セックスができれば誰でもよかった ―終わりなきメンタルヘルスを生きろvol.3 ―
セックス。
私がこれを、愛する人との愛しい行為だと信じていたのはいつだっただろうか。
健全な人間は健全な人間と健全な恋をして、健全な交際を経て健全なセックスに至る。私はセックスとは本来こうあるべきだと信じている。いや、信じていた。間違ってもどこの馬の骨ともわからない男と中出しゲーム※1などをしてはいけないのだ。
私は本連載のVol.2で、「歪んだ自己愛は時として愛のないセックスに沈む」というようなことを書いた。それはどういうことなのか?地域の非行防止を呼び掛ける標語コンクールに毎年入賞するような真面目で素直なぽっちゃり女子が、どうして数年後にどこの馬の骨ともわからない男と中出しゲーム※1をするような女に育ってしまったのか。聡明な皆さんなら、この記事を読み終わる頃にはお分かり頂けるだろう。そしてぜひ共感してほしい。
(※1 中出しゲームとは、コンドームを装着せずに挿入した状態で男が「中」と言ったら女は「出さないで」、男が「外」と言ったら女は「出して」とリズミカルに答え、もし女が間違えると中に出されるという非常にシンプルかつスリリングなゲームのことである)
私は容姿が優れていない。そのため、容姿が整っているいとこや弟と比較され「お前はブスだ」と言われたことがきっかけで劣等感を持って育ってきた。
相手が軽い冗談のつもりでも、その冗談で場を盛り上げる以外の他意がなくても、それが容姿という表面上の要素だけの評価だとしても、誰かと「比べられ」、その結果自分は「劣っている」という部分だけが根底に残る。
その結果、自分に自信が持てなくなり容姿にコンプレックスを持つだけでなく、性格も引っ込みがちになったり、ちょっとした他人の言動で傷付きやすくなったりする。
褒められても「どうせからかわれている」「自分がそんな評価をされるはずがない」、期待されても「自分にはできるはずがない」「買い被られている」「期待させてしまった自分が悪い」と思ってしまう。
この時点で他人とのコミュニケーションに障害が生まれる場合もあるし、さらにこの状況で完全に孤立してしまったら救いようがない。これは呪いのようなもので、他人に「そんなことはないよ」と励まされたくらいで解ける呪いではないのだ。
そんな拗らせ女も人間なので、漠然とひと肌が恋しくなる時期はやってくる。それは周囲の人間が惚れた腫れたと盛り上がっている時期かもしれないし、自分以外の人間には全員恋人がいるんじゃないかと思い始める時期かもしれない。
自己評価が低いということは正しく自己評価が出来ない状態であって、逆に言えば自分以外からの評価を常に求めている。このひと肌が恋しくなる時期と自己評価の低さに耐えられなくなる時期が重なると、セックスというシンプルな答えにたどり着く。
セックスは他者評価的な要素を持っていて、自分が何も持っていなくても相手さえいればそれで準備は完了。たった数時間で他者評価が得られる。それ以外にも快感が得られるかもしれないし、運が良ければ人間関係も手に入る。さみしさと不安を解消する手段として、一番簡単で手っ取り早いのだ。
例えば自分が処女だったとしたら、セックスをすることによって「セックスをしたことがある女」という自己評価になる。「私はセックスに持ち込むレベルのコミュニケーション経験があり、抱いてもらえるレベルの容姿です」ということだ。これは自信に繋がる。経験人数をむやみに増やそうとするのも、多ければ多いほど間違った自己評価が高くなっていくからだ。先に進むつもりもないくせに、ドラクエの最初の町の周辺でひたすら雑魚モンスターを倒し続けるレベル上げと同じである。結局は自己満足と気休めに過ぎないのだ。
セックスの良いところは一人ではできないところだ。
セックスをすると自分は男に抱いてもらえるレベルの容姿なのだという安心が生まれる。そしてまた別の男に抱かれ、「私はこの男にも抱いてもらえるレベルなのか。よし、どんどん色んな男とセックスして自分の価値を再確認するぞ!」というポジティブなメンヘラになる。もちろん、容姿の優れている自己評価の低い女(いわゆる顔の良いメンヘラ)は自分の純粋な欲求を満たすため、あるいは生きていくために股を開く女もいるだろう。
まともな恋愛経験もなく、不安定な自己評価を満たすためにセックスを始めた女が、男たちの「愛が無くてもセックスできる」「穴さえあればどうでもいい」という本音に気付かないまま、性欲と愛をはき違えるとさらに地獄である。
要するに、誰でも良かった。私を拒絶せず、評価をしてくれるならそれでよかった。自分の価値は穴しかないと思っていたし、今でも突き詰めればそう思うが、私はもうあの頃よりもずっと歳を取ってしまった。
いつの時代も便利なバカは搾取し続けられるし、男と女においてはより顕著だ。
自己評価の低い女はセックスにおいても恋愛においても搾取し続けられる運命にある。
「俺にはお前が必要なんだ」の魔法の一言さえあれば、それ以外の評価なんて永遠にどうでもいいからだ。
そして性と若さのみを自分の価値だと信じることが、ほかの苦しみから逃れられる唯一の方法だったのかもしれない。
【過去の「終わりなきメンタルヘルスを生きろ」はこちら】
・生きていくために一番必要なものは憎しみと承認欲求 ─終わりなきメンタルヘルスを生きろ vol.1─
・デブスが死にたいのは当たり前 ー終わりなきメンタルヘルスを生きろvol.2 ―
私がこれを、愛する人との愛しい行為だと信じていたのはいつだっただろうか。
健全な人間は健全な人間と健全な恋をして、健全な交際を経て健全なセックスに至る。私はセックスとは本来こうあるべきだと信じている。いや、信じていた。間違ってもどこの馬の骨ともわからない男と中出しゲーム※1などをしてはいけないのだ。
私は本連載のVol.2で、「歪んだ自己愛は時として愛のないセックスに沈む」というようなことを書いた。それはどういうことなのか?地域の非行防止を呼び掛ける標語コンクールに毎年入賞するような真面目で素直なぽっちゃり女子が、どうして数年後にどこの馬の骨ともわからない男と中出しゲーム※1をするような女に育ってしまったのか。聡明な皆さんなら、この記事を読み終わる頃にはお分かり頂けるだろう。そしてぜひ共感してほしい。
(※1 中出しゲームとは、コンドームを装着せずに挿入した状態で男が「中」と言ったら女は「出さないで」、男が「外」と言ったら女は「出して」とリズミカルに答え、もし女が間違えると中に出されるという非常にシンプルかつスリリングなゲームのことである)
拗らせ女の自己評価が低い理由
私は容姿が優れていない。そのため、容姿が整っているいとこや弟と比較され「お前はブスだ」と言われたことがきっかけで劣等感を持って育ってきた。
相手が軽い冗談のつもりでも、その冗談で場を盛り上げる以外の他意がなくても、それが容姿という表面上の要素だけの評価だとしても、誰かと「比べられ」、その結果自分は「劣っている」という部分だけが根底に残る。
その結果、自分に自信が持てなくなり容姿にコンプレックスを持つだけでなく、性格も引っ込みがちになったり、ちょっとした他人の言動で傷付きやすくなったりする。
褒められても「どうせからかわれている」「自分がそんな評価をされるはずがない」、期待されても「自分にはできるはずがない」「買い被られている」「期待させてしまった自分が悪い」と思ってしまう。
この時点で他人とのコミュニケーションに障害が生まれる場合もあるし、さらにこの状況で完全に孤立してしまったら救いようがない。これは呪いのようなもので、他人に「そんなことはないよ」と励まされたくらいで解ける呪いではないのだ。
愛のないセックスはドラクエ序盤のレベル上げ
そんな拗らせ女も人間なので、漠然とひと肌が恋しくなる時期はやってくる。それは周囲の人間が惚れた腫れたと盛り上がっている時期かもしれないし、自分以外の人間には全員恋人がいるんじゃないかと思い始める時期かもしれない。
自己評価が低いということは正しく自己評価が出来ない状態であって、逆に言えば自分以外からの評価を常に求めている。このひと肌が恋しくなる時期と自己評価の低さに耐えられなくなる時期が重なると、セックスというシンプルな答えにたどり着く。
セックスは他者評価的な要素を持っていて、自分が何も持っていなくても相手さえいればそれで準備は完了。たった数時間で他者評価が得られる。それ以外にも快感が得られるかもしれないし、運が良ければ人間関係も手に入る。さみしさと不安を解消する手段として、一番簡単で手っ取り早いのだ。
例えば自分が処女だったとしたら、セックスをすることによって「セックスをしたことがある女」という自己評価になる。「私はセックスに持ち込むレベルのコミュニケーション経験があり、抱いてもらえるレベルの容姿です」ということだ。これは自信に繋がる。経験人数をむやみに増やそうとするのも、多ければ多いほど間違った自己評価が高くなっていくからだ。先に進むつもりもないくせに、ドラクエの最初の町の周辺でひたすら雑魚モンスターを倒し続けるレベル上げと同じである。結局は自己満足と気休めに過ぎないのだ。
自分の需要の勘違い
セックスの良いところは一人ではできないところだ。
セックスをすると自分は男に抱いてもらえるレベルの容姿なのだという安心が生まれる。そしてまた別の男に抱かれ、「私はこの男にも抱いてもらえるレベルなのか。よし、どんどん色んな男とセックスして自分の価値を再確認するぞ!」というポジティブなメンヘラになる。もちろん、容姿の優れている自己評価の低い女(いわゆる顔の良いメンヘラ)は自分の純粋な欲求を満たすため、あるいは生きていくために股を開く女もいるだろう。
まともな恋愛経験もなく、不安定な自己評価を満たすためにセックスを始めた女が、男たちの「愛が無くてもセックスできる」「穴さえあればどうでもいい」という本音に気付かないまま、性欲と愛をはき違えるとさらに地獄である。
要するに、誰でも良かった。私を拒絶せず、評価をしてくれるならそれでよかった。自分の価値は穴しかないと思っていたし、今でも突き詰めればそう思うが、私はもうあの頃よりもずっと歳を取ってしまった。
いつの時代も便利なバカは搾取し続けられるし、男と女においてはより顕著だ。
自己評価の低い女はセックスにおいても恋愛においても搾取し続けられる運命にある。
「俺にはお前が必要なんだ」の魔法の一言さえあれば、それ以外の評価なんて永遠にどうでもいいからだ。
そして性と若さのみを自分の価値だと信じることが、ほかの苦しみから逃れられる唯一の方法だったのかもしれない。
【過去の「終わりなきメンタルヘルスを生きろ」はこちら】
・生きていくために一番必要なものは憎しみと承認欲求 ─終わりなきメンタルヘルスを生きろ vol.1─
・デブスが死にたいのは当たり前 ー終わりなきメンタルヘルスを生きろvol.2 ―
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