妹の自殺。自死遺族の嘆き。

体験談 自殺 自死遺族 ハジ

妹が死んだ。首を吊っていた。


妹と一口に言っても筆者の年齢によっては高齢って場合もあるだろうが、残念ながら僕は23歳だ。大学4年生の夏休み。妹は浪人中の18歳で自殺を選んだのだ。


よくテレビなんかで大事故のニュースがあったり、また明日ねって分かれて曲がった角の先で誰かが攫われたりしては、今朝までは元気だったのになんでって言う。


僕は自殺なんかはそれに含まれないと思ってた。だって僕は高校生の頃如実に成績が下がって段々元気なくなって静かになっていって静かに自殺未遂のつもりだったオーバードーズによる錯乱でバレて病院に運ばれてたし。


だけど妹は傍目から見れば元気だった。浪人つらいなしにたいなとはよく言っていたし、高校生見るの嫌だなどと言っていたけど、鬱病的なものではなく、女の子特有(?)の軽いノリで言っていたように思ったので大して気にかけていなかった。ただ浪人の辛さは僕も知っていたから、どうしたら寂しさが減るかとかをよく話してた。「死にたい」って漢字で言ってきたらもっと気にしただろうけど、妹は頑なに「しにたい」と顔文字付きで愉快に話しかけてきた。僕もわかるわーなんて答えてね。


夏休み、僕は実家に帰っていて、実家ライフを楽しんでいた。妹はその日の朝もいつもと変わらない笑顔でいた。車を運転したい盛りの僕は片道40分程度の母の仕事場まで運転することになっていたので今日も走るぜ!などとその日はテンションが高かった。朝ごはんを食べてから出かけようとすると、二階に上がりながら妹が言った。「お昼帰ってくるなら勉強してるから飯はないと思えよ!」「えーじゃあ帰んねえ!」これが僕と妹の最期の会話だった。


母の仕事場は僕の実家周辺よりも栄えた(とは言っても寂れた)地方都市で、ポケストップの量に困らなかった。更に少し車を出せばレアポケモンが出るって噂の公園もあって、ずっとポケGOしてた。


もうすっげーポケGOしてたよ。2日前までスマホ古くてできなかったんだもん嬉しくてさ。


ブックオフも行ったな。欲しかった漫画と、僕も妹も好きなバンドのCDがあったから買って、車でそのCDを聞きながら移動を繰り返してた。きっとこのCD妹も気に入るなーいいの買ったなーってにこにこ。そうだ明日妹をカラオケに誘おうわくわく。駐車場に車を置いてとことこ歩いてポケストくるくる。


妹の悩みも苦しみも思いつきも知らないで楽しんでいた。


夕方になって母を迎えに行き、CDを流したままにしていたらなんだかテンションが異常に上がって異様に饒舌になった。あれが虫の報せってやつだったんだろうか。躁鬱病の診断はされてないけど、今思えば軽躁状態。


母もつられて面白くなってきたのか、気になってたけど通った事のない道で帰ろうかと提案してきて、すぐ賛同。迷ってしまって、道中止まらない取り留めのない会話をしながら普通よりも断然時間をかけて帰った。途中で母は寂しがりやの妹のために、「もうすぐ帰るよ」とショートメールを打っていた。


それが妹により開かれることはなかった。


家に着いたけど、僕は普段運転しないから駐車が下手クソだ。見られてると緊張するし、母には先に降りてもらって四苦八苦。やっと駐車できたぜと満足感に浸りながら車から出ると、開けっ放しの二階のベランダの窓からなにやら母の大きい声。いつも明るい母さんだから、妹になんか言われたのかな、どうしたのかなーってふわふわと家に入ると、聞こえ続ける母の叫び声。ようやく「大きな声」ではなく「叫び声」であったと気付いた。


「早く!早く来て!救急車呼んで!!」


僕はもちろん混乱だ。とにかく二段飛ばしで声の元である二階に走って、何度も言われた。救急車、救急車と。クローゼットの扉が開いていて入り口から隠れるあたりに母がいた。まだ叫び続けてて妹が、妹が、と言っている。分からない何が起きてるんだ。意識が白濁していきそうだったけど、救急車救急車と叫び続ける母さんの声でとにかく電話の子機を取りに一階に走った。


119に救急ですと怒鳴った。でも僕も何がなんだか分からない。母さん妹どうしたの!聞くと首を吊ってる!と答えられた。119に首吊りですともう一度怒鳴った。何か色々聞かれてるけど言葉が受話器から落ちてく。なんもわかんねぇの。住所を何度も聞かれてるとやっと気付いて言う。誰が首吊りなのか言う。


すぐ向かってます落ち着いてください近くなのですぐ着きますああああああ早く来てくれどうでもいいからなんでもいいから来てくれえええええ


電話を終えてようやく正面から見た。クローゼットの取っ手の部分に妹が下がってた。きゅっと妹の首を包み顔を膨張させてる結ばれたタオル。そんなに噛んだら痛いだろってぐらい前歯で圧縮されてる舌。母さんが必死にタオルを外そうとしてるのにその妹の身体があまりに揺れなくて、真夏だってのに氷みたいに冷たくて、3年前に病死した父の身体を思い出した僕は声を震わせながら「母さん、脈確かめた?これ、もう…」人間信じられない事実に直面すると”人”って認識できなくて”これ”って物体に変わるんだな、驚いた。


僕は何をすればいいか何も分からなかったけどタオルの結び目を解くよりも切ったほうが早いだろと自分の部屋からナイフを取ってきた。早く外せよ!ほら! もうすぐ、もう解けるから! 解けた。


ごとん。


いや、ごとんって。人形かよ。足の形も手の形も、人間が従わざるを得ないはずの重力の法則を無視して硬直してる。


あ、これ、もうダメだ。わけは分からないけどそれだけは分かった。もうダメなんだ。


母は冷たい妹の身体を温めようと必死に身体をさすって名前を呼んでいる。いや、ハハハ、これもうダメだろ。ああでも希望があるとするなら蘇生法は違うよ胸骨圧迫と人工呼吸だよ!ふざけんなよどけ!


僕はなんだか学校で習った覚えのある胸骨圧迫をした。硬かった。練習用人形より硬くてあああほんとダメじゃんこれって笑いそうになった。人工呼吸もした。顎を上げさせて気道確保、鼻も塞いで息が入ったことを確かめる。いや、入らない。頬が膨らむすらしない。舌がもう気道を塞いでるって直感してあああ違うよおまえ口開けろよって無理矢理舌を噛んでる口を開かせようとしたけどダメで、もう一度息を吹き込んでみた。しゅーっと入った音がして、もう一度試した。は、なんか酸っぱい、黄色い液体が歯の脇から上がってきていた。


もう一度胸骨圧迫に戻って何事か叫んでいると、妹の身体をさすり続ける母も心臓マッサージと人工呼吸という概念を思い出だしたらしく、あ、あ、人工呼吸!と言いながら顎も上げず鼻も塞がず思い切り息を吹き込んだ。鼻からさっきの黄色い液体がどぼーっと出てきてあとのほうには血のような赤みも混じっていた。やり方がちげーよバカ!と怒鳴って人工呼吸を僕がするとさっきは上がっていた程度だった黄色い液体が口からこぼれるほど出てああこれもダメなんだって諦めた。


サイレンの音が聞こえて、僕の家は少し入り組んだところにあるから分からないかもしれない案内しないといけないと思って母に胸骨圧迫を強要して家の外に出た。必死に手を振って走って案内するとイメージしてたお医者さんと何故か消防士さんみたいな人がばーっと出てきた。二階です!二階行ったら母がいます!どたどたと入っていくレスキュー隊。追いかける僕。彼らの一言目は「あぁ、固まってるなぁ」という悲観に満ちた声。そうだよねやっぱりねおれ知ってたよ。手はがくがくおかしいぐらいに震えてるけどああそうだよね。


ここは任せてくださいと一階に追いやられて、少し離れて暮らす兄に電話した。留守電に「妹が首を吊って死んじゃったかもしれません。早く帰ってきてください」と入れたことを覚えてる。台所に行ったら妹が作ったらしい家族用のウーロン茶が置かれていた。


その間二階で何があったかは知らないけど、少ししたらレスキュー隊員たちはゆっくり降りてきた。兄に電話をしてすぐだったから電話を持ったままだった僕の手はわざとかよってぐらい震えてた。


ほとんどのレスキュー隊員はおれに目を向けずに帰っていった。最後の一人だけ無言で悲しそうにお辞儀をしてくれて、あぁ、いや、そうだよなと思った。手はがくがくだけど涙は出ていなかった。いつも明るい母が泣いていたからかもしれない。


あとから降りてきたお医者さんが、完全に死亡している方は救急車に乗せられない決まりなんです、ごめんなさい、ご愁傷様です。これから警察が来て実況見分に来ます。ご了承ください。この度は本当にご愁傷様でした、と、悲しそうに落ち着いて話してくれた。母はずっと泣いていて僕がずっと代表みたいに返事をしていた。兄から電話がかかってきて、冷静に妹が死んだ事を伝えて、兄も冷静に職場に連絡してすぐ行くといってくれた。


それから来た警察はたぶん色々写真を撮ってた。妹の部屋に遺書がないかなども確認したらしい。


妹の最近の状況などを聴取した警察は女の人ですごく優しかった。僕は一人暮らしでいつもは妹と離れて暮らしていたけれど、母よりも僕のほうが妹の「つらいしにたい」気持ちを聞いていたらしく、いつも明るくて強い母の代わりにつよくつよく居なきゃいけないと思ってしっかり聴取に応じ


女の人が少しリビングから出て妹の顔にかけるタオルが欲しいと言うから、母が泣き続けるリビングから出ると、「この件は自殺という可能性が極めて高いです。その場合、いちばん怖いのは、後追いです。あなたは気丈にしているので、お母さんのことを気にかけてあげてください」そう言った。正直あの様子の母の事は見たことがなかったから、僕も後追いは怖かった。返事をすると、「あなたもおつらいでしょうから、無理なさらないでくださいね」と言われて、ここまで事務的に頑張っていたのにいきなり人の情を感じて泣いた。やっと初めて涙が出た。リビングに戻るときには無理矢理ひっこめた。母がこの辺に妹いるよねなんて空を指差して泣きながら笑ってるから。


どうしたらいいかなんて分かんなくてああ確かハグってストレス解消にいいよねって雑な思いつきで母さんを抱きしめた。わかんないけど俺はここにいるよ、これ俺だからねって。母さんはここに生きてるんだよって。俺も生きてるよって。母さんもちゃんと力入れてこっち抱きしめてって言ってやっと返してくれた。


そうこうしてるうちに兄が来てくれて、兄の手と母の手を重ねさせて、これ兄ちゃんだよ、生きてるよここに居るよっていうのを何度も繰り返した。もしかしたら泣き続ける母より泣きそうな顔で涙を流さずにそうしている僕のほうが狂人じみていたかもしれない。女の人にはどう映ったんだろう。


兄が来てから、母の了承を取って、親戚に電話した。「妹が、首を吊って死にました。今うちに来られてもどうしようもありませんが、近々葬儀をするのでまた連絡します」って事務的に。おばと、おじに言ったんだけど、そう言えば電話したとき兄も言ったけど、まず嘘だろ?って言うのね。俺も嘘だと思いたかったよ。なんだよ。俺がお昼に飯なくても帰ってきたらお前は死んでなかったのか?


二階で家捜しをしてた警察が、妹の部屋にあったという本を持ってきた。今辛い君へとかそんな感じのありふれた自己啓発本だったと思う。その中に、妹がセンター試験前日に、未来の自分へ宛てたらしい手紙が出てきた。それには腕を切ってごめんねだとか、本当にばかだよねだとか、未来の君が傷跡のせいで生きづらくなってないといい。でも今の私はこうしないと生きれなかったから本当にごめんだとか、自傷常習者だった僕の胸も痛むような手紙だった。ついでに腕を切る自分のイラストも2枚ほど出てきて、実際妹の腕には生傷があったことを教えてくれた。


自殺を仄めかすようなことを言われたことはあるかと聞かれて、僕は実家に帰る直前にしていたスカイプのチャットでそんなことをたくさん言われていたことを思い出して、画面を見せた。それを警察がリビングで撮影したから、母が泣きながらそんなものに何の意味があるんですかと言って目を腫らしていた。明るくて強いお母さん。どこいった。


その後どこかの医者が来て死亡診断書を書いた。死亡推定時刻は午後2時頃。人生、おしまい。


しばらくして母方の祖父母といとこが来てくれた。その日は祖父の誕生日パーティだったから下戸のいとこが運転してくれたらしい。来ても来なくてもいいって言ったけど、来てくれて本当によかった。


つらいよねって寄り添うのが正解だったんかなあれでも俺つらいけどどうしようみんなつらいし寄り添ってもらえないじゃんあれなんか妹が死んだのって俺のせい?泣きたいけど泣けない泣くけど泣いたらバチが当たりそうな気がする俺のせいだから?急に精神が孤立した。


母と兄と祖父母、おばが死に顔を見に行って、座りが悪そうにしてる従兄弟とリビングに残った。運転してくれてありがとうってことと、今死に顔を見ない選択をしたのは正解だと思うってことを、どうしようもなくて壊れたみたいに笑いながら伝えた。


この話には登場させなかったけど、うちには室内犬がいるから、そいつが不安がらないようにかまってやってと頼んだ。僕は何故だか究極に孤立してしまった。精神が。


妹と同じ部屋で寝ると言う母のために、祖母が同じ部屋で寝てくれた。同じ部屋でふたりきりになって、後を追われては困るから。無理矢理横にならせて、兄とこれからの話とかをした。


3年前の父の葬儀の経験があるから、兄はぎこちないながらもほとんどの仕事をしてくれた。僕はどうしたらいいか分からなくて犬を愛でたりひたすら自責をしていた。


もし朝に明日カラオケ行こうって言えてたら違ったのかなメールしたらみてくれてたのかな。こないだ一緒に行ったときすごい楽しいまた行こうってお前から言ってくれたよな。


葬式には想定以上にたくさんの人が来てくれた。”心臓発作で急死したまだ若い子”のためにたくさんの人の心に傷がついたと思うが、”首吊り自殺で死んだ”妹のために僕の心も完全に化膿していた。


お母さんを支えてあげてね。色んな人が言う。妹の友達と昔ときどき遊んでいたから、懐かしい顔もある。ああみんな、生きてるのに、なんで妹は死んだんだ。俺があの日帰ってたらお前は死ななかったのか?俺がもっと話を聞いてやれば、まだ道を選べたのか?


あれから4ヶ月が経ってる。それでも僕は未だにふと思い出しては泣いている。今日も辛すぎて3時間ぶっ続けでこの文章を書いていた。


特に夜なんかはひどい。人に会う予定もないからぐずぐずに泣いてしまう。


僕は正直なところ、死ぬ時は自分で決めたいと思っていた。死ぬときを決められるという逃げ道を持つことで、日々を生き抜いてきたのだ。


でもその退路も妹により塞がれた。


生きてることが辛い死にたい方はたくさんいると思う。僕も正直逃げ道もないしもう死にたいと思った。


だけど僕がもし、もしもだぞ、もし自殺したら何人の心をめった刺しにすることになるんだろう。幸か不幸か知り合いだけは多い僕は、何人の心を化膿させてしまう恐れがあるのだろう?逆に知り合いも友達も居ない人のために、罪悪感過多な僕はしっかりとその死を悼もうと思っている。


生きてることは正直辛いことだらけだ。それで嫌なら、ポーズボタンを押せばいい。例えば大学生なら休学だし、イジメがつらいなら登校しなきゃいいし、学業が不安ならフリースクールもある。


ニンテンドーの64で無印のスマブラやると、真ん中の赤いSTARTボタンでポーズするよね。人生を始めるためのボタンってどこかにあったと思うんだ。64通じない世代居そうだけどゲームあんまりやらなくて他の例が思いつかなかったんだごめんな。


月並みだけど、生きてたらなんとかなることだけはいつでも思い出してほしい。


妹は頭が良かったから医学部目指してて、でもそこまで良くない頭への期待の重圧に潰れたんだ。


狂言自殺を繰り返して本当に死んじゃうなんて昔の作家みたい。何回も首吊りごっこで済んでたみたいだった。


23歳、腕や肩の傷跡は隠して生きている。意外と、大丈夫だって。なんとかなるんだよ。人はそれほどきみのこと気にしてないんだ。大丈夫。


思っている以上に道はある。逃げ道なくしたなんて言ったけど、いざとなったら吾妻ひでおの失踪日記みたいに一丁かましてやろう


死ねなくなった僕の見つけた逃げ道は失踪だ。


まだそのコマンドを使う予定はないけれど、僕は自殺しないで失踪しようと思う。


なんとか生きぬいてやろう。


僕は自責から来た罪を清算しなければいけないから生きるよ。


自死を考えてしまう若い子たちは、とりあえず成年してさ、一緒に酒でも酌み交わそう。なんかうまい飯を食おう。盛り上げとか知らない好き勝手なカラオケをしよう。おすすめのマンガでも語り合おう。まだこれからだよ。


僕より年上の方は、呼んでくれたらできる限り動くからさ、なんか遊ぼう。スマブラしたりマンガ読んだり昔の無駄な時間の使い方をしよう。


一瞬でも多く笑えるように、長く笑っていけるように。年上ったって、まだこれからだ。


生きていれば常に先があるからすごいんだよ。


最後に、趣味で書いていた詩の一節で締めようと思う


「十月十日の日を超えた


母の痛みの責任分だけ


ぼくらは生きなければならない」


長々とすみません。


ありがとうございました。

 


【執筆者】
ハジ さん

【プロフィール】

どこかの美大生。23歳性別不詳。

twitter :@waterChroma


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51件のコメント

ゆま 返信

突然のコメント、申し訳ありません。
私も高1になりたての際、血縁関係のない父親を自死で喪いました。

自宅から遠く離れた山の中で、誰にも知られずにひっそりと父は死にました。見つかったのは死亡推定時刻から2日後、母の誕生日の前日でした。

葬式後は何もかもわからなくて、家族内で八つ当たりの喧嘩が増え、まだ高1だった私は家から逃げるように部活に打ち込み、帰宅は遅い時間でした。
妹や母、祖父母に任せても直らなく、これではダメだと思って関係の修復に勤め、何とか戻ったと思った時私が壊れてました。

父が亡くなった時間帯、私は父に連絡を取ろうと思ってました。
母や祖母に、携帯の電源入ってないから連絡が取れないといった旨のことを伝えられ、じゃあいっかと連絡しなかったことを貴方と同じように後悔しています。
もし電話でもメールでもしていれば父はまだ生きてくれていたのではないかと。

今でも思い出すとこのことはとても辛いですし、今でもあの頃の私の選択を後悔しています。

貴方のこのブログを読ませてもらって、一気に思い出して、他人事ではないと思いました。
私も自死を選ぼうとした事がありましたが、あの頃の苦しさを思い出したら選べない状態です。

今貴方は恐らくお母様のために頑張ってらっしゃると思うのですが、時々でいいので誰かに自分の心境を吐露してあげてください。
そうじゃないとあの頃の私みたいになってしまいます。
どうか、貴方が壊れないように願っております。

わらびもち 返信

毎日死にたくてどうしようもなくて、でも大好きな家族が悲しむと思って自殺を遂行できていない人間にはかなりクリティカルに来る記事でした。自殺は最後に残る救いだと未だに信じてはいますが、出来る限り周りのダメージを減らせるタイミングで死ぬ、もしくはもう少しどうしようもなくなるまで生きようかと思うようになりました。

ゆかり 返信

突然のコメント失礼いたします。
何度も泣きながら、この記事を読みました。私も大学生で、一年前姉妹を自死で失っており、似たような境遇で、もう辛くて読み進めたくない(すみません)!!と思いながら、やっとの思いで読み切りました。読ませていただいている私でこうですから、このことを文字に起こされるのは、どれだけお辛かったことでしょう。私も突然の遺書無しの自死で、遺書もなく、遺影も無い『心筋梗塞』でのお葬式。周囲にも、『心筋梗塞』だと話しました。それからとにかく外では空元気空元気で生きてきましたが、先日うつ病になってしまいました。自責という念があるからこそ、生きるとかかれているところにおこがましくも共感いたしました。毎日朝目覚めれば申し訳ないと思い、息をすることすら罪悪感を感じながらでも、はいつくばってでも私は生きなければならないと思います。自分も何年も前からの自傷のあとが脚や手にあり、未だにやめられませんが、それでも生きようと思います。

何が言いたいのかわかんなくなっちゃって申し訳ないですが、私はあなたの文章をお読みして、救われました。かなしみの形は人それぞれちがいますし、おこがましい気休めな言葉をかけることは自分も同じ自死遺族だからこそできませんが、

生きましょう。これからも私たちは人にリアルでこんな感情を吐露できないかもしれないだろうし、罪悪感で周りの世界とフィルターで断絶されたような景色しか見えなくても、生きましょう。
そして、どうかお身体ご自愛下さいませ。

さかな 返信

私は母を自死で失いました。
失踪したのちに母は死にました。
自殺は何人もの人の心を殺す行為だと、あなたの文を読んで改めて実感させられました。
残された遺族の方が語る話を聞くと、自分の中に押し殺したはずの感情があふれてきて、涙が出ました。

ゆう 返信

去年、4つ下で23歳の弟を自死で亡くしました。世の中、自殺者よりも多くの自死遺族が存在するはずですが、日常では話す機会のないことなので、ついコメントしてしまいます。

葬儀が終わってから一か月は異界にいるようでした。自営業なので、その間仕事は全キャンセルして、昼夜となくPCゲームをやって過ごしました。

しかし時が経つにつれ、自分より親の悲しみの方が身に堪えます。しんどいので、僕は心情的な距離をある程度置くようにしています。深く同情はしますが、立ち直りの速度が違うのは当たり前です。

一年経って随分楽になりました。冷たい言い方ですが、いないのが自然と思えてきています。最初はそう感じてしまうことを拒否していましたが、悲しんだり怒ったりするのに飽きてくるタイミングというのがあるようです(怒り、ありますよ。結局のところ我々は抜け駆けを食ったのです。交渉もなしに)。もちろん人によって違うと思いますし、悼む気持ちは今後も変わりませんが。

僭越ですが、楽に過ごせる日が迎えられますよう、お祈りしています。

E 返信

妹さんの気持ち大変わかります。なぜなら私も医学部浪人だからです。中途半端な頭に寄せられる期待と長年の夢が、とても苦しいです。あんなに頑張ったのに。頑張って頑張って頑張って、自分にはこれ以上ないくらい頑張ってるのに。結果は全部努力不足だって無言で伝えてきます。いつまで頑張ればいいのか、どれくらい頑張ればいいのかもうわからない。ずっと医者になることしか考えてこなかったから、諦めた先の人生がまったくない。医者になる将来が一気になくなって、突然何もないところにポツリ。医者になれない自分って何?誰にもこんなこと言えなくて、会ったら平気な振りしてしまうけど、本当は全てが怖くて仕方がない。妹さんもきっと同じように苦しんでたと思う。妹さんだけじゃなくて、浪人生はみんな同じ苦しみを味わってる。誰のせいでもないし、逃げ出して楽になるわけじゃない。救われたい。

かなし 返信

私は一年ほど前、姉を自死で亡くしました。まだ若かったです。
それまで私も自傷行為をし、いつか、二十歳までには死のうと思いながら生きていました。
ですが私が二十歳になる前に姉が自死しました。それで、自死がどれだけ家族や友人の心に深い傷を与えるのかわかりました。死ねなくなりました。
筆者さんやここにコメントを残している皆様も大変辛い思いをしているんだなと、共感できる言葉や思いが沢山あって涙が出てきました。
私もどうにか生きていきます。とりあえず、生きてみます。そう改めて思うことができました。

たまご 返信

まず、苦しい中この記事を書いてくださったこと、心から感謝しています。
本当に、お辛かったですね。
大変でしたね。
今も苦しい中を生きていらっしゃることと思います。
私の主人は27歳でこの世を去りました。首吊り自殺でした。
新婚8ヶ月だったのに、なんで?とずっと自問しています。
そして、ずっと自分を責めていました。
でも、自分自身が自分の味方をしてあげないと、誰が自分を守ってくれるんだろうと思います。
悲しければ泣いて、人に会いたくなければ会わない。笑えることがあったら笑う。
ただただ普通のことをくり返す日々の中に救いがあると信じて生きています。

小太郎 返信

突然のしかも深夜のコメント大変申し訳ありません。

ちょうど1年前に父を自死で亡くし、命日の今日実家で1人眠れずに何気なくネットサーフィンをしていてこちらのブログに辿り着きました。

父の死以降も同じようなことがニュースなどで流れる度に本当に辛い気持ちになりますし、本当にご遺族の方たちに残った傷跡は想像を絶するものだと思います。

同じ悲しみを背負った遺族の方、現在悩んでいる方たちのために何が自分はできるのかを考えてばかりの毎日です。

同じことを経験している方の文書を呼んで、どこか心が少し軽くなった気がして、一言お礼が言いたく、こんな深夜にコメントさせて頂きました。
ありがとうございました。

もも 返信

こんばんは。
突然のコメント失礼します。
消えたいと思いますが、姉のことを考えたり、単純に怖い、消えるとしてももう少しお金がないと迷惑をかける、などの理由で生きています。
読んでいて妹さんはお兄様に冗談のような言い方だったかもしれませんが、「死にたい」というどうしようもない感情を聞いてもらえる場所があり少なからず心の安定を保てていた部分があったのではと感じました。
それでもどうしようもできなくなってしまった。
私は冗談でもそんな話ができる相手は一人もいません。
私は誰よりも姉と話している時が1番心が安らぎます。
姉の優しさに甘えているだけですが、唯一安心できる場所です。
それでも消えたいとは言えません。
心配をかけるだけですし、そんなことを言われても困らせるだけだと分かっているから。
そして、我が家が壊れている中で、新しい家庭を築き新しい命も誕生したばかり。
その幸せを崩したくないと思い生きています。
こちらを読ませていただいて、やはり私が消えて無くなるということは、姉の心を壊してしまうと再確認しました。
憂鬱な気持ちではありますが、人を大切にする方法が明確に分かっていない私が唯一姉を大切にできる方法は生きているということしかないようです。
姉がもし自殺をしたら私は後悔ばかりが残るでしょう。
なぜ話してくれなかったのか、私はどんなことをしても助けたいと思っているのになぜ・・・という感情で埋め尽くされる。
それが分かっているのに図々しく消えたいという感情が消せない私は最低です。
記憶を消す方法があればいいなと思います。
姉の記憶から私を消したい。
そうすれば姉は幸せに暮らせるのに・・・
文章がバラバラで申し訳ありません。
ここに今の感情を書きなぐってしまいました。
もう少し生きます。

あや 返信

初めまして。
私は弟を自死で亡くしました。当時、弟は23歳で実家の自分の部屋で首を吊りました。
私が実家に着いたときには既に警察の実況見分も終わり、玄関での対面でした。カバーのようなものに包まれた弟を見て涙は出ませんでした。
まだ暖かく、頰は柔らかく、首に付いたままの細いロープが食い込んでいました。
母親が電話してきたときの「弟が死んだ」という響きがいまも耳から離れません。
首を吊っている弟を見つけたのは、末っ子の当時高校生の弟でした。
なんでなんでしょうね。なんでこんな悲しい事が起こってしまったんでしょう。どんな気持ちで1人で死んでしまったのでしょう。
どうして助けてやれなかったのでしょう。
でも、死に顔が、いつもの寝顔だったんです。スヤスヤ眠ってる顔。
辛いのから解放されたのかな?お姉ちゃん何もできなくてごめん。

だいだいせんせい 返信

5月6日に長男が首つり自殺をしました
次男がこのブログ等の存在を知らせてくれたので
読ましてもらいました
29歳でした
投稿されている皆様を含め遺された者はしっかりと
生きましょうね

みかん 返信

初めまして。とてもお辛かったと思います。私も息子を自殺で亡くしました。原因が分からず、家族は地獄の苦しみでした。自殺は残された者の精神を破壊していきます。罪です。人に言えないような亡くなり方をするでないと本人には言いたいです。今は自分の趣味に没頭したり、座禅を組み内観したりして息子の魂を感じたいと努力をしています。仕事もしています。これも又修行ですね。子供に死なれて後悔しない親はいません。死ぬまで私が背負っていく十字架かかなと思っています。

ピカチュウ 返信

みかんさん。私の状況や気持ちに似てるなと思いました。
自殺の理由は それぞれ微妙に異なると思います。でも遺族はどうしても自分の子供だったりすると美化してしまいます。それは私も悲しいし苦しい そして自分の事も責めています。でもやはり一番いけないのは自殺した本人だと思います。日本のニュースなどの報道は自殺した者の方を悪くはいいません。社会とか学校 会社の責任のように言います。たしかに それらもよくない事もたくさんあるのは事実ですがみな自殺する訳ではありません欧米が自殺が日本に比べると少ないのは罪だと教育されています それが洗脳教育でもかまいません。私は子供にそう言う話をもっとするべきだったと後悔してます。 ただただ悲しいです。

砂原睦美 返信

読ませてもらいました。
私も息子が2月に首吊り自殺しました。
遺書はありましたが生きてる目標が見つからずとあってなんでとしか今も思えず、苦しい毎日です。
周りはもう普通に回ってるのでいろんな話はできないし、しても言っても仕方がないしと言われます。
生きる力が出なくて、どうやったら会えるんだろうとか考えるけど息子のように俺はもう終わりですと潔い行動はとれなくて生きるしかないなあと思うけどこの気持ちをずっと持ちながら長生きは辛いなあとこれからが怖いです。
辛いことが多くて、でもずーとこうでない!なにがが変わると頑張ってきたのに逆縁とは想像しなかったしそれも自分から命を消してしまうとはどんなに頑張ってもやり直しはきかないし息子の為に出来る事がゼロは打ちのめされて気がついてあげられなかったし謝っても無念なだけ…
でも生きるしかないですね。
まだ生きてる家族がいるから自然死するまで。
読んで良かったと思います。
ありがとうございました。

あい 返信

私も高校生の息子を亡くしました。毎日毎日苦しみ続けてます。死ぬことも出来ない。生きる目的を失いました。生きていても、何も楽しくない。辛い日々です。何故こんな事になったのか。私の責任です。私は助けることが出来なかった。馬鹿な親です。死にたい。

アラレ 返信

ふと、目が覚めて、1年半前に、自殺した、兄を思い出した。死顔を思い出したら、涙が、止まらず、自殺された家族と、検索したら、あなたの、記事を見つけた、自分が、力になれなかったと軽い鬱に、なり、内服中。上司は、お金なかったの?と、辛辣な言葉。おまえ、それでも医者か!時間が、解決するかと。

ゆかり 返信

今年の1月に兄が自死しました。あなたのこの記事を見つけ、涙が止まらずすべてに共感しました。
兄の死は、一歩違えば私の死でもありました。
兄は死に、私は生きている。
もう一人の自分を亡くした思いでいま、生きています。
兄を亡くしてから、何をしていても罪悪感に支配され、兄を憐れみ、自責し、そうすることでなんとかバランスをとっていました。
でも気付いたのは、私が幸せになることが兄の供養になる、ということです。
兄を憐れみ、悲しみ続ける方が私は楽。
でも兄のために、残された父、母、妹のために
私は幸せにならなくてはいけないと思っています。

めぐ 返信

25歳の妹を自死で亡くし、一年が経ちました。妹は長い年月、鬱で苦しんでいました。たくさんのリスカ、レグカで身体もボロボロでした。それでも気分のいいときはよく話してくれたし、姉妹同士仲良くしていました。
わたしの妹も「しにたい」と言ったりラインに連絡がきたりしていました。私の場合は半分本気で言っているのがわかっていたのでいつも必死に止めていました。
でも、亡くなった日は私に連絡をくれませんでした。前日までラインで何気ない会話をしていたのに。もうすぐ生まれる私の息子の誕生を楽しみにしていたのに。頭がついていきませんでした。

でも、もう起きることのない妹の顔はとても安らかでした。それを見たら「今まで辛かったね。これからは安らかに眠ってね」と思えました。

母はしばらくの間、夜になると毎日泣いていました。後追いも心配でしたし、今も心配です。ですが残された家族がどんなに苦しいかを一番わかっているのは母だと思います。
残された人の心に空いた穴は小さくなるかもしれませんが、塞がること一生はないのだと思います。

いしゆ 返信

死にたい、投げ出したい、消えたい、楽になりたい、と思い続けこちらに辿りきました。
他の方のコメントも拝見し、涙が出ました。

人生は辛いものなのに、生きているだけで迷惑をかけるのに、自分で終わらす事も出来ない。
死にたいのではなく、楽になりたかったんです。
もう傷つきたくなかったんです。

ピカチュウ 返信

私も子供を数年前になくしました。自死。自殺どちらの言葉でもどうでもいいです。
たまたま検索してここにたどりつきました。「妹の自殺。自死遺族の嘆き」よく気持ちが伝わってきます。辛い中 若いのによく書かれてると思いました。そして他の遺族の方のコメントも推測ですが私の子供の感じによく似ている人達が多いので書きこみしたくなりました。他の掲示板も見た事はありますが何か私の感じる事とは違ってすぐに見るのを止めました。ここは具体的な感じがしました。
それぞれの思いの違い。私もそう思います。みんな同じではありません。
ここを読んで思ったのは どの家庭も特別な環境ではない普通の家族だった。
家庭環境が悪いとかイジメやパワハラとかハッキリしたような原因もなくなんてない。推測ではありますが 将来への自分自身の不安と言う事のような気がしてます。イジメだとかパワハラなどがあってたとしても通常の人は自殺はしません。
今の社会は すぐそう言う方向に流れますが何があろうと自殺しない人はしないんだと思います。自殺する者はそう言う事ではないと私は以前から感じてます。
でも社会やテレビのニュースではそこを取り上げて報道する事が何か間違ってると思ってます。多分誰に相談しても深刻には受け取ってもらえないほど他人には大きな悩みではない事だと分かってる自分自身がいたように思ったりします。
遺族はそれでも自分を責めます。あの時!ああしていれば!こう言っていれば!
永遠に答えなき答えに苦しみますね。 なにがあろうが自殺して良い事など誰にも一つもありません。是非何かに悩んでる若者がいたら何が何でも今を踏ん張って生きて欲しい。大変な事になるんです。しょーもないと思われそうな事でも誰かに言ってください!死なれるよりマシなんだから!  スレ主さん  ありがとう。

チョコちゃんママ 返信

私も23歳の息子を自死で亡くしました。母子家庭だったので、あまりの辛さに気が狂いそうでしたが、あの世で息子に会いたいので、後追いなどはせずにしっかり遺された時間を生きていきます。

ピカチュウ 返信

チョコママさん。 とにかく半年 1年はなにがあろうがふんばってください。

それは何年過ぎても悲しみは消えませんが とにかく 今は辛抱してください。

ぐりでる 返信

弟を自死で亡くしました。
わざわざ遠い山の中まで行き、見つかった時には腐敗していて、顔を見る事も出来ませんでした。
もし時間が戻るなら一緒に死んであげたかったと、何度も何度も思います。
ですが、事実を伝えた時の両親の顔を見たら生きなくてはと思いました。
周りの人、家族、たくさんの自死遺族の方々。
生きましょう

ピカチュウ 返信

ぐりでるさん。

生きなければ仕方ないですね

いくら 辛くても自殺してよい事などありませんが遺された者は死ぬ訳にはいきません。

返信

私は母を亡くしました。
自分が自殺したら何人の心を滅多刺しにするのだろう、という1文で涙が止まらなくなりました。
あまりの苦しさに楽になりたいと思う時もあるけれど、周りにこんな苦しい思いなんてしてほしくないから、私も苦しいけどなんとか楽しく生きていこうと思います。

母も苦しんだとは思うけど、それでもやっぱりこんなに周りに苦しい思いを押し付ける自殺は罪だと思います。そう思わないとやっていけない時があります。

ピカチュウ 返信

咲さん。 同感です。

それは永遠に愛してます
しかし自殺はやはり罪だと思います
苦しくても生きてる人の方が多いのですから
自分の家族だから尊厳死だとか言う人もいます 気持ちは痛いほどわかる
自殺する人はみんな鬱だから仕方がないと言う人もいます
それは 鬱の人もいると思いますが 全部の人が鬱ではありえません
なので尊厳死などではありません
遺族だからこそ それを受け入れないといけない事だと思ってます
そして愛する人を供養するしかないです

りんりん 返信

初めまして。浪人がどうにもつらくてそろそろ死にたいなあなんて思いながらネットサーフィンをしていたらこの記事を見つけました。私にも兄が居て、とても優しいので、もし私が自殺してしまったら一生気を病んでしまうんだろうなと思って、もう少し頑張って生きてみようかなと思いました。
このような記事を書いてくださってありがとうございます。ご自愛ください。

無気 返信

 友達の親御様が首を吊って亡くなりました。深夜に帰ってきて扉開けたら変わり果てた姿。警察検死から帰ったらあっという間に葬儀からお骨に。 これから悲しみが今より押し寄せるだろう。。。数十年友情を陰ながら見守ってくれた方。  なんにも出来ない。。。どうしよう。。。。。。。。。。

返信

20歳の時に幼馴染が自殺しました。喧嘩別れをして連絡先も途絶えて音信不通。2年経ったある日、親御さんからの急なしらせ。何もできなかった怒りと悲しみで泣き崩れました。あれから何年も経ちますが心の整理はつきません。
自殺は相手の心をえぐりとる悲しみ。
わかっています。なのに今度は私が躁鬱病になり自殺したい。死のうとしている。辛いです。生きていく事は辛いですね。

当時会社員 返信

残業続きでヘトヘトな盆明けから10日後の朝4時前、姉を自殺させました。親が発見したのですが、私は後から叫び声に気づいて駆けつけ、凄く冷静に、自分にいいきかす様に「無理だろう」等と私も凄く冷静に考えてました。不思議ですよね?
一緒に寝ていたのは私でしたし、亡くなった姉の知能は部分的に超高く、私は全て超低知能でしたから理解できない関係で、喧嘩も多かったです。だから、1番に私が疑われるし、親はボケて 怒らなくなり、自分で自分を攻めて苦しくなり(ました?ます?)今は生きてないと出来ないことがこんなにもある、と仏壇のまえで自慢してます。

りん 返信

長文失礼致します。父を自死で亡くしました。
あれから約12年経ちます。当時私は10歳でしたがあの日のことは鮮明に覚えています。
父が首を吊り亡くなる日の前日、私はこたつで寝てしまっていました。父はわたしに手を貸し起こしてくれました。ちゃんと布団で寝るんだよ、と。その手の感触が未だ忘れられません。
「パパが死んだよ」あの日の母の第一声。
学校終わり友達と遊んでから帰った私は状況を全く理解できずにいました。どうやら発見者も母ではなく同じく状況を理解できておらず、息を切らし、錯乱状態。私はその時に言った言葉はただひとつ「絶対泣かない、泣いたらパパ成仏できないもん」だけ。本当は頭が真っ白だった、でも母を落ち着かせたかったんです。
警察官は現場の写真を撮り、母に何か質問をしていたけれど、母は、お願いだから今は喋りかけないでくれと言っていました。首を吊った場所は、サンルーム。全面ガラス張りの部屋。生々しくロープが垂れ下がり、最後に乗ったであろうイスも置いてありました。発見者は兄、後から聞いた話ですが、発見当時、父は白目で、尿も垂れ流しだったとのこと。なぜそんな最期を迎えなければならなかったのか、父はどんなにつらかったことだろう、どんなに苦しかったことだろう。そうやって考えると胸が締め付けられます。
父は亡くなる暫く前から鬱病でした。私たちは本当に正しい接し方をしていたのでしょうか、きっとしていませんでした。父は単身赴任でした、休日にこっちに帰ってくることが唯一の楽しみだと言っていました。でも裏切ってしまいました。そして裏切られてしまいました。
月日が経ち大人になった今の方が涙がたくさん出ます。顔はうっすらとしか思い出せません、声はもう思い出せません。でもこんなにも涙は溢れ出てきます。何もしてあげられなくてごめんなさい、助けてあげられなくてごめんなさい、ただ最後にもう一度だけパパに会いたい。

りさ 返信

私は医学部浪人生として1年間努力してきましたが、今年もダメでした。周りには今年一年ダメだったらどこかの看護学部や薬学部に入ると言っていたので、願書も出していました。しかし、私はどうしても医者として人々を救いたいという思いが強かったので、また1年浪人させて下さいと親に頼みました。しかし、返事は期待していたものとは逆で「期待していたのに」「経済的にもきつい」「この一年が無駄だった」とマイナスな言葉ばかりでした。私は偏差値が模試で足りていても本番で上がってしまう性格で、世にいう上がり症という症状をもっています。このことも理解してもらえず、周りは結果だけを見て私を評価します。それは仕方のないことだけど、やっぱり辛いです。1年間どんな嫌味を言ってきてもお金を出して予備校へ通わせてくれる親に感謝をしながら日々勉強してました。出来ることなら今すぐここを飛び出して無人の世界へ行きたいと考えてました。死んだら迷惑がかかる。家族だけでなく周りの人にも迷惑がかかる。19年で人生終わらせたくない。という気持ちより死んで楽になりたい。と思っていました。死ぬ方法等を調べていた時この記事を読みました。涙が止まりませんでした。『死ぬこと』の本質的な意味を考えさせられた気がします。妹さんの気持ちが本当によくわかる記事のためでもあるのでしょうか。自分としっかり向き合い、再び夢へと歩き出したいと思えました。

あかね 返信

この一年、私も医学部を目指して浪人してきました。現役の時とは比べものにならない程勉強しましたし、成績も徐々に上がっていきました。でも、結局センター本番は思うように点は取れなかった。結局、休み時間にダラダラして喋りまくっていた人の方が受かっていきました。この一年は何だったんでしょうか。母も言いました、あなたの頑張ってるは頑張ってるつもりなだけだって。無駄金を使わされたって。あなたに良いように躍らされたって。
後期がだめだったら、私立の薬科大学に行くことになります。自分が情けなくて自殺したいって何度も思いました。飛び降りるしかないって。そんなとき、この記事を見つけて涙が出ました。とりあえず、生きようと思えました。私が死んで、さらに家族に負担を背負わせるなんてできません。
私立の6年薬学部へ行ったってまともに就職はできないと思います。大学院でまた、受験にチャレンジして挽回しようと思います。医学部はずっと目指していましたが、向いていなかったのかもしれません。薬学部で頑張りたいと思います。

しの 返信

私は先日離婚して別居していた父親を自死で亡くしました。
なんでもっと父に優しくしてあげなかったのかとか、父が一人では生きていけない人だと知っていたのになぜ一人にしてしまったのかとか、なぜもっと会いに行かなかったのかとか、今そんな気持ちに押し潰されそうです。

生前は自分勝手なところもあり、喧嘩が絶えない時期もありましたが、亡くなってしまうと楽しかった思い出ばかり思い出してしまって涙が止まりません。
色々あったけど、父のことが大好きだったのだと気付かされました。
いまさらそんなことを思ってももう父は戻ってきません。
ただ、父と母からもらった命をこれからも大事にしていきたいとは思います。
そして、父に優しくしてあげられなかったぶん、母には後悔しないように接していきたいと思います。

突然このようなコメントを送ってしまって申し訳ありません。
私も辛くても前を向いて生きていきたいです。

なつ 返信

はじめまして。突然のコメント失礼します。
私は中学の頃から自傷や鬱等で10年ちょっと良くなったり悪くなったりを繰り返しながら生きてきました。
2年前に鬱で働けなくなり、休職。その後復職を果たし、周りに迷惑をかけながら何とか頑張ってきましたが、また再発しつつあって…。
もう死にたい、死んでしまいたい、どうやって死んだら一番いいか…と検索し、貴方の記事にたどり着きました。

何て書いたら正しいのかわからないけど、とてもとても辛い体験を文章におこしてくださりありがとうございます。
私には両親も兄弟も恋人も、少ないけれど大切な友達もいます。
私は死んでしまえばもう何もなくなって全て終わらせる事ができるけど、遺された大切な人達はずっとずっと、私の身勝手な行動で苦しむのですね…。読んでいて涙が止まりませんでした。
貴方の言葉を聞いて、それだけは絶対に避けようと思えました。
どうしようもない人間ですが、とりあえず生きてみます。
遺書なんて捨てて、何とか生きてみます。

R 返信


突然勝手にすみません。
私もこの世で一番大切な妹を
亡くしました。
妹を助けられなかった事
妹にありがとうとちゃんと伝えられなかった事
もぅ何も伝えられません。
妹が辛く毎日を過ごしていたかもしれない
でも私達は妹がただこの世に生きていてくれているだけで充分だった事
本当に本当に伝えたくても
もう何一つ伝えられません。
あなたが生きている事
どんなけの価値があるか
本当に分かって欲しいです。
あはたがしんどいなら
ゆっくりで良いし
頑張らなくて良いから!
あなたがしたい事を
ゆっくり見つけて欲しい。
あなたが生きているだけで
幸せな人がいる事を忘れないで
私はあなたが生きていてくれる
だけで幸せです。
どうか生きていて下さい。
生きているという事が
こんなにも素敵だと言う事を
忘れないで。
貴方が生まれると言う事を
沢山の人が望んでいたからこそ
貴方は生まれたのです。
だからゆっくりその意味を
見つけていきましょう。
頑張らなくて良いから
ゆっくり進んで行こうね。

宇野正志 返信

私はとある医者によって 全身を生き難い末梢神経障害という痛みを伴うされる 病気とされてしまいました
その医者が薬の副作用を知らずに 適当に医者都合の処方量でそれを二度やり私を地獄に突き落としました
嚥下障害に三叉神経痛、指、肩腕
背中、肘、喉、歯、舌、眼、耳鳴り
、掌、腹、足、足の裏 みんな刺す痛みとされてしまいました
障害年金や副作用人体なのはもちろんありませんので時が来たら自殺しようと思っております
しかし両親より先に死ぬことだけはしないと心に決めております
私は医者を許しません
嫁都合のためにアルバイトの出稼ぎに出てた宇野 という人を私は永久に許すことはないでしょう

梅干し 返信

コメント失礼致します。
私も浪人生になりました。同じように医学部目指して精進したいけど、まだ頑張れない。
ふとした瞬間に死ぬことを考えては泣くの繰り返し。でも涙が乾いたときには、恐らくこの世から逃げてしまう。
悲しむ人も居るけど、それは私を引き止める理由にあたいしない。癌と同じように病で死期が早まっただけだと、割りきってしまえたらもう無敵ですね。
ハジさんの妹さんも、私と似たような思考の持ち主だったならば、私はきっといい友人になれた気がしてならないのです。

ちさき 返信

コメント失礼致します。
鬱病ですがなんとか生きています。
正直死んでしまいたい(というより、意識があるのが辛いからずっと気を失っていたい)と思ってばかりですが、投稿者様の もし自殺したら何人の心をめった刺しにすることになるんだろう。 という言葉を胸に刻みたいです。友達や家族を悲しませたくはないんですよね。心配とか後悔なんてさせたくないんです。自殺への救済願望とその思いを天秤に掛ける日々です。交差点や駅のホームでその天秤が不意に傾くことのないよう気を付けています。

名無し 返信

反吐が出るな
自死する奴は誰にも理解されないから死ぬ
ずっと蓄積してきたものに耐えられないから死ぬ
それを大抵の奴が持ってる縁で止めようとしてる
宗教的な自殺したら云々と同じ匂いがする
何が狙いなんだかな
仮に本当だとしたら、生きてたら気にもとめないくせに、メールだって碌に返しやしないくせに勝手な奴らだって思う奴もいるだろうよ
所詮機械的な罪悪感でしかない
死んだ奴の内心なんかより、自分の価値観を守る方が大切だ
無意識的にな
じゃなきゃ自分が壊れちまう
俺にはダブルスタンダードトリプルスタンダードが当たり前なお前らが人間には見えない
仮に自殺した奴が地獄に堕ちるなら、ここは蠱毒だろう
地獄の方がマシだ

名無し 返信

大体、男が弱みを見せても他人はだーーーーーれも構っちゃくれねぇ
所詮動物だから、無能な遺伝子は消したがる
親が死んだ後に悲しんでくれるくらいだな
でもそれって所詮動物だから、自分の遺伝子が死んで悲しいだけだよな?
何の意味がある?

名無し 返信

例えば、馬鹿の癖に他人の嘘に敏感な奴は生きていけないだろうよ
馬鹿はどこまでも馬鹿だから生きていける
だから詐欺師は儲かるんだ
例え、親が優しかろうが、馬鹿では死ぬのは止められない
羊にも狐にも狼にもなれない奴は死ぬしかない

むーみん 返信

死にたいと思うことがあります。けど、このコラムを読むともう少しだけ、寿命が尽きるまで生きようかなと考えました。ありがとうございます。

名無し 返信

コラム拝見させて頂きました。
私は小さい頃から死にたいと思っていても死ねずに今も生きています。自分に生きてる価値は全くないと思いますが、死ぬのが怖いと思ってしまいます。自分は怖いという感情が出てくるだけ、本当に死にたいとは思っていないということなんですよね
両親より先に自ら命をたつことは親不孝になると分かっているので、誰か病をもっている方の身代わりになってあげたいといつも思います..将来に希望をもっている方の代わりに私が死んであげたい
今はできることをしながら生きていきたいと思います。

返信

はじめまして。
私は毎日「死にたい」と願っている側です。
転職してからの職場での連日のいじめで、もう、「自分は狂っているのではないか?」とか、「自分がおかしいからこういうめにあっているんだ」とか、今まで自分が普通に働き、友人と遊び、生きてきた過去も、全て否定してしまっていました。

それでも、私には、数年前から寄り添ってくれてる大切な人がいます。
でも。
この人の心に傷を残してはいけない。
切り離さなければいけない。
と。
「死なない」という選択肢を考えることはできずに、もめていました。

「自分はおかしいから」
「自分と一緒にいてはこの人もダメにしてしまう」

その一心でしたが・・・

誰の心にも傷を残さず、死んでしまうことなんて、無理なんですね。

泣きながら、貴方の記事、読みました。

だからって、答えが出たわけではありませんが、自分の大切な人に、こんな思いはさせたくないと、思いました。

KushaNa 返信

はじめまして。予備校に通ってる浪人生です。
最近自殺念慮に駆られたらこのページに来ては何度も涙を流しています。
受験失敗によって未来への不安、絶望、鬱で今とても辛いです。逃げ道はあると仰ってましたが、浪人生が予備校を辞めると死ぬ事しか選択肢が無いと思うのですが、どうなのでしょうか。まだ救いがあるとでも言えるのでしょうか。

なな 返信

ありがとうございます。この記事とコメントを書いてくれた方々。心が少しだけ軽くなりました。

私は浪人生です。でも、いまだに勉強に身が入りません。ここ一年間、無気力状態がずっと続いています。幼稚園、小学校、中学校、高校の15年間、私は自分の夢を追いかけてきました。ですが、高校2年生の時その夢を諦めました。プロになるのをあきらめただけで、競技自体はダラダラと続けていました。その結果、3年生の時、全国で2位を取りました。優勝を逃した私は挫折しました。ぽっきりと心が折れてしまいました。何があっても、底辺からのし上がる意気込みを持ち続けていた私は消えました。

無気力で何をする気にもなれません。消えてしまいたい。

志望校に受かろうが落ちようがどうだっていいのです。精一杯頑張れる。それだけ。その感覚と充実感が欲しいのです。

己の命と人生を自らコントロールしているという、あの充実感。

なにがあってもめげない心は、自分が自分をコントロールしているという実感からくるのです。

でも、世の中、自分だけではどうにもならないことだってたくさんあります。

自殺したい。自殺をするというのは、自分をコントロールする最終手段ですね。

周囲が悲しむのも無理はありませんが、私はその方の最期を出来るだけ尊重したいと思います。

私は20歳で自殺するつもりです。そう決めることで、今の自分が救われるような気がします。今を精一杯楽しもうと思えるのです。人生は短いと感じるだけで、目の前のことに集中しやすくなりました。

ミミ 返信

些細なことで学校に行けなくなり、みんなに迷惑をかけてるくらいならこの世から消えてしまったほうが良いなあって思っていました。そんなときにこの記事にたどり着きました。辛い中この記事を書いてくださったことに感謝します。
大げさではありますが、この記事を読みながら1リットル分くらい泣きました。親や友達の顔を思い出すと、涙が止まらなくなりました。やはりみんなの心を殺してしまうようなことはせずにもう少し生きてみようと思いました。弱くて甘くてちっぽけな私ですがゆっくりでも生きていこうと思いました。
この記事に出会えてよかったです、またお邪魔させてください

まさひろ 返信

コメント失礼します。
ちょうど死ぬことを考えて検索をしていた結果、こちらの記事にたどり着きました。

自分は数年前に死にたいと強く思ったことがあり、生きる気力を見失っては自傷をしたりしていました。そこから少し経って状況が良くなり、そんな過去があったとは自分でも信じられないくらい充実した日々を送っていたのですが、また最近、同じような気持ちが蘇ってきてしまいました。

理由は苦しいことが立て続けに起こってしまったせいです。生きていて楽しいこともありましたが辛いと感じることの方が多い僕の人生は、きっとこれから先も苦しいことがたくさん待ち受けているんだろう。そう考えてしまったが最後、また死を考えずにはいられなくなってしまいました。もう楽になりたい。これ以上苦しい思いをしたくない。本当はただ幸せに生きたいだけなのに、それはきっと僕の人生では叶わないんじゃないか。そう思ってしまいます。

だからもうすぐ迎える25歳の誕生日、死んでしまおうかと思っています。今の僕には、残された人々が悲しんでいる姿が、あまり想像できません。自分なんかがいなくても世界は回っていく、そう考えています。もし僕が死んだら、僕の母は、父は、弟は、祖母は、親しい友人たちは、きっと悲しんでくれるのでしょう。でもそれも一時期の間のみで、きっと何もなかったかのように毎日を送っていく、そう思ってしまいます。

でもあなたの文章を読んで、そうではないのかも、と思いました。もし僕以外の家族が誰か死んだら、と考えた時、とても辛い気持ちになりました。

なんだろう、誰も苦しめたくない。
でも自分も苦しみたくない。
そんなわがままが効かないこの世界は少し理不尽に思います。あなたの妹さんもきっと、誰も苦しめたくなかったのではないでしょうか。でも、それ以外に道が見つからなかった。だからやらざるをえなかったことなのかも、しれません。

なんだか何を言いたいのかわからなくなってしまいました、ごめんなさい。
ただ、あなたが勇気を出してこの記事を書いてくれたことで残された人の気持ちが少しわかりました。感謝致します。
僕も、もし気が向いたら、もう少し生きる選択をするかも、しれません。本当は生きたいです。でも死ぬしか楽になる方法が思いつかない。そんなところです。

りか 返信

大学四年だった5年前就職難にぶち当たり就職が決まらず鬱になりました。人生なんかどうにでもなれと自暴自棄になり売春もしました、自傷も首吊りもしましたが結局死にきれず、田舎の母に強制的に連れ戻されて終わった情けない大学生活。

あれから5年、弱い人間はいつまでも弱いままです。会社では上司のパワハラに耐えられず、気付けば適応性がなくなってたため慰めてくれる友達なんか1人もおらず、母は更年期障害で朝から晩まで汚い言葉で私を攻撃してきます。20数年間一番の味方だと思っていたのに、内心は出来の悪い娘が邪魔だったのでしょう。
死ぬしか考えられません。死ぬしかないんです。こんなダメ人間の私が生きていたってしょうがないんです。私が死んで悲しむ人がいたとすれば勝手に悲しめばいい。

29歳の誕生日に自殺するつもりです。そう決意してからは少し気持ちが楽になりました。なんとかあと数ヶ月頑張って生きてみます。

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