妹が死んだ。首を吊っていた。
妹と一口に言っても筆者の年齢によっては高齢って場合もあるだろうが、残念ながら僕は23歳だ。大学4年生の夏休み。妹は浪人中の18歳で自殺を選んだのだ。
よくテレビなんかで大事故のニュースがあったり、また明日ねって分かれて曲がった角の先で誰かが攫われたりしては、今朝までは元気だったのになんでって言う。
僕は自殺なんかはそれに含まれないと思ってた。だって僕は高校生の頃如実に成績が下がって段々元気なくなって静かになっていって静かに自殺未遂のつもりだったオーバードーズによる錯乱でバレて病院に運ばれてたし。
だけど妹は傍目から見れば元気だった。浪人つらいなしにたいなとはよく言っていたし、高校生見るの嫌だなどと言っていたけど、鬱病的なものではなく、女の子特有(?)の軽いノリで言っていたように思ったので大して気にかけていなかった。ただ浪人の辛さは僕も知っていたから、どうしたら寂しさが減るかとかをよく話してた。「死にたい」って漢字で言ってきたらもっと気にしただろうけど、妹は頑なに「しにたい」と顔文字付きで愉快に話しかけてきた。僕もわかるわーなんて答えてね。
夏休み、僕は実家に帰っていて、実家ライフを楽しんでいた。妹はその日の朝もいつもと変わらない笑顔でいた。車を運転したい盛りの僕は片道40分程度の母の仕事場まで運転することになっていたので今日も走るぜ!などとその日はテンションが高かった。朝ごはんを食べてから出かけようとすると、二階に上がりながら妹が言った。「お昼帰ってくるなら勉強してるから飯はないと思えよ!」「えーじゃあ帰んねえ!」これが僕と妹の最期の会話だった。
母の仕事場は僕の実家周辺よりも栄えた(とは言っても寂れた)地方都市で、ポケストップの量に困らなかった。更に少し車を出せばレアポケモンが出るって噂の公園もあって、ずっとポケGOしてた。
もうすっげーポケGOしてたよ。2日前までスマホ古くてできなかったんだもん嬉しくてさ。
ブックオフも行ったな。欲しかった漫画と、僕も妹も好きなバンドのCDがあったから買って、車でそのCDを聞きながら移動を繰り返してた。きっとこのCD妹も気に入るなーいいの買ったなーってにこにこ。そうだ明日妹をカラオケに誘おうわくわく。駐車場に車を置いてとことこ歩いてポケストくるくる。
妹の悩みも苦しみも思いつきも知らないで楽しんでいた。
夕方になって母を迎えに行き、CDを流したままにしていたらなんだかテンションが異常に上がって異様に饒舌になった。あれが虫の報せってやつだったんだろうか。躁鬱病の診断はされてないけど、今思えば軽躁状態。
母もつられて面白くなってきたのか、気になってたけど通った事のない道で帰ろうかと提案してきて、すぐ賛同。迷ってしまって、道中止まらない取り留めのない会話をしながら普通よりも断然時間をかけて帰った。途中で母は寂しがりやの妹のために、「もうすぐ帰るよ」とショートメールを打っていた。
それが妹により開かれることはなかった。
家に着いたけど、僕は普段運転しないから駐車が下手クソだ。見られてると緊張するし、母には先に降りてもらって四苦八苦。やっと駐車できたぜと満足感に浸りながら車から出ると、開けっ放しの二階のベランダの窓からなにやら母の大きい声。いつも明るい母さんだから、妹になんか言われたのかな、どうしたのかなーってふわふわと家に入ると、聞こえ続ける母の叫び声。ようやく「大きな声」ではなく「叫び声」であったと気付いた。
「早く!早く来て!救急車呼んで!!」
僕はもちろん混乱だ。とにかく二段飛ばしで声の元である二階に走って、何度も言われた。救急車、救急車と。クローゼットの扉が開いていて入り口から隠れるあたりに母がいた。まだ叫び続けてて妹が、妹が、と言っている。分からない何が起きてるんだ。意識が白濁していきそうだったけど、救急車救急車と叫び続ける母さんの声でとにかく電話の子機を取りに一階に走った。
119に救急ですと怒鳴った。でも僕も何がなんだか分からない。母さん妹どうしたの!聞くと首を吊ってる!と答えられた。119に首吊りですともう一度怒鳴った。何か色々聞かれてるけど言葉が受話器から落ちてく。なんもわかんねぇの。住所を何度も聞かれてるとやっと気付いて言う。誰が首吊りなのか言う。
すぐ向かってます落ち着いてください近くなのですぐ着きますああああああ早く来てくれどうでもいいからなんでもいいから来てくれえええええ
電話を終えてようやく正面から見た。クローゼットの取っ手の部分に妹が下がってた。きゅっと妹の首を包み顔を膨張させてる結ばれたタオル。そんなに噛んだら痛いだろってぐらい前歯で圧縮されてる舌。母さんが必死にタオルを外そうとしてるのにその妹の身体があまりに揺れなくて、真夏だってのに氷みたいに冷たくて、3年前に病死した父の身体を思い出した僕は声を震わせながら「母さん、脈確かめた?これ、もう…」人間信じられない事実に直面すると”人”って認識できなくて”これ”って物体に変わるんだな、驚いた。
僕は何をすればいいか何も分からなかったけどタオルの結び目を解くよりも切ったほうが早いだろと自分の部屋からナイフを取ってきた。早く外せよ!ほら! もうすぐ、もう解けるから! 解けた。
ごとん。
いや、ごとんって。人形かよ。足の形も手の形も、人間が従わざるを得ないはずの重力の法則を無視して硬直してる。
あ、これ、もうダメだ。わけは分からないけどそれだけは分かった。もうダメなんだ。
母は冷たい妹の身体を温めようと必死に身体をさすって名前を呼んでいる。いや、ハハハ、これもうダメだろ。ああでも希望があるとするなら蘇生法は違うよ胸骨圧迫と人工呼吸だよ!ふざけんなよどけ!
僕はなんだか学校で習った覚えのある胸骨圧迫をした。硬かった。練習用人形より硬くてあああほんとダメじゃんこれって笑いそうになった。人工呼吸もした。顎を上げさせて気道確保、鼻も塞いで息が入ったことを確かめる。いや、入らない。頬が膨らむすらしない。舌がもう気道を塞いでるって直感してあああ違うよおまえ口開けろよって無理矢理舌を噛んでる口を開かせようとしたけどダメで、もう一度息を吹き込んでみた。しゅーっと入った音がして、もう一度試した。は、なんか酸っぱい、黄色い液体が歯の脇から上がってきていた。
もう一度胸骨圧迫に戻って何事か叫んでいると、妹の身体をさすり続ける母も心臓マッサージと人工呼吸という概念を思い出だしたらしく、あ、あ、人工呼吸!と言いながら顎も上げず鼻も塞がず思い切り息を吹き込んだ。鼻からさっきの黄色い液体がどぼーっと出てきてあとのほうには血のような赤みも混じっていた。やり方がちげーよバカ!と怒鳴って人工呼吸を僕がするとさっきは上がっていた程度だった黄色い液体が口からこぼれるほど出てああこれもダメなんだって諦めた。
サイレンの音が聞こえて、僕の家は少し入り組んだところにあるから分からないかもしれない案内しないといけないと思って母に胸骨圧迫を強要して家の外に出た。必死に手を振って走って案内するとイメージしてたお医者さんと何故か消防士さんみたいな人がばーっと出てきた。二階です!二階行ったら母がいます!どたどたと入っていくレスキュー隊。追いかける僕。彼らの一言目は「あぁ、固まってるなぁ」という悲観に満ちた声。そうだよねやっぱりねおれ知ってたよ。手はがくがくおかしいぐらいに震えてるけどああそうだよね。
ここは任せてくださいと一階に追いやられて、少し離れて暮らす兄に電話した。留守電に「妹が首を吊って死んじゃったかもしれません。早く帰ってきてください」と入れたことを覚えてる。台所に行ったら妹が作ったらしい家族用のウーロン茶が置かれていた。
その間二階で何があったかは知らないけど、少ししたらレスキュー隊員たちはゆっくり降りてきた。兄に電話をしてすぐだったから電話を持ったままだった僕の手はわざとかよってぐらい震えてた。
ほとんどのレスキュー隊員はおれに目を向けずに帰っていった。最後の一人だけ無言で悲しそうにお辞儀をしてくれて、あぁ、いや、そうだよなと思った。手はがくがくだけど涙は出ていなかった。いつも明るい母が泣いていたからかもしれない。
あとから降りてきたお医者さんが、完全に死亡している方は救急車に乗せられない決まりなんです、ごめんなさい、ご愁傷様です。これから警察が来て実況見分に来ます。ご了承ください。この度は本当にご愁傷様でした、と、悲しそうに落ち着いて話してくれた。母はずっと泣いていて僕がずっと代表みたいに返事をしていた。兄から電話がかかってきて、冷静に妹が死んだ事を伝えて、兄も冷静に職場に連絡してすぐ行くといってくれた。
それから来た警察はたぶん色々写真を撮ってた。妹の部屋に遺書がないかなども確認したらしい。
妹の最近の状況などを聴取した警察は女の人ですごく優しかった。僕は一人暮らしでいつもは妹と離れて暮らしていたけれど、母よりも僕のほうが妹の「つらいしにたい」気持ちを聞いていたらしく、いつも明るくて強い母の代わりにつよくつよく居なきゃいけないと思ってしっかり聴取に応じ
女の人が少しリビングから出て妹の顔にかけるタオルが欲しいと言うから、母が泣き続けるリビングから出ると、「この件は自殺という可能性が極めて高いです。その場合、いちばん怖いのは、後追いです。あなたは気丈にしているので、お母さんのことを気にかけてあげてください」そう言った。正直あの様子の母の事は見たことがなかったから、僕も後追いは怖かった。返事をすると、「あなたもおつらいでしょうから、無理なさらないでくださいね」と言われて、ここまで事務的に頑張っていたのにいきなり人の情を感じて泣いた。やっと初めて涙が出た。リビングに戻るときには無理矢理ひっこめた。母がこの辺に妹いるよねなんて空を指差して泣きながら笑ってるから。
どうしたらいいかなんて分かんなくてああ確かハグってストレス解消にいいよねって雑な思いつきで母さんを抱きしめた。わかんないけど俺はここにいるよ、これ俺だからねって。母さんはここに生きてるんだよって。俺も生きてるよって。母さんもちゃんと力入れてこっち抱きしめてって言ってやっと返してくれた。
そうこうしてるうちに兄が来てくれて、兄の手と母の手を重ねさせて、これ兄ちゃんだよ、生きてるよここに居るよっていうのを何度も繰り返した。もしかしたら泣き続ける母より泣きそうな顔で涙を流さずにそうしている僕のほうが狂人じみていたかもしれない。女の人にはどう映ったんだろう。
兄が来てから、母の了承を取って、親戚に電話した。「妹が、首を吊って死にました。今うちに来られてもどうしようもありませんが、近々葬儀をするのでまた連絡します」って事務的に。おばと、おじに言ったんだけど、そう言えば電話したとき兄も言ったけど、まず嘘だろ?って言うのね。俺も嘘だと思いたかったよ。なんだよ。俺がお昼に飯なくても帰ってきたらお前は死んでなかったのか?
二階で家捜しをしてた警察が、妹の部屋にあったという本を持ってきた。今辛い君へとかそんな感じのありふれた自己啓発本だったと思う。その中に、妹がセンター試験前日に、未来の自分へ宛てたらしい手紙が出てきた。それには腕を切ってごめんねだとか、本当にばかだよねだとか、未来の君が傷跡のせいで生きづらくなってないといい。でも今の私はこうしないと生きれなかったから本当にごめんだとか、自傷常習者だった僕の胸も痛むような手紙だった。ついでに腕を切る自分のイラストも2枚ほど出てきて、実際妹の腕には生傷があったことを教えてくれた。
自殺を仄めかすようなことを言われたことはあるかと聞かれて、僕は実家に帰る直前にしていたスカイプのチャットでそんなことをたくさん言われていたことを思い出して、画面を見せた。それを警察がリビングで撮影したから、母が泣きながらそんなものに何の意味があるんですかと言って目を腫らしていた。明るくて強いお母さん。どこいった。
その後どこかの医者が来て死亡診断書を書いた。死亡推定時刻は午後2時頃。人生、おしまい。
しばらくして母方の祖父母といとこが来てくれた。その日は祖父の誕生日パーティだったから下戸のいとこが運転してくれたらしい。来ても来なくてもいいって言ったけど、来てくれて本当によかった。
つらいよねって寄り添うのが正解だったんかなあれでも俺つらいけどどうしようみんなつらいし寄り添ってもらえないじゃんあれなんか妹が死んだのって俺のせい?泣きたいけど泣けない泣くけど泣いたらバチが当たりそうな気がする俺のせいだから?急に精神が孤立した。
母と兄と祖父母、おばが死に顔を見に行って、座りが悪そうにしてる従兄弟とリビングに残った。運転してくれてありがとうってことと、今死に顔を見ない選択をしたのは正解だと思うってことを、どうしようもなくて壊れたみたいに笑いながら伝えた。
この話には登場させなかったけど、うちには室内犬がいるから、そいつが不安がらないようにかまってやってと頼んだ。僕は何故だか究極に孤立してしまった。精神が。
妹と同じ部屋で寝ると言う母のために、祖母が同じ部屋で寝てくれた。同じ部屋でふたりきりになって、後を追われては困るから。無理矢理横にならせて、兄とこれからの話とかをした。
3年前の父の葬儀の経験があるから、兄はぎこちないながらもほとんどの仕事をしてくれた。僕はどうしたらいいか分からなくて犬を愛でたりひたすら自責をしていた。
もし朝に明日カラオケ行こうって言えてたら違ったのかなメールしたらみてくれてたのかな。こないだ一緒に行ったときすごい楽しいまた行こうってお前から言ってくれたよな。
葬式には想定以上にたくさんの人が来てくれた。”心臓発作で急死したまだ若い子”のためにたくさんの人の心に傷がついたと思うが、”首吊り自殺で死んだ”妹のために僕の心も完全に化膿していた。
お母さんを支えてあげてね。色んな人が言う。妹の友達と昔ときどき遊んでいたから、懐かしい顔もある。ああみんな、生きてるのに、なんで妹は死んだんだ。俺があの日帰ってたらお前は死ななかったのか?俺がもっと話を聞いてやれば、まだ道を選べたのか?
あれから4ヶ月が経ってる。それでも僕は未だにふと思い出しては泣いている。今日も辛すぎて3時間ぶっ続けでこの文章を書いていた。
特に夜なんかはひどい。人に会う予定もないからぐずぐずに泣いてしまう。
僕は正直なところ、死ぬ時は自分で決めたいと思っていた。死ぬときを決められるという逃げ道を持つことで、日々を生き抜いてきたのだ。
でもその退路も妹により塞がれた。
生きてることが辛い死にたい方はたくさんいると思う。僕も正直逃げ道もないしもう死にたいと思った。
だけど僕がもし、もしもだぞ、もし自殺したら何人の心をめった刺しにすることになるんだろう。幸か不幸か知り合いだけは多い僕は、何人の心を化膿させてしまう恐れがあるのだろう?逆に知り合いも友達も居ない人のために、罪悪感過多な僕はしっかりとその死を悼もうと思っている。
生きてることは正直辛いことだらけだ。それで嫌なら、ポーズボタンを押せばいい。例えば大学生なら休学だし、イジメがつらいなら登校しなきゃいいし、学業が不安ならフリースクールもある。
ニンテンドーの64で無印のスマブラやると、真ん中の赤いSTARTボタンでポーズするよね。人生を始めるためのボタンってどこかにあったと思うんだ。64通じない世代居そうだけどゲームあんまりやらなくて他の例が思いつかなかったんだごめんな。
月並みだけど、生きてたらなんとかなることだけはいつでも思い出してほしい。
妹は頭が良かったから医学部目指してて、でもそこまで良くない頭への期待の重圧に潰れたんだ。
狂言自殺を繰り返して本当に死んじゃうなんて昔の作家みたい。何回も首吊りごっこで済んでたみたいだった。
23歳、腕や肩の傷跡は隠して生きている。意外と、大丈夫だって。なんとかなるんだよ。人はそれほどきみのこと気にしてないんだ。大丈夫。
思っている以上に道はある。逃げ道なくしたなんて言ったけど、いざとなったら吾妻ひでおの失踪日記みたいに一丁かましてやろう。
死ねなくなった僕の見つけた逃げ道は失踪だ。
まだそのコマンドを使う予定はないけれど、僕は自殺しないで失踪しようと思う。
なんとか生きぬいてやろう。
僕は自責から来た罪を清算しなければいけないから生きるよ。
自死を考えてしまう若い子たちは、とりあえず成年してさ、一緒に酒でも酌み交わそう。なんかうまい飯を食おう。盛り上げとか知らない好き勝手なカラオケをしよう。おすすめのマンガでも語り合おう。まだこれからだよ。
僕より年上の方は、呼んでくれたらできる限り動くからさ、なんか遊ぼう。スマブラしたりマンガ読んだり昔の無駄な時間の使い方をしよう。
一瞬でも多く笑えるように、長く笑っていけるように。年上ったって、まだこれからだ。
生きていれば常に先があるからすごいんだよ。
最後に、趣味で書いていた詩の一節で締めようと思う
「十月十日の日を超えた
母の痛みの責任分だけ
ぼくらは生きなければならない」
長々とすみません。
ありがとうございました。
【執筆者】
ハジ さん
【プロフィール】
どこかの美大生。
23歳性別不詳。
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