恨み続けた父親の死。残ったもの。
僕の記憶に残っているのは、顔も身体もアザだらけになった母の姿と、2人で祖母の家に逃げたことと、母と父が「この子はうちで暮らす!」って僕を引っ張りあっているところ(…ああ、押し付けられたんじゃなくてよかった。これだけは救いかもしれない)。
僕は暴力を振るう父が大嫌いだった。
母を傷つける父が許せなかった。
離婚してから何度か引っ越したのに、どこで知ったのか突然訪ねてきたりした。たぶん、ヨリを戻したかったんだと思う。父が来る度にピリピリした空気が流れていた。苦しかった。
母が出かけていて1人のときに来たらどうしよう、学校の帰りに待ち伏せてて連れてかれたらどうしよう、そんな恐怖が常に付きまとっていた。
学校で父親がいないことを言うと「ごめんね」って謝られるのがすごく嫌だった。
毎日毎日、父を恨んでいた。
母の再婚
10歳のときに母が再婚して、弟が産まれた。引っ越した。それから父が来ることはなかったけど、時々不安に襲われた。
もしまた居場所を突き止められたら。再婚のことを知ったら。子どもがいることを知ったら。暴れるだろうか…
そんなことを考えながら、10年以上が経った、去年の春。親戚から連絡がきた。
突然の父の死
「○○さん(父)が死んだ。孤独死だった。お通夜だけでも来ないか。最後だから。」と。
母は、怒っていたかな。不安定になって、数日寝込んでしまった。
僕は、死んでもなお母を苦しめる父をまた、恨んだ。…ちょっとだけ、悲しんだ。
その後1人で昔のアルバムを探した。あんまり記憶がないんだけど、見なきゃいけない気がした。
そこで見たもの、それは赤ん坊の僕を愛おしそうに見つめる父、優しい顔で抱っこする父、一緒に笑顔で遊んでいる父、仲良く手を繋いでいる父。
…こんなの、僕の記憶にない。悲しくなってきた。
もしかしたら僕は愛されていたんじゃないか。
恨み続けた僕に残ったのは、虚しさと、一生知ることのできない疑問。
もしあの世があるなら。もし会えるなら。そのときは訊いてみようと思う。
「僕のこと、愛していましたか?」
【執筆者】
彼方 さん
【プロフィール】
22歳シングルマザー
Twitter : @sat0a1
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