が悪化させてしまったのだと考えている。

 

■被害妄想ではないのか

私が皆に嗤われているというのは、被害妄想なのではないかと考えていた時期もある。
嗤われるだけの理由はあるにしろ、そこまで酷いものではないのではないか、私は可哀想ぶりたいだけなのではないかと悩んだこともある。

しかし、中学を卒業した数年後、私の元に一通のメッセージが届いた。
そこには当たり障りのない文章と共に、「中学のとき、みんなで貴女に意地悪をしてごめんなさい」と綴られていた。

この一通のメッセージは、私が嘲笑を受けていた証拠になりうると思う。

 

■それでも人前に出なければならない

以上のように、人前を過度に恐れている私だけれども、それでも人前に出なければならないことは痛感している。

何故なら、私は人間だ。出来が悪くいつも皆の足手まといになってしまうけれど、それでも人間として生を受けた以上、人間社会で生きていかなければならない。一生引きこもって生きていけるような資産もない。もちろん死ぬ勇気だってない。よって社会に出て、働いてお金を稼がなければならない。即ち、人目に晒されることは避けられないのである。

生きるためには、働かなければならない。しかし、無職となり引きこもっていた私には、一般企業での就労は色んな意味で難しいだろう。
よって直近の目標として、就労継続支援事業所へ通おうと考えている。

抑うつ状態が酷かった頃は、お手洗いに行くことすら億劫なほど身動きがとれず、ベッドで横たわってばかりいた。しかし投薬治療を続けた結果、こうしてインターネットができるくらいまで回復し、日常生活もこなせるようになってきた。人目に慣れるため、気合を入れて近所へ買い物に出かけることもある。

私は就労継続支援事業所で、まずは体力と最低限の能力を養い、それから一般企業への就労を目指すなりなんなりしたいと思う。

自分で労働し、少しでもお金を頂くこと、つまり生きるために労働するのが私の直近の目標である。

 

■この原稿を書いた理由

最初の方に述べたように、この原稿を書いている時点で私には動悸が起きているし、数回泣いている。この原稿を私以外の誰かが読むかもしれないと考えると、視界が白んで頭がくらくらしてしまう。

それでもこの原稿を書いたのは、人目に晒されることで生まれる恐怖心をどうにか乗り越えたいという思いがあるからだ。

先日、メンヘラ.jpには読者投稿のコーナーがあると知った。そこに掲載してもらえたら、私の原稿が人目に晒されることになる。掲載されなくとも、編集の方一人の目には晒されることになる。私は人目に晒されている自分を想定し、その状況に耐えたい。その思いから、この原稿を書いて送信した。

私の状態を誰かに知らせたい、などと恐れ多いことを考えてこの原稿を書いたのではない。誰かのために何かしたいだなんておこがましいことを考えたのでもない。人目に晒される状態に慣れたいという、ごく私的な感情がきっかけである。
それでもこの原稿が、どなたかの何かになったのならば幸いに思う。

最後までご覧頂きありがとうございました。

 


【投稿者】
どこかのだれか さん

【プロフィール】
どこかにいる誰かです。
(※注:広汎性発達障害、うつ病、不安障害との診断を受けています。)




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