メンヘラだけど公務員試験に合格しました。強制入院、半年休学、服薬36錠/dayから足掻きまくった自分
期待させておいてがっかりな前置きかもしれませんが、現在はほぼほぼ無職の福井です。
せっかく手に入れた公務員の地位を、数年前に自己都合退職で手放しました。10年近く在職しました。数百万単位の退職金ももらえたし、あれ以上職場にいるのは耐えられなかったので全く悔いはありませんが。
私は二度の強制入院と一度の任意入院を経験している鉄板のガチメンヘラです。病名は統合失調症。障害手帳は二級。障害年金ももらっております。
陰性症状が出ているときは一日の大半を布団の中で過ごします。陽性症状が出ているときは自分が盗撮されていてそれをテレビで放映されているという荒唐無稽な妄想を抱いてしまうので、閉鎖病棟の中に収まるほかありません。ちゃんと薬を飲んで休養をとれば、あの脳内麻薬出まくりの妄想の日々はなんだったのかと冷静になれるんですが。ちなみに公務員になったのは統合失調症を発症した後のことです。職場で病んだわけではありません。
さて、公務員といってもいろいろありますが、身バレが恐ろしいので前職について多くは語りません。
ただ、「なんで公務員になったか」と「なんで公務員になれたか」にスポットを当てて語っていきたいな、と思います。
さて、皆さん公務員の魅力ってなんでしょう?
福利厚生? 残業がなさそうなとこ? 安定した収入? 社会的な地位? やりがい? 一般企業にはない社会福祉的なお仕事が山と積まれていること? おまけに正義面した一般市民を騙る奴からクレームつけられまくりなところ? おっと失礼。怨嗟が吹き出しそうになりました。
そう。公務員の仕事は私にとっては楽ではありませんでした。やりがいはありましたが。
日付が変わるくらいまでお仕事したことも、豆腐メンタルと貧弱体力に耐えかねて仕事場の近くのビジネスホテルで自腹で休養したことも、土日出勤したことも山ほどあるし、その分の残業が全部付くかって言ったらNOでした。世間のイメージとはだいぶかけ離れてましたね。
あ、ちなみに私が公務員になった理由の中で一番大きなもの。それは、小学校時代に私を自殺寸前まで追い詰めたいじめっ子A(性根が腐りまくってる)が口にした言葉。
「あんたの最終学歴は、きっと中卒」
「あんたも親と同じ、水商売で一生を泥水をすする」
「あんたは結婚はおろか、恋人すら出来ない」
そしてその口で取り巻きとこう話していたのを聞いたのです。
「公務員こそが史上最高の職業だよねー」
「私、公務員になるのが夢なんだー」と。
……私の中で将来、目指す進路がほぼ確定した瞬間でした。
私はいじめっ子Aへの憎しみを糧にして、保健室登校でも自習は欠かさず、あまりお金には恵まれない家庭ながら、ベネッセなどの通信教育のみの独学で、高校受験も大学受験もクリアーしました(大学浪人はしましたけれどね)。ちなみに大学は一応国立です。自慢ではありません。家庭の経済状況を鑑みると進学するなら、それしか路(みち)がなかったのです。この時点では「一応」メンヘラではありませんでした(今から思うと相当香ばしいし、それっぽいですが)。
で、入ってみた大学が楽しすぎて面白すぎて旅サーに入ったり、恋人を作ってファーストキスを体験したり、それはそれはもうメンヘラとは真逆な明るい毎日を満喫していたわけですが、そんな日々は長く続きませんでした。
在学中に統合失調症を発症し、医療保護入院という名の下、強制入院。大学への休学の届は両親によって為されました。閉鎖病棟の保護室で目を覚ました私はわけもわからず、拘束された四肢を、おむつを当てられた自分の下半身をただただ呆然と見ていることしかできませんでした。
そして始まる投薬。拒薬をすればするほど、拘束を嫌がれば嫌がるほど、毎日量を増していく薬。最終的に一日あたり36錠もの薬を私は処方されていました。当然、呂律は回らず、口の端からよだれをたらして、ハンドタオルが常時手放せない日々。私の人生は終わったんだな、とこのとき、私はかすかに思いました。
でも、あきらめかけた私にもう一人の私が囁いたんです。
「本当にあきらめていいの?」
頭をよぎったのは小学校時代私を苛め抜いたAのやらしい笑みでした。
「やっぱりね、あんたはそうなると思ってたわ 」
私の心に火が付きました。あいつを見返すまでは絶対に死にたくないし、ここから這い上がってやるんだ、絶対公務員になってやる、と固く決意をしたのはこのときです。
さて、ここまでで「なんで公務員になったか」についてはお分かりいただけたかと思います。
次に、「なんで公務員になれたか」について5つのパートに分けて語っていきたいと思います。
1.粘り強い減薬交渉
短いスパン(週1回)での通院を希望し、とにかく眠くてだるくて堪らない、ということを根気強く、粘り強く医師に訴え続け、少しずつですが薬を減らしていきました。数年以上かけて、最終的に寝る前のお薬3錠だけになりました。
2.体力づくり
毎日地道にウォーキング、筋トレをしました。くじけそうなとき、眠くて堪らず、布団から起きられないときは「Aの思うようになっていいのか」と自分の中の憎しみを燃え立たせ、自らを奮い立たせて、身体を布団からひっぺがしました。
3.公務員試験の勉強法
L〇CやTA〇など大手予備校より授業料が半額以下だったマイナーな予備校を一つ選び、そこの通信生(DVD生)になりました。
通信生になったのは、普通の受講生だと講義のスピードについていけないと思ったからです。それに通信生なら授業のDVDは見放題。なんど戻しても、なんど繰り返してもDVD映像は文句を言いません。減薬したとはいえ、睡魔はやはり大きな敵で予備校のDVDブースで幾度となく私は撃沈しました。だが、むっくり起き上がると寝てしまう直前までDVD映像を戻して、とにかく授業を理解できるまで何度も何度も、DVDで授業を聞き続けました。
4.受けられる試験をとにかく受けまくる
とにかく試験日が被らない限り、試験を受けて受けて受けまくりました。警察官から区役所員、市役所職員、国家公務員二種、独立行政法人、裁判所事務官、参議院事務官、郵便局職員etc……。このうち筆記を通って面接まで進めたのは5か所。そして、最終的に内定をとれたのは2か所でした。
5.メンヘラであることは隠し通す
身元調査が入ったときは入った時! と開き直って、書類でも面接でも自分が精神的な病を抱えていることは隠し通しました。
最後に。
私は公務員になってよかった、と思っています。それは経済的な面だけではなくて、自分みたいなものでも誰かのために、世間の一助になるために働けるのだ、ということが、きれいごとでもなんでもなく、幸せの一つでした。
ただ、実際公務員になったとき、仕事に没頭すれば没頭するほど、いじめっ子Aへの憎しみが昇華されてしまい、自分を燃やし続ける心の中の薪(たきぎ)が無くなっていくのを私は呆然としながら見つめるしかできませんでした。
もっと、もっと憎しみを。そう思っても零れ落ちて行ってしまう。そうして私は思ってしまったんです。
「もうAのために自分の人生を消費することは、辞めたい」と。
結びになりますが、それが公務員をやめた一番大きな理由です。
こんな自分語りにお付き合いいただき、ありがとうございます。いろんな理由で公務員を目指すメンヘラの方々の一助になることを願っています。そして、この先は少し私信を。
noteとtwitterを始めました。
note:https://note.mu/mayoi_cat
twitter:@fukui_mayo
自分の文章をちょっとでもお金に換えたい、という気持ちでnoteを始めました(twitterは連絡・広報・宣伝用)。
noteの記事は有料記事にしてありますが、中身は無料で読めます。ただ、面白いとか興味深い、続きが読みたい、支援したいと思っていただけたら、¥300のところや「続きを読む」をポチって下さい。このクリエイターを応援する、というボタンをクリックしていただいてもいいです。ちょっとしたおまけもつきます。何より私の中で続きを書く気力が湧きます。
試行錯誤な毎日。健康状態で筆が鈍ることもあるけれど、書くことだけは続けていきたいものです。
【執筆者】
福井真世 さん
【プロフィール】
大学在学中に統合失調症を発症。強制入院2回、任意入院1回を経験しています。
公的機関に就職し婚約するも、職を失い、婚約破棄され、今は障害年金を受給中です。
父が癌になり、弟は離婚調停を起こされ、修羅場です。
twitter:@fukui_mayo
note:https://note.mu/mayoi_cat
せっかく手に入れた公務員の地位を、数年前に自己都合退職で手放しました。10年近く在職しました。数百万単位の退職金ももらえたし、あれ以上職場にいるのは耐えられなかったので全く悔いはありませんが。
私は二度の強制入院と一度の任意入院を経験している鉄板のガチメンヘラです。病名は統合失調症。障害手帳は二級。障害年金ももらっております。
陰性症状が出ているときは一日の大半を布団の中で過ごします。陽性症状が出ているときは自分が盗撮されていてそれをテレビで放映されているという荒唐無稽な妄想を抱いてしまうので、閉鎖病棟の中に収まるほかありません。ちゃんと薬を飲んで休養をとれば、あの脳内麻薬出まくりの妄想の日々はなんだったのかと冷静になれるんですが。ちなみに公務員になったのは統合失調症を発症した後のことです。職場で病んだわけではありません。
さて、公務員といってもいろいろありますが、身バレが恐ろしいので前職について多くは語りません。
ただ、「なんで公務員になったか」と「なんで公務員になれたか」にスポットを当てて語っていきたいな、と思います。
さて、皆さん公務員の魅力ってなんでしょう?
福利厚生? 残業がなさそうなとこ? 安定した収入? 社会的な地位? やりがい? 一般企業にはない社会福祉的なお仕事が山と積まれていること? おまけに正義面した一般市民を騙る奴からクレームつけられまくりなところ? おっと失礼。怨嗟が吹き出しそうになりました。
そう。公務員の仕事は私にとっては楽ではありませんでした。やりがいはありましたが。
日付が変わるくらいまでお仕事したことも、豆腐メンタルと貧弱体力に耐えかねて仕事場の近くのビジネスホテルで自腹で休養したことも、土日出勤したことも山ほどあるし、その分の残業が全部付くかって言ったらNOでした。世間のイメージとはだいぶかけ離れてましたね。
あ、ちなみに私が公務員になった理由の中で一番大きなもの。それは、小学校時代に私を自殺寸前まで追い詰めたいじめっ子A(性根が腐りまくってる)が口にした言葉。
「あんたの最終学歴は、きっと中卒」
「あんたも親と同じ、水商売で一生を泥水をすする」
「あんたは結婚はおろか、恋人すら出来ない」
そしてその口で取り巻きとこう話していたのを聞いたのです。
「公務員こそが史上最高の職業だよねー」
「私、公務員になるのが夢なんだー」と。
……私の中で将来、目指す進路がほぼ確定した瞬間でした。
私はいじめっ子Aへの憎しみを糧にして、保健室登校でも自習は欠かさず、あまりお金には恵まれない家庭ながら、ベネッセなどの通信教育のみの独学で、高校受験も大学受験もクリアーしました(大学浪人はしましたけれどね)。ちなみに大学は一応国立です。自慢ではありません。家庭の経済状況を鑑みると進学するなら、それしか路(みち)がなかったのです。この時点では「一応」メンヘラではありませんでした(今から思うと相当香ばしいし、それっぽいですが)。
で、入ってみた大学が楽しすぎて面白すぎて旅サーに入ったり、恋人を作ってファーストキスを体験したり、それはそれはもうメンヘラとは真逆な明るい毎日を満喫していたわけですが、そんな日々は長く続きませんでした。
在学中に統合失調症を発症し、医療保護入院という名の下、強制入院。大学への休学の届は両親によって為されました。閉鎖病棟の保護室で目を覚ました私はわけもわからず、拘束された四肢を、おむつを当てられた自分の下半身をただただ呆然と見ていることしかできませんでした。
そして始まる投薬。拒薬をすればするほど、拘束を嫌がれば嫌がるほど、毎日量を増していく薬。最終的に一日あたり36錠もの薬を私は処方されていました。当然、呂律は回らず、口の端からよだれをたらして、ハンドタオルが常時手放せない日々。私の人生は終わったんだな、とこのとき、私はかすかに思いました。
でも、あきらめかけた私にもう一人の私が囁いたんです。
「本当にあきらめていいの?」
頭をよぎったのは小学校時代私を苛め抜いたAのやらしい笑みでした。
「やっぱりね、あんたはそうなると思ってたわ 」
私の心に火が付きました。あいつを見返すまでは絶対に死にたくないし、ここから這い上がってやるんだ、絶対公務員になってやる、と固く決意をしたのはこのときです。
さて、ここまでで「なんで公務員になったか」についてはお分かりいただけたかと思います。
次に、「なんで公務員になれたか」について5つのパートに分けて語っていきたいと思います。
1.粘り強い減薬交渉
短いスパン(週1回)での通院を希望し、とにかく眠くてだるくて堪らない、ということを根気強く、粘り強く医師に訴え続け、少しずつですが薬を減らしていきました。数年以上かけて、最終的に寝る前のお薬3錠だけになりました。
2.体力づくり
毎日地道にウォーキング、筋トレをしました。くじけそうなとき、眠くて堪らず、布団から起きられないときは「Aの思うようになっていいのか」と自分の中の憎しみを燃え立たせ、自らを奮い立たせて、身体を布団からひっぺがしました。
3.公務員試験の勉強法
L〇CやTA〇など大手予備校より授業料が半額以下だったマイナーな予備校を一つ選び、そこの通信生(DVD生)になりました。
通信生になったのは、普通の受講生だと講義のスピードについていけないと思ったからです。それに通信生なら授業のDVDは見放題。なんど戻しても、なんど繰り返してもDVD映像は文句を言いません。減薬したとはいえ、睡魔はやはり大きな敵で予備校のDVDブースで幾度となく私は撃沈しました。だが、むっくり起き上がると寝てしまう直前までDVD映像を戻して、とにかく授業を理解できるまで何度も何度も、DVDで授業を聞き続けました。
4.受けられる試験をとにかく受けまくる
とにかく試験日が被らない限り、試験を受けて受けて受けまくりました。警察官から区役所員、市役所職員、国家公務員二種、独立行政法人、裁判所事務官、参議院事務官、郵便局職員etc……。このうち筆記を通って面接まで進めたのは5か所。そして、最終的に内定をとれたのは2か所でした。
5.メンヘラであることは隠し通す
身元調査が入ったときは入った時! と開き直って、書類でも面接でも自分が精神的な病を抱えていることは隠し通しました。
最後に。
私は公務員になってよかった、と思っています。それは経済的な面だけではなくて、自分みたいなものでも誰かのために、世間の一助になるために働けるのだ、ということが、きれいごとでもなんでもなく、幸せの一つでした。
ただ、実際公務員になったとき、仕事に没頭すれば没頭するほど、いじめっ子Aへの憎しみが昇華されてしまい、自分を燃やし続ける心の中の薪(たきぎ)が無くなっていくのを私は呆然としながら見つめるしかできませんでした。
もっと、もっと憎しみを。そう思っても零れ落ちて行ってしまう。そうして私は思ってしまったんです。
「もうAのために自分の人生を消費することは、辞めたい」と。
結びになりますが、それが公務員をやめた一番大きな理由です。
こんな自分語りにお付き合いいただき、ありがとうございます。いろんな理由で公務員を目指すメンヘラの方々の一助になることを願っています。そして、この先は少し私信を。
noteとtwitterを始めました。
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自分の文章をちょっとでもお金に換えたい、という気持ちでnoteを始めました(twitterは連絡・広報・宣伝用)。
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試行錯誤な毎日。健康状態で筆が鈍ることもあるけれど、書くことだけは続けていきたいものです。
【執筆者】
福井真世 さん
【プロフィール】
大学在学中に統合失調症を発症。強制入院2回、任意入院1回を経験しています。
公的機関に就職し婚約するも、職を失い、婚約破棄され、今は障害年金を受給中です。
父が癌になり、弟は離婚調停を起こされ、修羅場です。
twitter:@fukui_mayo
note:https://note.mu/mayoi_cat
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